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北のサムライ軍団が10年越しの五輪へ。北海道から世界へ挑むコンサドーレ戦士たちの秘められた過去

竹田聡一郎スポーツライター
左から松村雄太、阿部晋也、谷田康真、清水徹郎、相田晃輔(C)JCA IDE

北海道コンサドーレ札幌カーリングチーム(以下コンサドーレ)は2018年に活動を開始したチームだ。カーリングはもちろん冬季五輪種目にJクラブが冠するのは史上初で、カーリング競技の普及広報面で期待が寄せられると共に、コンサドーレが掲げる「総合型地域スポーツクラブ」として道内スポーツの振興を促すものとして、両者の思惑が一致した格好だ。

 ただ、このチームには前身となるクラブがあったことは一般にはあまり知られていない。

 知る人ぞ知る、2012年発足の「4REAL」だ。

 チームの精神的支柱でリードの阿部晋也は、小笠原歩(当時は小野寺/現日本カーリング協会理事)や船山弓枝(現北海道銀行フォルティウス)を擁した2006年トリノ大会、本橋麻里(現ロコ・ステラ)や石崎琴美(現ロコ・ソラーレ)や近江谷杏菜(現北海道銀行)がメンバーであった2010年バンクーバー大会、両五輪に出場した「チーム青森」のコーチを務めていた。

 しかし、上記選手らを中心とした「カーリング娘。」フィーバー下でありながら、男子カーリングは長野五輪の開催枠で初出場したのみで、以後は平昌五輪まで20年間、五輪には縁がなく、取り残されがちだった。

 男子もなんとか盛り上げたいと考えた阿部は現役復帰を決意し、同郷・常呂町の先輩で1998年長野五輪オリンピアンである佐藤浩(現北海道銀行コーチ)に相談し、2009年の優勝をはじめミックスダブルスなどで経験豊富な竹田直将、11年の日本選手権で軽井沢C.Cのスキップとしてチームを3位に導いた松村雄太らを加え、この4人でチームを組んだ。

 それから数年は谷田康真や相田晃輔ら若手の加入をはじめメンバーやポジションの変遷を繰り返しながらも、国内では上位常連のチームとなるが、2018年平昌五輪選考ではSC軽井沢クラブに競り負け、念願は達成されなかった。

 ただ、五輪出場が決まったSC軽井沢クラブの強化のために非公式にスパーリングパートナーを買って出るなど、トップチームとして日本の健闘に貢献する。

 それでも五輪出場を逃したことで、それまでのスポンサーの多くが撤退してしまう。チーム存続を危ぶんだ阿部はチーム青森のバンクーバー五輪出場を支えた広報マン、近藤学を頼った。

 近藤は永山運送株式会社などに広く支援を求め、同社もそれに応えた。松村は所属こそコンサドーレだが、勤務先は今も同社である。さらにチーム創成期から支援を続けてくれた生メロンソフトクリームで有名な「やおきゅう」を経営する有限会社ヤクワなどのバックアップを受けながら競技の可能性を広げる選択肢を模索した。

 その結果が18年のコンサドーレ発足だ。チームごと移管する形で受け入れてもらい、コンサドーレのブランド力をカーリングにも活かす狙いだ。同じタイミングでSC軽井沢クラブの一員として平昌五輪に出場した清水徹郎も加入し、現在のメンバーとなった。

 再スタートを切った同年には日本代表決定戦を制し、初の日本代表に。韓国で行われたパシフィック・アジア選手権でも優勝。「サッカーチームより先のアジア制覇」と話題になった。

19年に日本選手権初優勝。札幌市のどうぎんカーリングスタジアムにて(著者撮影)
19年に日本選手権初優勝。札幌市のどうぎんカーリングスタジアムにて(著者撮影)

 さらに19年の日本選手権で初優勝を飾り世界選手権に初挑戦すると、男子カーリング史上タイの4位という好成績をおさめた。20年には全勝で日本選手権連覇を飾り、今大会で3連覇達成。王者としての貫禄すら漂いはじめた。

「カーリングって男子もやっているの?」

 男子選手なら一度はぶつけられた経験がある屈辱的な質問だ。その質問が象徴するマイナー競技をスタート地点に、資金難やチーム存続の危機、結果の出ない時期や、結果が出ても報道のされないジレンマを抱えながらも、強化の道を一歩ずつ進んだ。近年は通年カーリングホールが増えたことでジュニア世代からの突き上げも始まっている。

 しかし、その道のりは長く苦しいものでありながら、阿部らが望んだ普及に必要な過程でもあった。

 3連覇を達成した直後、阿部晋也は開口一番「これまでお世話になったすべての人々に感謝したい」と感謝を口にしたが、単にコンサドーレの名前を背負った3年だけではなく、コンサドーレ以前の4REALで、もっといえばチーム青森のコーチ時代に関わった人々、阿部らがチームを結成するまで男子カーリングを支えてくれた、すべての男子選手らも含まれているのかもしれない。

 また、個人にフォーカスしていくと、その道程もそれぞれだ。

 まず阿部は、19年オフに潰瘍性大腸炎を発症している。原因不明の激しい腹痛や下痢を繰り返す根本的な治療は現状では望めない国指定の難病だ。30キロ以上も体重が減り、体調が選手復帰どころか、日常生活に戻ることができるかどうかも不安な時期だった。19年から20年にかけての冬には一時、復調を見せ軽井沢国際や日本選手権の優勝に貢献するが昨年にまた症状が再発するなど、万全とはいえないシーズンを余儀なくされた。

 その阿部の不在時にチームを支えたのが相田だった。2016年リレハンメルユース五輪代表などの実績もあり、もともとの技術はあったが、ユース世代ではない一般での大会経験に乏しく、17年のチーム加入以後はコーチボックスに座ることが多かった。しかし、阿部の離脱によってアイスに乗る機会が増えた。

 当初はスキップの松村に「(相田)晃輔にプレッシャーを与えないように他の3人が自覚を持たないといけない」とケアしてもらう立場だったが、この2年で急成長を見せパフォーマンスも安定。20年からはロコ・ステラの松澤弥子と組み、ミックスダブルスで日本選手権出場を果たすなどショットやスイープの向上に取り組んできた。松村が「晃輔が成長してくれて、誰が出ても一定のパフォーマンスが出せるようになったのはチームとして大きなプラス」、阿部も「晃輔のメドが立ったので焦らずにリハビリに専念できた」と認めたように、最年少のいじられキャラは大きな戦力に化けた。相田はこの春に北見工大を卒業するが、家業であるサロマ湖やオホーツク海での牡蠣やホタテ、タコ漁など手伝いながら来年の北京五輪を目指す。

 相田同様、セカンドの谷田も大学在籍時、札幌学院大時代にユニバーシアード代表などの実績を残し、2016年の日本選手権から当時の4REALに加わった。当時はまだリザーブの選手だったこともあり、同年に優勝し、のちの五輪チームとなったSC軽井沢クラブのフィフスとして世界選手権にも帯同した。その縁もあって同クラブ加入のプランもあったが、「ちょっとだけ迷いましたけれど、阿部君や雄太君と一緒にやりたかった」と丁重にオファーを断っている。

 コンサドーレ移管からは不動のセカンドとなり、19年の世界選手権ラウンドロビン(総当たり予選)では平均90%近いショット率を残し大会オールスターにも選出されるなど、世界にも名が売れてきた。23日に開幕するミックスダブルス日本選手権にはパートナーの松村千秋(中部電力)と共に王者として挑む。連覇を達成すればこちらも代表候補に内定。史上初のミックスダブルス五輪出場も視野に入っている。

 コンサドーレにとってのラストピースとなったサードの清水徹朗は、今回の日本選手権でSC軽井沢クラブ時代も合わせると日本選手権制覇を11度、経験している優勝請負人で、もちろんこれは日本カーリング史上最多の数字でもある。

 小さな頃は名波浩や中村俊輔らレフティに憧れるサッカー小僧で、将来の夢はJリーガーだった。それがまったく違う種目でJクラブ・コンサドーレの一員になるのだから「予想してない形で、ある意味で夢が叶った。人生って不思議っすね」と笑っていたことがあるが、余談ながらいま、コンビを組む松村も名波や中村と同じくレフティだ。

 もちろんこの11冠男は国内タイトルで決して満足していない。「コンサに来てから、試合に向けたピーキングの部分は上手になったかもしれません」という言葉どおり、あと2週間あまりで世界選手権に向けて既に調整を始めている。

 コンサドーレは日本代表として来月にカナダ・カルガリーで開催予定の世界選手権に参加する。6位以内に入れば、来年に控える北京五輪の出場権を獲得できる大事な大会だ。

 松村は「世界ではそんな簡単にはやらせてもらえないと思いますが、この大会の前半でできてた試合をやりたい」と意気込んだ。

 彼の指す大会前半のカーリングとは、この競技の基本であり奥義でもある「有利な後攻で2点を取って、不利な先行で相手に1点を取らせる」という、超基本戦術だ。19年、前回の世界初挑戦の際、特にスイス代表やスウェーデン代表を相手にしている試合で痛感したと松村は言う。

カナダ・アルバータ州レスブリッジで開催された世界選手権ではカナダ代表から金星を挙げるなど、躍進を見せた(著者撮影)
カナダ・アルバータ州レスブリッジで開催された世界選手権ではカナダ代表から金星を挙げるなど、躍進を見せた(著者撮影)

「もちろん派手なショットもうまいんですけれど、それ以前に基本的な部分でミスがほとんど出ないので、つけこむのは難しい。攻めるところと守るところの見極めとリスク管理が大切になってくると思います。今回は相手のやりたいことより先に僕らが一歩、踏み込む。そういう戦略的にも詰めてやっていきたい」

 4REAL結成からちょうど10年が経とうとしている。まだまだ女子に比べると知名度や露出は少ないが、それでも徐々に認知は進み、競技力も上がってきた。ここで結果が出ればさらに五輪に向けて追い風が吹くだろう。

 北海道とともに、世界へ。それを体現する氷上の赤黒軍団の天下取りはいよいよ本番だ。

スポーツライター

1979年神奈川県出身。2004年にフリーランスのライターとなりサッカーを中心にスポーツ全般の取材と執筆を重ね、著書には『BBB ビーサン!! 15万円ぽっちワールドフットボール観戦旅』『日々是蹴球』(講談社)がある。 カーリングは2010年バンクーバー五輪に挑む「チーム青森」をきっかけに、歴代の日本代表チームを追い、取材歴も10年を超えた。

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