「習近平政権は倒れない、私達がどんなに叫んだとしても。だから言う。私はここにいるから」在日中国人の涙
2022年11月30日午後7時。新宿駅南口。
中国習近平政権による「ゼロコロナ政策」での犠牲者を悼む集会が開かれ、小雨が降る中、大勢の人々が集まった。
20代を中心とした在日中国人達が声をあげ、台湾人も、日本人も様々な人達が次々とここに集った。「自由と民主が必要だ」、「独裁者は退くべきだ」、「亡くなった人達への祈りを」など、それぞれが、それぞれの言葉で聴衆に呼びかけた。
広州市出身の男性は「2019年、香港の若者が声を上げていた時には何もできなかった。悔しかった。申し訳なかった。今度こそ、自分が声を上げる時」と語った。
天津出身の女性は「世界中のあちらこちらで私たちがどれだけ声を上げても、絶対に変わらない。共産党は強いから。でも、だから言う。私はここにいる。だから言える」と取材に答えた。
彼女はインタビュー中に、隔離され、ロックダウンされた故郷で病院での治療も受けられずに亡くなっていった友人の家族のことを想い、涙を流した。
天安門事件以来のうねりだ、そう語る人もいる。
会場では、小競り合いもあった。「中国本土では語ることができなかった自由がここにある。何を恐るんだ!」と叫ぶ男性に、聴衆の1人は指を指し、中国語で激しくこう応じた「恐れてなんかいない。あなたの主張は中国共産党の考えとは違う。何をやっているんだ!」と、揉み合いになるところを警備にあたっていた日本の警察官達が引き離した。
新宿駅前での集会の様子は、これまでの中国にはなかった歴史に刻まれる瞬間でもあった。人々の声を映像にまとめた。
この記事ではあらためて個々の主張を、テキストでも伝えたい。
■「昔一度だけあった 声を上げた人々は 戦車で殺された」20代女性の声
集会での取材中「私、協力できますよ」と声をかけてくれた天津出身の女性は、天安門事件を振り返りながら、想いを語ってくれた。中国本土出身者が、あの事件をどのような文脈で語るのか、それを知る貴重な機会でもあった。
「もともと共産党に不満があったんです。文化大革命の時代からどれだけの犠牲者が出ているか。それは数えきれない数。そもそも、今回のように抗議の声をあげ人々が集まることは中国ではあんまりない。法律で罰せられるから。しかしやはり「ゼロコロナ」で被害者が大勢出たことが大きな理由。家族みんな、ロックダウンで身動きも取れず、金もなくなり、仕事もなくなり、何もなくなった。自宅から出られず病院にも行けない人たちもいる。私の友達の家族もそう。ゼロコロナで病院に行けなくて、家で死んだ人もいるんです、本当に。」
彼女は友人の家族や故郷で苦しむ大勢の人たちのことで胸がいっぱいになったのか、涙を流しながらインタビューに答えてくれた。
「こうして声を上げることに勇気がいったのではありませんか?」という私の質問に彼女はこう答えた。
「ひとりだったら、勇気は湧かなかったと思う。みんながいる。みんなが集まっているから私もここに来た。1人だったら絶対にここには立っていなかったと思う。昔、一度あったんです。若者達が声をあげたことが。しかし、その時にはタンク(戦車)が出て、みんなを殺したんですよね。それ以来、中国ではあれだけの規模の集会はないと思うんですよ。今回は上海だけではなくて、中国の全国各地でみんなが集まって抗議しています。なんだか、夢が叶ったような気分です。子どもの頃から、いつか自由が訪れるのかなと考えていましたが、きっとあと30年くらいはかかるんだろうなって。それが、習近平さんがゼロコロナによって、たった3年で叶えてくれたんです。もう逆に「ありがとう」って感じです」。
皮肉たっぷりに彼女の想いを語ってくれた。
最後に「どんな未来を創りたいのか」と聞いた。答えは現実を直視したメッセージだった。
「どんな未来を望むのか?そもそも、未来はない。もうない。共産党は強い。多分、私たちが海外でどれだけ抵抗しても無駄だと思う。変わらない。でも、無駄だから言わない、はしない。無駄であっても、私たちはここにいる。だから言う。言えるから、言う」。
■「顔を隠してたまるか 人間のあるべき姿を」20代男性の声
TwitterのDMに、先日、見知らぬアカウントからメッセージが届いた。
「香港のことをいつも伝えて下さってありがとうございます。今度は私たちの集会があります。取材に来ませんか?」
メッセージにはポスター画像が添えられていた。
現場は上海での抗議行動、ジャーナリズムを教える復旦大学新聞学院。学生達を警察から守るため、2人の教授が警官隊の前に立ちはだかったという実際の写真が、ポスターのモチーフになっていた。
新宿駅での集会当日、携帯電話で連絡を取り合い、群衆の中から彼を見つけ出すことができた。周囲のシュプレヒコールで、インタビューの声もかき消されてしまいそうになる中、「私は昔から民主化を求めて、ほぼ亡命するような気持ちで、日本にやってきました」と、振り絞るように想いを聞かせてくれた。
「2019年までは、香港のデモの前は、中国などそちら辺に「絶望」していて、もう知らない、もう中国国内で何をやっていても、もう知らないという態度だったんです。しかし、独裁体制、独裁政権はそこで止まることなく、香港に手を出した。そこで自分は何もできなかった。当時もう日本にきていたので。何もできなかったという気持ちで本当に悔しくて。『香港で死ぬべきは、そういう若者たちではなくて、自分の方だ』と思ったり、それくらい悔しかったんです。今回はせっかくのチャンスというか、もう応援しないといけないと思い声を上げました」。
男性は、中国の故郷にいる時から、民主化を夢見ていた。「日本への留学は自分にとっては亡命のようなものだった」と打ち明けてくれた。この集会に参加することは、彼にとっても決して簡単な決断ではなかったことが語気から伝わってきた。
「ずっと、こういう「反体制」というか、中国に反するものにとっては自分の顔を隠すとかは「常識」みたいなものでした。しかし、今回何故、顔とかを隠さずにこういう行動をする勇気が出たか。そもそも上海とか、そういうところにいた人たちも、自分の顔などを隠してないのに、一番危険なところで顔を隠していなかった人と比べると自分は凄く安全な場所にいるのに、なぜ顔を隠すんだ、隠してたまるかという気持ちで、今日はこういう形で来ました」
集会で出会う中国の若者達からは、香港のデモについてもよく語られた。私は、2019年当時、現地で多くの若者が逮捕され、暴力で弾圧されていく様を目の当たりにした。投獄された友人もいる。取材者という立場ではあるものの、なすすべもなく次々と香港の自由が奪われていく様子に無力感を感じることもあった。
しかし、あれから3年。中国の若者たちは彼らの声を聞いていたことを肌で実感した。「もう黙らない。今度は私たちが声を」と襷が渡されるのを目の当たりにし、胸に迫るものがあった。
最後に、男性にはこう聞いた。「なぜ自由を求めるのですか?なぜ民主主義を求めるのですか?」と。
「それはわからないです。本能です。逆に聞きます。なぜ支配されなくてはいけないのですか?なぜ文句を言っちゃいけないのですか?文句さえ言えない国だなんて、おかしいでしょ。我々人間が生まれた時、原始人の頃、習近平体制の支配はありましたか?あるわけないでしょ。おかしいでしょ。ですから、自由というのは、生まれつきの権利。それこそ、人間の在るべき姿なのだと思います」。