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「なぞなぞ」が教えてくれた「水の正体」。『世界なぞなぞ大事典』で「答えが水」のなぞなぞを集めてみたら

橋本淳司水ジャーナリスト。アクアスフィア・水教育研究所代表
筆者撮影

「なぞなぞ」によって「水とは何か」にせまる

『世界なぞなぞ大事典』(柴田武、谷川俊太郎、矢川澄子編/大修館書店)という1200ページにもおよぶ分厚い書籍がある。世界70か国から6600ものなぞなぞを集め、原文、和訳、印象的なイラストで構成されている。さまざまな国や地域の文化や風俗を感じることができ、筆者のような「なぞなぞ好き」はページをめくるだけでわくわくするが、あるときこんなことに気づいた。

「この本は、ある物事をどうとらえているかがわかるんじゃないか」

なぞなぞをつくる場合、はじめに頭に浮かぶのは物事(=答え)のほうだろう。ある物事の特徴に気づき、次にそれをどう伝えようかと問題文を考える。たとえば、答えが「ケーキ」のなぞなぞをつくろうと、「ふわふわのスポンジにあまいクリームがのっているものなあに?」などと問題文をつくるのではないか。

長年、水について調査してきたが、「水とは何か」を一口に語るのは難しい。もしかしたら、なぞなぞによって迫れるかもしれないと、『世界なぞなぞ大事典』から答えが「水」のなぞなぞを集めてみた。

水とは切れないものである

まず、水が切れないことに注目しているなぞなぞ。

「どんなに切っても切れないものはなあに。」(ネパール)

「いくら切っても切れないし、いくら割っても割れないものは。」(リトアニア)

「切ってもどこで切ったかわからないものはなあに。」(プエルトリコ)

「斬っても切れない。殺しても死なない。」(ビルマ)

「殺しても死なない」ということは、水は生きていると考えられているのだろうかと思いながらも調べていくと、踏むや噛むもあった。これも切るの仲間と考えていいだろう。

「踏んでも踏んでも踏めないものはなあに。」(琉球)

「噛もうとしても噛めないが、たやすく飲み込める。」(アゼルバイジャン・アルメニア)

液体の水は分子と分子の結びつきが弱いので、切ってもすぐにもとの形に戻ってしまう。その不思議さに注目したのだろう。

筆者撮影
筆者撮影

水とは生命を育み、奪うものである

次に水と生命の関係に注目しているなぞなぞ。

「私たちがそれを食べればこの世にいられて、それが私たちを食べたら死ななきゃならないものなあに。」(タイ)

「なければみんな死んでしまうが多過ぎてもみんな滅びてしまうものはなあに。」(ルーマニア)

「生き物を生かすも殺すも自分の勝手。でもそれ自身生きたものではない。」(アラブ)

私たちは毎日2リットル程度の水を飲むことで生命を維持しているが、洪水や津波などで水にのみこまれて生命を失うこともある。水と私たちの暮らしには、恩恵と脅威の部分があることを端的に教えてくれる。気候変動によって干ばつや洪水が増えると、こうしたなぞなぞのことを思い出すことが多くなるのかもしれない。いや教訓ととらえて備えることにしよう。

水とは高いところから低いところへ流れるものである

水が流れることに注目したなぞなぞには、

「下へ下へと行くものは何か。」(琉球)

「足は無くともあらゆる方角に歩いてゆく。」(アラブ)

などがある。

筆者撮影
筆者撮影

老子は「上善若水」と言い、水を人の生き方の見本とした。老子が注目したのが水が下に流れることだった。山に降った雨は流れて川となり海に出る。陸地にとどまる水は低い所に落ち着く。そうした水の様子を見て、老子は「何事にもあらがうことなく生きるものの象徴」ととらえた。

水とは力持ちである

だが、水はいつも静かというわけではない。勢いよく流れながら、地面や岩を削る。

筆者撮影
筆者撮影

「足がないのに走り、シャベルがないのに掘るもの。」(モンゴル)

「はいまわって石を舐め勢いよくぶつかってそれを取る。」(ユーゴスラビア)

などはそうした面をとらえている。流れる水には、土を削り、けずった土をおし流したり、積もらせるはたらきがある。水の量が増えると水の流れは速くなり、削ったり押し流したりするはたらきは大きくなる。

水の力強さを別の面から注目したなぞなぞもある。

「この世で一番強い飲み物は何か。」(オーストリア)

「背に船を乗せ土手で止まり、機械や車輪を動かす。」(ハンガリー)

水に浮かべて運べるものと沈んでしまうものに注目したなぞなぞもある。

「大きな丸太は運べるけれど、針は運べないものなあに。」(フィリピン)

「地上の重荷をあらん限り支え持つ。でも半ディルハム貨(ウマイヤ朝の硬貨)の重さの荷すら背負うことができない」(アラブ)

大部分の木は水に浮く。この性質を利用して丸木船や筏を浮かべ、人間は水上を自由に移動するようになった。大型帆船が世界の海を駆けめぐった大航海時代をへて、船の素材は鉄に変わり、近年になると巨大タンカーも登場した。

筆者撮影
筆者撮影

船が水に浮くのは、船の重量が水に支えられているから。船の重さによって下に働く力と水が船をもち上げる力とが同じ。

水に浮かんだ木片を沈めようとしたとき、小さい木片は比較的簡単に沈められるが、大きい木片は浮力が大きいのでなかなか沈めることができない。船の体積を大きくすることができれば、重い鉄の船でも水に浮く。

なぞなぞでは、針やコインはもちあげられないことになっているが、コップに水を満たし、そっと針やコインを浮かべたらどうだろう。水の表面張力がはたらき浮かべることができる。

水とは循環するものである

最後に水が循環することに注目したなぞなぞを紹介しよう。

「土の中に家があり地中に王国がある。天にも昇るが再び帰ってくる。」(キューバ)

「時として山のふもとで見かけるかと思えば、時には雲のかかる山頂で競い合っているのも見かける。」(アラブ)

「雲までのぼり稲光がすると降りてくる。川の中を走り、海に落ち込む。また上に登り雨が降ると降りてくる。」(ギリシア)

「雲を妹に、泉を母とし、古きドナウ川の中にもある。ザブーン、ザブーンと河岸を洗い、海へと急ぐ。私を求めて井戸が掘られ、時に草露となり、時に岩をも穿ち、熱い鍋にはブクブクいい、銀色に輝く。」(ハンガリー)

水は、空、陸、海をめぐる。目には見えないが、ぐるぐるめぐる。休むことなくめぐる。

海、川、湖、沼などの水は、絶えず蒸発する。蒸発した水は水蒸気となり、空高くのぼっていく。立ちのぼった水蒸気は、気温の低いところまでいくと、とても小さな水や氷のつぶとなる。これが集まったものが雲だ。小さな水や氷のつぶはくっつきあってさらに大きなつぶとなる。大きなつぶはその重みで落下し、雨や雪となって地上におりてくる。雨の多くは、海へ降る。残りは、陸に降る。陸に降った雨の、一部は地面にしみこんで地下水となる。地表の近くの地下水はわき出して川になる。地面にしみこまなかった水も、地表を流れて川になる。川はやがて海へ出る。海へ流れでた水は、ふたたび蒸発する。この目に見えないぐるぐるによって多くのいのちが育まれる。わたしたちがふだん使っている水は、すべて循環のなかにある。

それにしても水の循環に注目したなぞなぞの言葉のなんと深いことか。キューバのなぞなぞからは地中奥深くの水と天界の水のつながりが、ハンガリーのなぞなぞからは食卓の鍋の水と雲や泉とのつながりまで見えてくる。

『世界なぞなぞ大事典』から「水とは何か」を考えてみた。見えてきたのは、「水とは切れないもの」であり、「水とは生命を育み、奪うもの」であり、「水とは高いところから低いところへ流れるもの」であり、「水とは力持ち」であり、水とは「循環するもの」であった。

みなさんも気になる物事について、『世界なぞなぞ大事典』で調べてみてはどうだろう。

水ジャーナリスト。アクアスフィア・水教育研究所代表

水問題やその解決方法を調査し、情報発信を行う。また、学校、自治体、企業などと連携し、水をテーマにした探究的な学びを行う。社会課題の解決に貢献した書き手として「Yahoo!ニュース個人オーサーアワード2019」受賞。現在、武蔵野大学客員教授、東京財団政策研究所「未来の水ビジョン」プログラム研究主幹、NPO法人地域水道支援センター理事。著書に『水辺のワンダー〜世界を歩いて未来を考えた』(文研出版)、『水道民営化で水はどうなる』(岩波書店)、『67億人の水』(日本経済新聞出版社)、『日本の地下水が危ない』(幻冬舎新書)、『100年後の水を守る〜水ジャーナリストの20年』(文研出版)などがある。

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