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私的興味の夏の甲子園!(11) 「野球の神様と、甲子園の風が味方してくれた」。今日の馬淵節

楊順行スポーツライター
2019年夏の決勝から。早くこういう日が戻ってほしいですねぇ(写真:アフロ)

「44番、引かんとってくださいよ」

 明徳義塾(高知)・馬淵史郎監督は、第1試合で勝った智弁学園(奈良)・小坂将商監督にそういわれたそうである。第2試合に登場の明徳は、智弁学園と同じ三塁側ベンチ。その、入れ替わりのときの話だ。

 智弁はベスト8進出を決めたあと、準々決勝の対戦相手を決める抽選で、第3試合の三塁側を引いた。仕組みはわからないが、44番というのは、その智弁と対戦するクジのことなのだろう。「引かんとって……」というのは、「当たったらイヤやな……」という、小坂監督から馬淵監督へのけん制球、というわけだ。

「こっちは、これから勝つか負けるかの試合だというのに……(笑)。ただ、いずれにしても智弁は、勝ち進めばどこかで当たらなければならないチーム。胸を借りるだけですわ」

 松商学園(長野)に2対0で勝ったあと、明徳の主将・米崎薫暉が引いたのが、まさにその44番。第96回大会以来、甲子園では2度目の対決が実現することになる。

 それにしても、この日の明徳は「野球の神様と甲子園の風が味方」(馬淵監督)してくれた。1、2回戦とは別人のようにストレートが走り、カットボール、カーブといった変化球もよくキレた代木大和が、初戦で17得点している松商打線を3安打完封。打っては、代木と加藤愛己がそれぞれソロホームランを放った。馬淵監督はいう。

「浜風が強いし、今日は試合前から、風が勝敗を左右するというとったんです。そしたら代木の(ライトへのホームラン)は、ふつうならファウルになるのに右から左への風が押し戻してくれた。加藤の(レフトへのホームラン)は、強い風が押してくれた。本来、ホームランで勝つようなチームじゃないんですけどね」

 明徳はこれで、甲子園春夏通算62勝。名門・高知商を抜いて、県勢ではトップの全国12位タイとなった。そのうち、馬淵監督の勝ち星は54を数える。

明徳の監督として30年余で甲子園54勝

「ワシ? ワシの野球人生は波瀾万丈よ」

 とは、かつてご本人から聞いた話だ。愛媛県八幡浜市出身で、三瓶高から拓大へ。1年から正遊撃手となったが、ずっと東都の2部だった。拓大卒業後は「野球はやりきった」と愛媛・松山の鉄パイプの販売会社に就職。「上司とそりが合わず、なぐってすぐに辞めたよ」。今度はプロパンガスの会社に就職するが、運命の分かれ道は1982年だ。三瓶高時代の恩師・田内逸明氏が、復活する社会人野球の阿部企業の監督に就任し、マネジャー兼コーチとして強く誘われる。

 野球とは縁を切ったはずなのに、いまさら……と困惑したが、結局「1、2年、基礎を作るお手伝いを」ということで、阿部企業のある神戸に。だがその1年後に恩師が急逝し、成り行き上、監督を引き受けざるを得なくなった。その後、精力的な選手集めと指導で、弱小だった阿部企業を強化し、86年には日本選手権で準優勝すると、それを置きみやげに「もう義理は果たしたやろ、辞めどきや」と故郷に戻った。

 先輩が支社長をしている縁で、宅配便の運転手をしているとき。同じ田内氏の教え子というつながりから、当時の明徳義塾監督・竹内茂夫氏に誘われ、練習の見学に出向く。阿部企業の監督時代に、明徳から選手を採用していた義理もあった。

「いまでも覚えとるわ、87年5月13日。車ひとつ、手ぶらで明徳に来て、もう帰らんでええ、テレビも布団も練習のユニフォームもあるから、明日から練習を手伝ってくれといわれて……」

 監督就任は90年。91、92年と連続して夏の甲子園に出場したが、この92年には、松井秀喜(星稜・石川)の5打席連続敬遠が物議を醸した。このときの騒動以来明徳は、春夏3年間、甲子園から遠ざかることになる。

「そのときには、辞めようかと思って辞表を校長に持っていったんよ。ただ欲をいえば、もう1回甲子園行くまでやらせてくれ、と。松井の敬遠でぽしゃったといわれたらワシの人生、つまらんからな」

 もうひとつ忘れられない試合は、怪物・松坂大輔(現西武)擁する横浜(東神奈川)との準決勝で、6点をリードしながら残り2イニングで逆転負けした98年の夏だ。

「渡辺(元智・元横浜監督)さんはあのとき、55歳になる年。ワシもあと3年で55じゃけど、渡辺さんのような野球ができるかの?」

 と話していたのは、2002年の夏前だ。いやいや、あと3年どころか、念願の全国制覇を果たすのはその夏の甲子園、松井の5敬遠からちょうど10年後だった。優勝したあと、「いま、なにをしたいですか?」と問われて、

「漁師町の生まれじゃからね、魚にはうるさいんよ。早く高知に帰って、うまいカツオを食いたいわ」

 鍛治舎巧監督との、社会人野球監督経験者対決だった県岐阜商との1回戦、157キロ右腕・風間球打を攻略した明桜(秋田)との2回戦、そして松商学園戦を勝った馬淵監督。54勝は単独第4位で、ちょっと気は早いが、優勝して3勝を足すと57勝となる。これは現役では、大阪桐蔭・西谷浩一監督を抜いてトップの数字だ。さてさて、もし優勝したら、どんな馬淵節が聞かれるか……。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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