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オウム裁判で分かったこと、残る謎

江川紹子ジャーナリスト・神奈川大学特任教授
法廷での高橋克也被告(無断転載厳禁)
法廷での高橋克也被告(無断転載厳禁)

17年間の逃亡生活を経て、地下鉄サリン事件など5つの事件で起訴された高橋克也被告に対し、東京地裁は無期懲役の判決を言い渡した。彼は、一連のオウム事件に関わった最後の被告人。控訴すれば裁判は続くが、控訴審では多くの証人を呼んで一から事実を調べる審理は通常行われない。この一審判決で、幹部や信者ら192人が起訴されたオウム裁判は、事実審理は事実上終わり、大きな区切りを迎えた。

最後の一人まで裁判に

オウム裁判を伝えるテレビの報道では、しばしばキャスターやコメンテーターが「まだなにも分かっていない」とコメントする。文頭に「大事なことは」「肝腎なことは」などという断りがつくこともあるが、とにかく裁判では「なにも分からなかった」ということが強調されがちだ。

これを鵜呑みにしてはいけない。

海外で起きたテロ事件では、実行犯が自爆したり当局に殺害されたりすることが少なくない。類例をみない大規模な化学テロである地下鉄サリン事件を含むオウム事件では、教団ナンバー2の村井秀夫幹部は殺害されてしまったが(その損失がとても大きかったのは確かだが)、それ以外の関係者は、教祖である麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚を含め、逃走していた最後の一人まで裁判にかけた。そして、裁判では実に多くのことが明らかになった。このことは、法治国家として誇ってよいと思う。

いろんな事件があった

一言でオウム事件と言っても、様々な種類の事件があった。たとえば……。

対外的な無差別殺人…地下鉄、松本両サリン事件のほか、未遂に終わった新宿青酸ガス事件など。

敵視した相手など特定の個人を狙った殺人…坂本弁護士一家殺害、猛毒の化学兵器を使ったVX事件3件、信者をスパイと誤解したリンチ殺人、教団の過去の事件を知る者の脱会を阻止するための殺人、施設から信者を助け出そうとした元信者の殺害などもあった。

教団武装化のための犯罪…サリンの製造、サリンプラントの建設、自動小銃密造、企業侵入など。

人集め・金集めに関わる犯罪…信者である女優の娘や脱会した元信者を拉致・監禁。資産を奪うために信者の親を拉致する事件も。假谷さん拉致事件も、資産家の在家信者が姿を見せなくなったことから、兄が隠してくると疑って起こした。

信者の心の支配の為の事件…全身麻酔薬、覚せい剤、LSDなどを密造し、儀式と称して信者に注射したり飲ませるなどして使用。

組織防衛のための捜査攪乱や犯罪隠蔽…無理な修行をさせて亡くなった信者の遺体を焼却・廃棄。捜査が迫ると、好意的な宗教学者の自宅に爆弾を仕掛けたり、自分たちの施設に火炎瓶を投げたりする自作自演を行い、都知事宛に爆弾を送り付ける事件も。

複数の範疇にまたがる事件もある。たとえば地下鉄サリン事件は、対外的な大規模テロ事件であるが、その目的は社会を混乱に陥れて、教団への捜査を阻止、もしくは遅らせる組織防衛のためだった。

裁判で死刑判決が確定した者は、教祖を含めて13人。無期懲役刑を受けたのは、高橋被告で6人目だ。一連の事件では、多くの被害者を出した。起訴された事件だけで、死者は29人、重軽傷者は約7000人に上る。このほかにも、教団施設の中で無理な修行などで人が亡くなったのに、時効や証拠不十分で立件されていない事件もいくつかある。そういう意味では、全てのオウム事件が解明された、というわけではない。

重大事件には教祖の指示があった

それでも、起訴された事件については、それぞれの事件の関与者、事実経過、被害状況などが1つひとつ明らかにされた。その多くは、教祖麻原の指示や方針に基づいて起こされている。殺人事件では特に、麻原は実行犯の人選から犯行の方法まで、細かい指示を与えている。

殺害された坂本弁護士一家
殺害された坂本弁護士一家

たとえば、1989年におきた坂本弁護士一家殺害事件。彼らは当初、オウムへの批判キャンペーンを展開した『サンデー毎日』の牧太郎編集長(当時)を襲うつもりだった。薬物を注射して殺害する話し合いが、麻原と村井、新実智光死刑囚、早川紀代秀死刑囚ら5人の幹部・信者で行われた。ところが、牧編集長は会社に泊まり込むことも多く、行動が一定しないため狙いにくい、という話になり、突然、麻原が「坂本弁護士はどうか」と言い出した

「坂本を放っておくと、将来、教団にとって大きな障害となる」

この教祖の言葉で、ターゲットは牧氏から坂本弁護士に変更。坂本弁護士が仕事から帰宅する途中、路上で殴りつけて車に引き込むこととし、空手が得意な端本悟を加えるよう、麻原から指示があった。

ただ、彼らが実行に着手した日は休日。坂本弁護士も仕事を休み、昼間は家族と外出し、早々に帰宅していた。夜、横浜市磯子区のアパートにある坂本宅の偵察に行った岡崎一明死刑囚が、玄関の鍵が開いているのに気づいた。それを聞いた早川が、教祖に電話で報告。すると、麻原は「家族ともどもやるしかないな」「寝静まってからがいいだろう」などと指示した。これで一家襲撃が決定。そして、6人の実行犯は指示通りに、未明に坂本弁護士宅になだれ込んだ。妻都子さんが「子どもだけは…」と必死の命乞いをしたが、無視。1歳2ヶ月の長男龍彦ちゃんを含む一家3人が首を絞められるなどして殺害された。遺体は、やはり麻原の指示で、ドラム缶に詰めて運ばれ、山奥の3カ所に分けて埋められた。

殺害された龍彦ちゃんは、1988年8月生まれ。大リーグのヤンキースで活躍の田中将大選手や卓球の福原愛選手、元AKBの大島優子さんなどと同い年だ。こんな事件に巻き込まれなければ、龍彦ちゃんも今頃は、社会に出て、自分の道を切り拓いていただろうに……。

教祖の巧みな人心掌握術

95年2月の假谷さん拉致事件でも、麻原は細かい指示を出している。ボディーガードを排除するために教団が開発したレーザー銃を使うことにし、その射手として平田信を指名。車に押し込む拉致役の一人に、武道が強い信者のIを使うように命じた。彼に假谷さんの首を絞めさせるよう指示したのも麻原だった。Iは、こうした犯罪に関わるのは初めて。殺人に手を染めさせることで、後戻りできないようにさせるつもりだったのだろう。

実際、端本死刑囚のように、坂本弁護士一家の事件に関わったことで、逆に教団や教祖から離れられなくなった例もある。麻原は、そんな人の心理につけこんだ人心掌握に長けていた。

オウムは、様々な手法を駆使して、信者の心を支配し、教祖を絶対的な存在と教え込むことで、一人ひとりが自分自身で考える力を奪っていった。彼らも、教祖からの指示を、どう実現するか、という手段については考える。しかし、その指示そのものが正当であるか、倫理にかなっているか、などは考えない。

教団では、麻原は6つの神通力を体得していることになっていた。その1つに、「他心通」と呼ばれ、他人の心を読み取る力がある。ところが、麻原は教団内にスパイが入り込んでいると疑い、麻酔薬を使って反覚醒状態にしたところで話を聞き出す「ナルコ・インタビュー」で信者のチェックを行ったり、スパイと思い込んだ信者を凄惨な拷問で自白させようとした挙げ句に殺害した事件もあった。本当に「他心通」があるなら、スパイがいればたちどころに分かるはずである。そういう矛盾を矛盾と思い、考えることをしないのが、オウム信者だった。

「体験」で信者の心をコントロール

そのような心理状態を作り上げるのに、とりわけ役に立ったのが、様々な「体験」だった。信者達の中には、激しいヨガの行法で肉体が極限状況に追い込まれたり、教祖が額に当ててくれた指に集中している際に、光などの幻覚を見たり、熱いものが体の中を上昇するような感覚を味わうなどの「体験」をする者がいた。こうした「体験」は、伝統仏教の修行者でも体験している人はいる。だが、伝統仏教では、そうした「体験」に惑わされないように戒められる。ところがオウムは、これを「神秘体験」と位置づけ、教義や修行法の正しさを示し、教祖の特別なエネルギーを証明するものだとしてきた。

自身の体で経験した信者は、家族がオウムのいかがわしさなどを指摘しても、聞く耳を持たない。むしろ反発し、教団に入れ込んでしまう。そのうえ、信者は容易に教団から自ら離れることができない。坂本事件以降、サリンやVXを使った事件、強制捜査が始まってからの都庁爆弾事件に至るまで、多くの事件に関わってきた中川智正死刑囚などは、その典型だ。

中川智正死刑囚
中川智正死刑囚

このような「体験」の呪縛力に味を占めたのだろう。オウムは、覚せい剤やLSDなどの違法薬物を使って、信者に疑似「神秘体験」を味わわせることにした。

他にも、睡眠時間を極限まで削ったり、情報をコントロールするなど、人の心を支配するための、様々な手法が使われた。「真理」から離れれば、死後に地獄に落ちると教え、その恐ろしさを、薬物体験を利用しながら、たっぷりたたき込んだ。信者の中には、やっとの思いで教団施設から脱出したのに、地獄の恐怖がこみ上げてきて、「教祖から教団を離れる許可を得たい」と思いつき、のこのこ教団施設に舞い戻り、そこで捕まって監禁された者もいる。

誰もが吸い込まれる可能性が…

オウムに引き寄せられたのは、10代後半から30代前半の若者が多かった。入信の動機は様々。法廷での被告人質問を聞いていると、自分の生きがいや居場所を探し求めている中で迷い込んだり、引き込まれたりした人が多いようだ。初期には元々宗教に関心があった人が結構いたが、全体としては、無関心派の方が多いだろう。新興宗教は嫌っていて、別の団体の勧誘はきっぱり断ったのに、オウムにはのめり込んでしまった、という人もいる。健康のためにヨガ教室に通っていたつもりが、そこが実はオウムの道場で、そこでの人間関係で引っ張られた人も少なくない。

こういう人が入りやすい、といった傾向をみつけるのは難しい。都会で生まれ育った人も、地方出身者もいる。大家族からも母子家庭からも信者は生まれている。実家が裕福な者も貧しい者もいる。人間は生まれて死ぬまで順風満帆でいられるわけではない。たまたま悩みを抱えている時に勧誘を受けるなど、不幸にしてタイミングが合ってしまえば、誰でも巻き込まれる可能性があった。あえて言うと、まじめに自分の人生を考える人が、吸い寄せられやすかった。

教団幹部に、有名大学の理科系学部や大学院を出た人が目立つのは、そうした大学で麻原の講演会を開くなど、教団が積極的なリクルート活動を行ってきたからだ。しかもオウムの中は、現実社会以上の学歴社会で、有名大学出身の理系信者は、早くに昇格する傾向があった。

凶悪事件に関わって重罰を受けた人達も、教団に入る前から、自分の目的のためには人の命を奪っても構わないといった特異な価値観を持っていたわけではない。だが、教祖に心酔し、彼を絶対的存在と崇め、その教えはすべて肯定的に受け入れるようになる。それまで学んだ知識より、世の中の常識より、法律などのルールより、教祖の言うことが高い価値があるとされ、その教祖が説く「ヴァジラヤーナの教え」に染まっていった。

凶悪犯罪や武装化の背景にあった「ヴァジラヤーナ」

オウムのサティアン群。(1995年3月末藤田庄市氏撮影)
オウムのサティアン群。(1995年3月末藤田庄市氏撮影)

「ヴァジラヤーナの教え」は、それまでの教義に輪をかけて、自分を無にして教祖のクローンとなるよう、「帰依心」を求める。そして、目的完遂のためには、手段を選ぶ必要がない、と強調する。 それまでの教えでは、動物や虫に至るまで「不殺生」を掲げていた。ところが「ヴァジラヤーナ」では、「生きていていても、悪業を積み、死後地獄に落ちてしまう」と教祖が判断した者は、むしろ殺害して、悪業を重ねるのを止めてやることがその人のためになる「救済」だ、と説く。この理屈で、敵視する者を殺害することを正当化。教団を武装化し、創価学会や幸福の科学など、オウムより多くの信者をもつ宗教のトップを攻撃を企てた。現代人はすべて悪業を積んでいるとして、生物兵器や毒ガス兵器で大規模殺人も計画した。

サリンを70トン製造し、東京都内に撒布する計画もあった。サリンを大量に製造するためのプラントを建設し、ロシアから軍用ヘリコプターを輸入し、農薬撒布用のラジコンヘリ2機も購入した。ただし、プラントは未完成で、このラジコンヘリは、いずれも操縦の練習中に大破した。この当時に小型無人機「ドローン」があれば、オウムは真っ先に利用していただろう。

自動小銃の密造も行われた。AK74のコピー1000丁と銃弾100万発を作るのが目標。ただ、部品作りに配属された信者たちには、その目的がきちんと説明されないまま、漫然と作業を行っていたため、不良品が多く、試作品一丁が組み立てられただけだった。

こうした武装化は、村井幹部が率いる「科学技術省」、遠藤誠一死刑囚、土谷正実死刑囚の「厚生省」を中心に行われたが、土谷が作った化学兵器を除くと、失敗も多かった。

たとえば、”レーザー兵器”。井上嘉浩死刑囚が率いる「諜報省」と称する組織が、企業に侵入して資料を盗み出すなどして情報提供し、村井らが作製。麻原は、平田信に命じて、これを競馬場で使わせた。本命の馬の目を狙って照射すれば、馬が驚いて番狂わせとなり、それで一儲けしよう、という企みだった。しかし、実際にやってみても、馬には何の影響もみられなかった。

假谷さん拉致事件の謀議が行われている時、麻原は急に思いついたように、「馬だ、馬だ、馬を使え」と言って、”レーザー兵器”を使うことを命じた。假谷さんにボディーガードがついていた場合、これで目を狙え、というのだった。そして、平田が実行犯に加えられた。しかし、犯行前に現場で通行人に向かって実験したところ、案の定、何の効果もなかった(仮に効果があった場合、大騒ぎになって、彼らはその場にいられなくなったのではないか?)。

こんな風に、彼らのやることは、身勝手で凶悪で残虐な一方、滑稽なまでのばかばかしさが共存している。計画性があるようで、その実、ほとんど思いつきと勢いだけで犯行に至っている。そのため、事件に関与した者が、どこまで本気で結果が求められているのか理解していないまま、なりゆきで加担しているようなケースもある。そういうこともあって、一応解明された事件でも、教祖がその意図を語っていないこともあり、全体像がクリアになっていない印象がある。

村井刺殺事件の真相は?

一方、裁判では、解明できなかった事柄もある。

たとえば、村井元幹部の死の真相。彼は、教団の東京総本部を取り巻く大勢の報道陣や警察官がいる場で、暴力団員の男に刺された。その状況はテレビカメラが映しており、男はその場で捕らえられた。裁判では、暴力団幹部の指示でやったと述べ、懲役12年の判決となった。その暴力団幹部も逮捕されたが、こちらは無罪。ではいったい誰の指示だったのか……。それが分からないままだ。

オウムの秘密を最も知っている村井の口封じのために、教団が依頼したのではないか、という見方もあった。ただ、実行犯の男は、服役を終えて出所後、民族派団体「一水会」最高顧問の鈴木邦男さんに対し、「オウムは許せないと思い、青山、上祐、村井の誰でもいいから殺ろうと思った」と述べている。男の話が真実なら、村井がやられたのは、たまたま……ということになる。

地下鉄サリン事件にも未だ未解明な部分が

井上嘉浩
井上嘉浩

一連の事件の真相解明においても、村井がいないために、詰め切れない部分がある。たとえば地下鉄サリン事件。実行犯らが事前に教祖から直接指示を受けたわけではなく、村井や井上を通じて指示が出されている。井上は、村井の指示を伝達したものと述べているが、村井の話が聞けず、それを確認する術がない。

地下鉄にサリンをまく話が最初に出たのは、事件の2日前の未明、都内から上九一色村の教団施設に戻る、麻原専用リムジン車内。強制捜査が迫る中、対策を話し合う中での井上発言がきっかけだった。ただ井上は、村井が地下鉄にサリンをまくことを提案し、自分はサリンの使用に消極的だったため、教祖は「サリンじゃないとダメだ。井上、お前はもういい。村井、お前が総指揮でやれ」と命じたと証言している。これが、自身の関与を薄めるための創作や脚色なのか、それとも真実なのか、これまた確認のしようがない。同乗していた幹部らも、この場面については「聞こえなかった」「寝ていた」としてはっきりした証言をしない。この時に井上がサリンの中間生成物がある、と教祖に進言したとの見方もあるが、井上はそれを否定する。

サリンやその中間生成物は、1995年1月1日付読売新聞が、教団施設周辺からサリンの副生成物が検出されたと報じた直後に、教団は慌てて分解し、すべて処分したはずだった。ところが、この作業を行った中川が、メチルホスホン酸ジフロライド(ジフロ)を分解しないまま、教団施設内に隠し持っており、それを使って急遽サリンが作られた……というのが、検察側の見立て。判決もそれを受け入れている。

ところが、当初は検察の見立てを認めていた中川が、その後、ジフロを隠していたのは井上で、教団施設外のアジトにあったと暴露した。これにより、井上の事件での役割がもっと積極的なものだったのではないか、との疑惑が持ち上がった。だが井上はこれを否定。ここも今なお未解明だ。

だからといって、事件の大筋が変わるわけではない。実行犯の林郁夫受刑囚は、村井から指示を受けた際、教祖の指名であることを暗に告げられているし、犯行後の実行犯らを、麻原は大いにねぎらっている。教義のうえでも、村井や井上らが教祖の指示なくして人を殺害することはありえない。麻原は、井上が暴走にして起きた事件としたかったようだが、それはいくら何でも無理な話だ。

しかし、全体像がはっきりしないもどかしさは残る。こうした事件はほかにもあり、さらに起訴されなかった事件もある(私の自宅に毒ガスホスゲンがまかれたのもその1つ)。今後は、裁判ではなく、様々な研究者やジャーナリストが、関係者に面談するなどして、裁判には出てこなかった事実も記録に遺せればよいのだが、中枢にいて教団の暗部を知っていた者の多くは死刑判決が確定しており、面会は家族や友人などわずかな人に限定されている。

判決後の記者会見に臨む高橋シズヱさん
判決後の記者会見に臨む高橋シズヱさん

地下鉄サリン事件遺族の高橋シズヱさんは、「アメリカの化学の専門家が中川死刑囚に会って話を聞いている。そういうことは大事だと思う。専門家の手を借りて、もっともっといろんなことを明らかにして欲しい。死刑を執行してしまえば、話を聞けなくなる。早期の執行より、そうした調査を優先して欲しい気持ちはある」と語る。私も同じ気持ちだ。

なぜ坂本事件で食い止められなかったのか

未だ解明できていない最大の謎は、オウム内部より、むしろ社会の側にある。なぜ、このような集団の暴走を、もっと早くに食い止められなかったのか、という問題である。

坂本弁護士一家は、事件から3日後の夜に、家族が警察に相談している。神奈川県警による非公開での捜査が始まった。この時点で、遺体を埋めたり、犯行に使った車の処分に出た実行犯らは、まだ教団本部に戻っていない。途中で報告の電話をよこした早川を、麻原は「いつまでかかっているんだ」と怒鳴りつけている。

坂本宅からは、オウムのバッジが落ちているのも見つかった。警察がすぐに本格的な捜査を行っていれば、実行犯らの異様な動きに気がついたかもしれない。ところが、一番肝腎な初動捜査で、警察はオウムをほとんどノーマーク。教祖が実行犯らを引き連れて、海外に出国してしまった。その後も、県警幹部が、まるで坂本弁護士一家が自ら失踪したような虚偽の情報を新聞記者に流すなど、どこまでまともに捜査をしているのか疑わしい状況だった。

事件から3ヶ月後、龍彦ちゃんを埋めた地図が警察と法律事務所に送り付けられた。実行犯の一人岡崎一明死刑囚がオウムの金を持ち逃げした後、麻原を脅すつもりで送ったものだった。警察は、これが岡崎が送ったものと突き止めた。ところが、おざなりな捜索で済ませてたために、遺体の発見に至らなかった。その後、地下鉄サリン事件後の捜査では、まさに地図が示した場所から発見されている。

早い時期に捜査がしっかり行われていれば、教祖に加え、村井、早川、中川ら実行犯を逮捕ができたのではないか。そうすれば、多くの被害者を出した松本サリン事件も、地下鉄サリン事件も起きることはなかったのでないか

では、いったいなぜ神奈川県警は、まともな初動捜査を行わなかったのか。この謎は、未だ未解明である。

同県警は、事件が解決した後の総括で、「粘り強い捜査」を行ったと自画自賛しており、この問題についてはまったく素通りしている。麻原の裁判で、この問題を検証するチャンスはあったが、弁護人は深く追及せず、やはり素通りしてしまった。

神奈川県警に限らない。そのほか、教団施設周辺の住民などから、様々な警察や行政に対して、様々な訴えがあったにも関わらず、地下鉄サリン事件が起きるまで、社会はオウムを野放しにしていた。どうしてそうなったのか。これは検証しておく必要があるのではないか。

教訓を若い世代に

このように、未解明那な部分があるとはいえ、捜査や裁判を通じて分かったことはたくさんある。分かったことは大事にしなければならない。

特に、ごく普通の若者が、教団に絡め取られ、殺人の指示まで唯々諾々と従っていった経過や、その心の支配のありようは、カルトから身を守る術を学び、自分や他人の人生を破壊する者が出るのを防ぐために重要な情報である。どうか若い人に伝えて欲しい。高校や大学、専門学校などでは、ぜひとも学生にしっかり教えて欲しい。事件の教訓を社会が学び、生かしていかなければならないと思う。

この4月に進学したり、就職や転勤をした人の中には、新しい環境に馴染めずにいる人もいるのではないか。そういう人は、カルトの格好のターゲットである。「アレフ」と名前を変えたオウムは活動中だし、カルトはオウムに限らない。気がついた人は、先生や上司に相談してみて欲しい。

ジャーナリスト・神奈川大学特任教授

神奈川新聞記者を経てフリーランス。司法、政治、災害、教育、カルト、音楽など関心分野は様々です。2020年4月から神奈川大学国際日本学部の特任教授を務め、カルト問題やメディア論を教えています。

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