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【大河ドラマ鎌倉殿の13人】承久の乱 北条泰時の子・時氏の奮戦と官軍の敗北

濱田浩一郎歴史家・作家

承久3年(1221)6月6日、北条時氏(泰時の長男)と北条有時(泰時の異母弟)は、軍勢を率いて摩免戸(現在の各務原市前渡)を渡りました。この鎌倉幕府軍の攻勢に、官軍(後鳥羽上皇方の軍勢)は矢を射ることもなく、敗走していきました。

官軍方の山田次郎重忠が残り、伊佐三郎行政と戦っていましたが、抗しきれずに、ついに逃げてしまいます。官軍方の鏡右衛門尉久綱という武士も、この場に留まり、姓名を旗に書いたものを高岸に立て、大江佐房と戦いました。

鏡久綱は「臆病な藤原秀康と組まされたために、思うように幕軍を叩くことが出来ず、非常に無念」と言い、自害しました。久綱は、旗の名前を見ながら悲しみの涙を流したそうです(『吾妻鏡』)。北条時氏の軍勢は、筵田(岐阜県本巣市)まで進みました。官軍30人ほどが待ち構えていたので、戦闘となります。

楯を背負う勇敢な官軍方の兵士が幕府軍を何度も射ました。北条時氏・三善康知・中山重継らの軍勢も、矢を射返します。官軍も奮戦したようですが、幕軍を破ることはできず、最終的には逃亡。これで、株川・墨俣・市脇の官軍の陣地が全て破られてしまうのでした。

歴史家・作家

1983年生まれ、兵庫県相生市出身。皇學館大学文学部卒業、皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。兵庫県立大学内播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師を歴任。『播磨赤松一族』(KADOKAWA)、『北条義時』『仇討ちはいかに禁止されたか?』(星海社)、『家康クライシスー天下人の危機回避術ー』(ワニブックス)ほか著書多数

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