【戦国こぼれ話】うれしい復活。徳川家康が愛飲した江川酒とは、どういうルーツを持つ酒なのか
先日の報道によると、徳川家康が嗜んだという、江川酒の製法が記された文献が万大醸造(静岡県伊豆市)で発見されたという。これにより江川酒が復活することになったが、どういう酒だったのだろうか。
■江川酒と江川氏
江川酒とは、その名のとおり江川氏が造った酒である。江川氏と言えば、伊豆韮山(静岡県伊豆の国市)で代官を務めた江川太郎左衛門(英龍、号・坦庵)が有名であろう。太郎左衛門は諸学に通じ、製作した韮山反射炉は世界遺産に登録されている。
江川氏は清和源氏宇野氏の流れを汲むといわれているが、中世における動向に関しては不明な点が多い。鎌倉時代になって、江川氏は大和を離れ、伊豆韮山に移った。江川英治は酒を造って北条時頼に献上し、美味であると賞賛されたという。ただし、それは系図に書かれたことで、にわかに信が置けない。
その後、長らく江川氏の酒造の記録は途絶えるが、戦国時代になって正英なる人物が登場する。正英は伊勢宗瑞(北条早雲)に仕え、あるとき宗瑞に酒を献上した。すると、宗瑞は美味であると感激し、その酒に江川酒の名を与えたという。これが江川酒のはじまりである。
それから北条氏は、江川酒を贈答品として諸大名に贈ることになった。永禄12年(1569)、北条氏政は上杉謙信に江川酒を贈った。また、氏政は織田信長にも江川酒を贈り、天正10年(1582)の武田氏滅亡を祝ったという。受け取った大名も、大いに喜んだに違いない。
■銘酒となった江川酒
やがて、江川酒の名は天下に広まるようになった。山科言継の日記『言継卿記』や連歌師・里村紹巴の紀行文『紹巴富士見道記』には、江川酒が銘酒として珍重されたことが記されている。ちょうどこの頃、日本酒は濁り酒から清酒へと変貌を遂げた時期である。
下総結城氏の分国法『結城氏新法度』には、客をもてなす際の酒として、江川酒の名が挙がっている。それは、銘酒として名高い天野(河内)、菩提山(大和)と並び称されるほどだった。江川酒が珍重されたのは、当時の記録類にも散見する。
慶長3年(1598)3月に豊臣秀吉が醍醐の花見を催した際、準備された銘酒の一つが江川酒だった。あの秀吉も、江川酒を堪能したのである。つまり、江川酒は信長、秀吉、家康という、3人の天下人に愛されたことになろう。
このように家康だけでなく、多くの戦国大名に愛された江川酒。私も日本酒が好きなので、復活が楽しみである。