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独立リーグ・「ユーチューバー球団」の今

阿佐智ベースボールジャーナリスト
昨年の健闘が嘘のように今シーズン、苦闘が続く福井ワイルドラプターズ

 昨年夏、人気野球系ユーチューバーが立ち上げた独立球団にフォーカスした記事を配信した。(「ユーチューバーが独立リーグを救う?トクサンTVの挑戦」, 2020.8.25配信, https://news.yahoo.co.jp/byline/asasatoshi/20200825-00192957/)。新生福井ワイルドラプターズは、昨年のルートインBCリーグで快進撃を続け、ポストシーズン進出を果たし、プレーオフ決勝まであと一歩のところで力尽きた。

 その後、「ワイラプ」はどうしているのだろう。気になって「その後」を追ってみた。

「セミプロ化」に舵を切ったBCリーグ

 福井県敦賀市。戦前は東京からヨーロッパに至る壮大な鉄路の旅の中継地点として栄えたこの町も、現在では日本の他の地方都市同様、生き残りに悪戦苦闘している。そのような地方都市の活性化にはイベントは欠かせない。独立リーグの公式戦もそのような人集めのイベントのひとつだ。昨年は県南部での公式戦開催はなかったが、市郊外の運動公園の野球場のスコアボード新調に合わせるかのように、ワイラプは旧球団ミラクルエレファンツ時代以来2年ぶりに敦賀の町に帰ってきた。

敦賀総合運動公園野球場
敦賀総合運動公園野球場

「昨年は、新球団発足ということで前準備が整わなかったんです。もちろん球団にはファンの皆様から試合開催の要望もございました。今年はおかげさまで敦賀方面にスポンサーさんもできましたので、試合をなんとかやろうとスケジュールを確保しました」

 BCリーグ本体から出向というかたちで福井球団の運営に携わっている小松原鉄平社長は、敦賀での試合復活の経緯を話してくれた。この日も、試合前のイベントの司会に、試合中の客席の消毒、試合後の資材の搬出など、梅雨明けとともに訪れた猛暑の中、動き回っていた。

 コロナ禍の中、変則的な地区割で臨んだ昨シーズン、ワイラプはリーグ加盟12球団中最高の0.827という記録的な勝率でレギュラーシーズンを終え、2年ぶりのポストシーズン進出を果たした。ところが、今シーズンは一転、12球団中最低の0.263という低い勝率で西地区最下位を「独走」している。ワイラプとは対照的に昨シーズン0.130という記録的な勝率に終わった同じ西地区のライバル球団、オセアン滋賀ブラックスがチームを刷新し、首位争いを演じている中、両チームの立場は完全に入れ替わってしまった。

 その最大の要因が、チームの資金不足にあることを小松原は否定しない。

 BCリーグは、今シーズンから選手契約をA、Bの2段階制に改めた。独立リーグは「プロ」を標榜している。したがって、選手に報酬を支払うのはある意味当然と言えるのだが、リーグ当局は従来の報酬の支払いを前提とした選手契約を「A契約」とし、それに加えて無報酬の「B契約」を導入したのだ。従来も、独立リーグには報酬のない「練習生」という身分があったのだが、練習生が出場選手登録を外れたいわゆる「リザーブ」であるのに対し、B契約選手はロースターに入り、公式戦にも出場する。

 B契約選手は、生活費を練習生同様他職で稼ぐことになる。選手の立場からすれば、野球に専念したいがゆえに独立リーグに入ったのに、アルバイトをしながらの選手生活では、ドラフト指名という究極の目標がさらに遠のくのではないかという感じがするが、小松原は、それも現状を考えるとある程度いたしかたながないと言う。

「(資金難の)うちの球団のためにできたような制度です。でも、実際稼げてませんから。プロとしてスタンドにお客さんを呼び込めていないのに、報酬だけもらうというのも人間形成上どうかと思うんですよね。野球で報酬が欲しいなら、ファンを呼び込めるくらい自分を高めなきゃ」

 小松原自身、現役時代は無報酬の独立リーグでプレーしていた。その経験ゆえの厳しい言葉だが、現実には「プロ野球」である以上、選手の待遇格差はそのまま成績になって表れている。現実には、他球団はB契約制度を採用せず、ワイラプのみがこの「ゼロ円契約」制度を採用している。その上、A契約選手は9人のみである。報酬も月10万円と独立リーグ最低レベルだ。いくら「NPBへの修行の場」と言えども、待遇が良くなければその目標に邁進することも難しい。

北海道のリーグからより高いレベルを求めてトライアウトを経てBCリーグへ移籍してきた輪田涼投手
北海道のリーグからより高いレベルを求めてトライアウトを経てBCリーグへ移籍してきた輪田涼投手

 この日先発した輪田涼投手も「B契約選手」のひとりだ。中央球界では無名の釧路公立大学から昨年発足した北海道の独立リーグに進んだのは、NPBを目指したいという一心だったと彼は言う。

「北海道ベースボールリーグ時代も給料は出ませんでした。あそこは球団が世話してくれるアルバイトをしながら野球をするんです。こっちも似たようなものですけど(笑)。でも、やっぱり何人もNPBに選手を送り込んでいるだけあって、レベルが違います。実際マウンドに立ってみて、向こうリーグだったら対戦相手の3人くらいいる『すごい打者』が、こっちでは『当たり前』みたいな感じですね。去年までは打ち取れていた球が、BCリーグでは、ファールされたりヒットにされたりします」

 その言葉どおり、この日の輪田はいきなり先頭打者にセンター越えのツーベースを許すと、2アウトから連続四球を与えてしまい、その間に自らのワイルドピッチで先制を許す。その後も味方の連続エラーもあり、いきなり4失点を喫した。2回は3者凡退に抑えたものの、3回1アウトからツーベースを打たれ、またもやワイルドピッチでこのランナーにサードベースを与えてしまう。その後、連続ヒットを打たれたところでお役御免となった。

 彼ら「B契約選手」は、試合のない平日に行われる全体練習にほとんど参加できない。要するにアピールの場がないのだ。試合日以外は球団があっせんしてくれる仕事に従事することになる。輪田の場合、これで月7、8万円を得ていると言うが、アパートの家賃3万円を差し引くと、生活費はギリギリだろう。現場を預かる監督としては、全体練習に参加するのが、主力である9人の「A契約選手」と、試合に出場できず、したがって試合日にアルバイトに行く「練習生」で、一番調子を見極めたい「B契約選手」がいないと試合のスターティングメンバーを決めるのにも難渋するのが現実だ。

「ナイターの日は、早出の練習ができますが、デーゲームが多いですからね。結局、前の試合の調子でメンバーを決めているのが現状です。」

 と言いながらも、福沢卓宏監督は育成という独立リーグの本来的な意義から、輪田のような「B契約選手」にも極力チャンスを与えているようだった。

「地元」に帰ってきた「根尾世代」

「第2の故郷」敦賀での凱旋を果たした阪口竜暉
「第2の故郷」敦賀での凱旋を果たした阪口竜暉

 低迷するチームの中で4番を任されているのは若干21歳の阪口竜暉だ。大阪出身の彼だが、福井の強豪、敦賀気比高で高校時代を過ごした。3年前の夏、「金農旋風」に沸いた夏の甲子園第100回記念大会に彼も4番打者として出場していた。あの夏、日本中を熱狂の渦に巻き込んだ決勝戦のメンバーからは、「主役」を演じた金足農業高校の吉田輝星(日本ハム)の他、優勝した大阪桐蔭高校から根尾昂(中日)、藤原恭大(ロッテ)など5人が高卒でプロ入りを果たしている。

 志望していたプロ入りを果たせなかった阪口は、社会人野球の強豪、熊本ゴールデンラークスに進んだ。ここでも彼の打力は光り、早々に主軸を打つようになったのだが、チームの「プロ化」の方針を前にして、退団を決意し、BCリーグへ移籍した。

「そういう話は入社前は聞いていなかったんです。あそこでは、オーナー会社の社員としてスーパーで働きながらプレーしてたんですが、急に『独立リーグになるからどうだ?』って。それやったら最初から独立リーグに進んでましたから」

 と移籍の理由を説明する阪口だが、「プロ化」した九州アジアリーグの火の国サラマンダーズは、旧ゴールデンラークスの選手には、社員時代と変わらない給与を支払っているという。寮に入れた社員時代と違い、自分でアパートなどを借りねばならないので、その分出費は増えるが、野球には専念できる。それに、安定性のないプロ契約を避けたければ、社員の身分を保ったまま、会社がもうひとつ保有している実業団チームでプレーを継続することも可能だった。しかし、阪口は独立リーガーとしてプレーするのなら、生まれ故郷や出身高校に近い福井がいいと移籍を決意したと言う。

「親もこっちの方が観戦に来やすいですから」

 ワイラプも甲子園のスラッガーの彼にはA契約を用意しているが、その待遇は九州よりもはるかに落ちる。それでも、阪口は自身の原点に戻るべく。「地元球団」からのプロ入りを新たな目標にしたのだ。

 気がつけばあの夏から3年。高卒でプロ入りを果たした同級生の中からは、戸郷翔征(巨人)、小園海斗(広島)らチームの主力になりつつある者も出てきた。来年になれば、大学に進んだ同級生がドラフト候補に名乗りを挙げてくる。だからこそ、阪口には「今年こそ」の思いは強い。

 高校時代を過ごした敦賀での「凱旋」試合となったこの日、阪口は先制を許した初回に痛烈なレフト前ヒットを放った。

「もう1年」を引き延ばした剛腕の苦悩

夏場を迎えてようやく調子が上がってきた高橋康二
夏場を迎えてようやく調子が上がってきた高橋康二

 序盤で半ば勝負のついてしまったこの試合で4番手として7回に登板したのは、昨シーズン、150キロ越えの剛球でドラフト指名最右翼と話題になった高橋康二だった。昨年、彼のピッチングを目にしようと日参していたスカウトの姿はこの日はなかった。ドラフト会議の際、球団は記者会見の場まで用意していたが、結局指名はなかった。ラストイヤーの覚悟で臨み、野球からは足を洗うつもりでいたものの、その才能を惜しんだ周囲の声にも押されて現役続行を決めたと言う。

 気持ちが切れてしまったというわけではないのだろうが、今シーズン、高橋の剛球は影を潜めている。スピードガンが150キロを計測することはなくなってしまった。

「大学時代、彼は肘を故障しているんです。だからもともと調子が上がるのが遅いのですが、そのせいもあると思います」

 監督の福澤は高橋の立場を慮る。昨シーズン、「これを最後」と決心した高橋はニュージーランドに渡り、オーストラリアウィンターリーグの現地球団でプレーしたのだが、このことが帰国後のスムーズなスタートにつながったようだった。しかし今年はコロナ禍もあってそれもできず、オフにトレーニングは積んでいたものの、やはり実際にマウンドで投げていなかったせいもあり、昨シーズンのような投球はできずにいる。

「今日は150、出しますよ。最近ブルペンの調子もいいんで」

と試合前言っていた高橋だったが、結局、速球のスピードガン表示は149キロ止まりだった。今年で26歳。ドラフトの「旬」を過ぎていることは自身が一番よくわかっている。昨年のクローザーから、負け試合の「中継ぎ」への配置転換には「別に気にはしない」というが、独立リーグでこのポジションではスカウトの網にかかるのは難しいこともわかっている。

 高橋が3者凡退に相手打線を打ち取った後、チームは粘りを見せ、2点差まで迫った。味方打線の奮起を促す好投だったが、3つのアウトのうち三振はゼロ。1イニングに19球も費やしてしまっていることに剛腕の苦悩はあらわれていた。

 結局、この日の試合は終盤追い上げたが、序盤のミスによる失点が響き、5対7で負けてしまった。その後もワイラプはなかなか波に乗り切れていない。やはり戦力差と「セミプロ化」による練習時間の確保の問題は、2年目を迎えるチームに暗い影を落としている。それでも、新生球団の認知度は徐々に高まり、熱心なファンも増えつつあるという。

 例年、今頃は甲子園を目指す球児たちの野球が注目を集める。その陰で見果てぬ夢を追い続ける若者たちが球児たちと同じように汗と泥にまみれている姿を球場に見に行くのも「夏野球」の楽しみ方ではないだろうか。

(文中の写真は筆者撮影)

ベースボールジャーナリスト

これまで、190か国を訪ね歩き、23か国で野球を取材した経験をもつ。各国リーグともパイプをもち、これまで、多数の媒体に執筆のほか、NPB侍ジャパンのウェブサイト記事も担当した。プロからメジャーリーグ、独立リーグ、社会人野球まで広くカバー。数多くの雑誌に寄稿の他、NTT東日本の20周年記念誌作成に際しては野球について担当するなどしている。2011、2012アジアシリーズ、2018アジア大会、2019侍ジャパンシリーズ、2020、24カリビアンシリーズなど国際大会取材経験も豊富。2024年春の侍ジャパンシリーズではヨーロッパ代表のリエゾンスタッフとして帯同した。

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