藤子・F・不二雄SF短編ドラマ『定年退食』 加藤茶が見つめる未来とは
※NHKオンデマンドにて2025年3月28日まで配信
加藤茶主演、藤子・F・不二雄SF短編ドラマ『定年退食』(NHK総合にて夜10時45分~)が今夜、放送される。
■50年前に描かれたにもかかわらずまったく色あせない原作
これは4月にBSプレミアム、BS4Kで放送された「藤子・F・不二雄SF短編ドラマ」シリーズの中の一編。視聴者やSNSでの反響を受け、5月29日(月)からNHK総合の「夜ドラ」枠で放送されている。
舞台は謎めいた汚染が広がり、高齢化と食糧不足が進んだ未来のとある国家。ここでは「定年制度」が導入され、ある一定の年齢になると年金、医療、食糧など、一切の国家による保障が打ち切られていた。
息子夫婦と一緒に暮らしている高齢のおじいさん(加藤茶)は、今朝もコーヒーを一杯だけ飲み、トーストと目玉焼きを保存パックしておくように頼むと、いつもの公園へ散歩に出かける。そこで声をかけられた友人の吹山(井上順)から、“ある仕かけ”をすれば、二次定年特別延長の権利が必ず当たる、と持ちかけられるが……。
藤子・F・不二雄といえば『ドラえもん』など子ども向けの作品で知られているが、青年誌などで発表された、さまざまなSF短編漫画も根強い人気を誇る。彼はSFを「S=すこし」「F=ふしぎ」と位置づけ、日常生活の中に潜む人間の欲望や社会の非情さ、理不尽さをサイエンス・フィクションやブラックジョークとともに炙り出し、それらの短編は今なお高い評価を受けている。
原作が発表されたのは今からちょうど50年前、1973年発売の『ビッグコミックオリジナル』9月5日号。それまで20年近く続いていた高度経済成長期は、この年の10月に起こったオイルショックによって終焉を迎える。
それから50年。私たちが今、暮らしている社会は一見、高齢者が手厚く保護されているように見えるが、年金支給額の減少や支給開始年齢の引き上げなど、予断を許さない状況が続いている。このまま寿命が延び、超高齢化社会が訪れれば、現役世代の負担は増すばかりだ。
先ごろ、2056年には日本の人口が1億人を割り、次第に減少していくというニュースを目にした人もいるだろう。この社会に生きる以上、これから先、人口減少に伴う社会保障のあり方というものに、否が応でも向き合わないといけなくなってくるに違いない。
■カトちゃんにしか表現できない哀しみの表情
ここで俳優・加藤茶の演技に目を向けたい。
なにより、このキャスティングが抜群に素晴らしい。今年3月で80歳になったカトちゃん。70年代、ザ・ドリフターズのメンバーとして一つの時代を築き、半世紀以上に渡って人を笑わせることを商売にしてきた彼の、哀しみをまとった演技が心にグサグサと突き刺さる。ドリフ世代ならなおさらだろう。己の運命を悟った主人公の、ある種の“諦念”を込めた力ない微笑がなんとも切ない。まさにこれは彼にしか出せない表情だ。
言いすぎかもしれないが、吹山役の井上順と合わせ、この2人がそろった時点でこのドラマはすでに完成している。もちろん、それを上回る彼らの演技力・表現力がそこにあることは間違いない。往年のエンタメファンにはたまらない『新春かくし芸大会』での一コマを思い起こさせる貴重な2ショットに感動した人も多いのではないか。また、原作には出てこないが、老人役の高木ブーも、ただそこにいるだけで非常にいい味を出している。
ドラマは「もう、わしらの席は、どこにもないのさ」というセリフで幕を閉じる。一歩一歩、階段をゆっくり昇る2人の姿は、人生の役目を追え、まるで天国へ向かっているようだ。年齢によって受け止め方は異なるかもしれないが、主人公の年齢に近ければ近いほど、これからの世代に「席を譲る」ことについて深く考えさせられることだろう。
■令和に響く藤子・F・不二雄からのメッセージ
改めて今、世の中を眺めてみると、50年も前にこの作品を描いた藤子・F・不二雄の先見の明に唸らされるばかりである。さまざまな便利な道具によって自由度が飛躍的に増し、社会は大きく変化したが、それによって逆に人は縛られ、価値観は揺らぎ、行く先を見失いつつあるようにも見える。そんな令和の今、『定年退食』がドラマ化された意味は大きい。
例外はあるが、人は年齢を重ね、順を追ってこの世を去っていく。それは自然の摂理であり、宿命でもある。しかし、時代と社会の土台を積み重ねてきた先人たちとその意志を無慈悲に排斥するようなことは、決してあってはならない。
描こうと思えば主人公たちの悲惨な最期まで描けたはずである。だが、藤子・F・不二雄はそうすることをせず、「人類はこんな悲しい未来を迎えてはならない」という警告を、一縷の希望とともに残してくれたのではないだろうか。そのメッセージを意味のあるものにするか、無意味なものにするかは、今を、そしてこれからを生きる私たち次第なのだ。