『団地のふたり』最終回 小泉今日子と小林聡美が紡ぐ郷愁とささやかな幸せ
ドラマチックな出来事など起こらない平坦な日常、それを「幸せ」と呼んでもいいだろう。
小泉今日子と小林聡美主演の連続ドラマ『団地のふたり』(NHK BS・NHK BSプレミアム4Kにて毎週日曜夜10時~)が今夜、最終回を迎える。
■団地で育った幼なじみ二人の何気なくも幸せな日常
原作は芥川賞作家・藤野千夜の同名小説。本人にとって初のドラマ化となる。
築58年になる「夕日野団地」で生まれ育った、幼なじみの「ノエチ」こと太田野枝(小泉今日子)と「なっちゃん」こと桜井奈津子(小林聡美)はともに55歳。
ノエチは大学の非常勤講師、なっちゃんは元売れっ子イラストレーター。それぞれ一度は団地を出たが、離婚したり、事実婚パートナーとの関係を解消したりして、実家の団地に戻ってきていた。お取り寄せの野菜をおすそ分けし、夜にこっそりベランダでお茶を飲み、時にはご近所の佐久間さん(由紀さおり)から半ば強引に頼まれ、まるで業者のように網戸の張り替えをしたり。
ノエチの家にあったオフコースやさだまさしの楽譜、佐久間さんからもらった花柄の魔法瓶などの昭和レトロなグッズをフリマアプリに出品し、その売り上げでささやかな贅沢を楽しむ二人。小さい頃からのつき合いで気心の知れた二人で過ごす何気ないひとときが、日々の疲れを癒してくれる貴重な時間になっている。
しかし、そんなある日、団地の建て替え計画が賛成多数で決定する。時を同じくしてノエチの母が軽い脳梗塞で倒れてしまう。さらにノエチは非常勤講師の契約を切られ、奈津子は母がいる静岡へ行こうと決意。佐久間さんは息子夫婦の世話になることを決め、団地を去っていく。
ーーそれから1年後。夕日野団地は、そして二人の日常はどうなったのか……。
■小泉今日子と小林聡美だからこそ成立する世界観
このドラマに独自の空気感と奥行きを与えているのが、他ならぬ小泉今日子と小林聡美の関係性だ。
小泉はシングル『私の16才』(1982年)、小林はドラマ『3年B組金八先生』(1979年)でほぼ同時代にデビュー。小泉が主演を務めたスペシャルドラマ『女の一生』(1985年)で初めて共演する。アイドルと俳優というジャンルの違いこそあれ、感性や価値観がマッチしたのか、そこから二人の交流が始まる。
2003年にはドラマ『すいか』で共演、2010年に映画『マザーウォーター』で共演、2022年には向田邦子原作の舞台『阿修羅のごとく』で共演。そして今年の4月には小林が行った人生初のコンサート『小林聡美 NIGHT SPECTACLES チャッピー小林と東京ツタンカーメンズ』の演出を小泉が担当。公表していなかったが場内アナウンスも務めていた。
また、二人はプライベートでノエチとなっちゃんと似たような人生を歩んでもいる。もはや親友、戦友、盟友とも言える間柄の二人が醸し出す、つかず離れず、ベタベタしすぎていない絶妙な雰囲気と間は、彼女たちにしかだせない味わいだ。
エピソードの中で個人的に印象に残ったのは第3話である。
ある日、二人は同級生である春日部(仲村トオル)と団地で再会。母と一緒に実家の団地に戻ってきたのだという。思い出話とともに昔を懐かしむ二人だったが、春日部の母・恵子(島かおり)は認知症を患っており、ところどころ会話がスレ違い、微妙な空気が流れる。
最終的に春日部は母を介護施設に入居させることを決意。旅立ちの日、ノエチとなっちゃん、ノエチの両親(橋爪功、丘みつ子)、佐久間さんは手を振って車を見送る。
恵子は「また次のPTAでお会いましょうね」と笑顔で言ったが、おそらく彼女は戻って来ない。これが最後ではないかとみんな薄々感じている。でも口にはださない。なぜなら、いつか自分にもこんな時が訪れるかもしれないからだ。去りゆく車を見つめるそれぞれの表情が静かに胸を締めつける。
■心のなかに残り続ける「団地」の記憶とぬくもり
私は幼少期から社会に出るまで、16年あまりの月日を横浜の団地で過ごした。
同じフロアでも誰が住んでいるのかよくわからないマンション暮らしとは違い、1号棟から8号棟まで、どんな家族が住んでいるのかなんとなく知っていた。小学校から帰ると、敷地の中央にある公園に誰ともなく集まり、カラーボールとカラーバットで野球をやり、「ろくむし」(※同じくカラーボールを使った遊び)をやり、ひとしきり遊んで日が暮れるとそれぞれの棟に帰っていった。夕飯の支度をする音、兄弟ゲンカ、子どもが親に叱られる声が毎日聞こえてきた。団地は坂の上にあったので、毎週火曜日には音楽を鳴らしながら移動スーパーのトラックが訪れ、住民が買い物に集まってきた。
だが、そんなかけがえのない想い出が詰まった団地は20年以上前、老朽化のため取り壊され、低層URと高級マンションに建て替えられた。買い物袋を抱えて団地へ続く坂を登っていた私の母も3年前、施設に入所した。先日、近くに用事があったのでふと足を伸ばしてみたが、当然ながらその頃の面影はなく、子どもたちの声も聞こえなかった。私の原風景である「団地」は、もうこの世に存在しない。あの団地に住んでいた人たちは今、どこで何をしているのだろう。
『団地のふたり』でも、建て替え計画がクライマックスに位置づけられていた。団地にとって老朽化する建物をどうするかは、住民の高齢化とともに避けて通れない問題であることは間違いない。本作ではそんな団地の持つノスタルジーとセンチメンタリズム、そしてリアリティーがノエチとなっちゃんの人生と重なり、温かくも切ない気持ちになる。
団地はいつか無くなってしまうものだ。しかし、そこに住んだ人たちの記憶とぬくもりは、心のなかにいつまでも残り続ける。いや、残り続けて欲しい。『団地のふたり』は、そんな淡い願いとともに深く胸に刻んでおきたいドラマだ。