ガザと日本、戦地と被災地をつなぐ凧あげーパレスチナ自治区ガザの子ども達が来日
パリでの同時多発テロ、フランス軍による報復の空爆など、欧米社会とイスラム社会の対立が深まる中で、日本とパレスチナ自治区・ガザとで心温まる交流が行われている。
先月初め、ガザから三人の少年・少女と現地学校の校長が来日。東日本大震災で被災した岩手県・釜石市を訪れたり、都内でNGO関係者らと交流した。今回、来日したのは、モハマド・アブハドルースくん(14)、ガイダ・アブハトゥラさん(13)、ラワン・サフィさん(13)、そして彼らの学校の校長先生であるライヤ・へレスさん。
ガザ南部ハンユニスにある彼らの学校では、東日本大地震の犠牲者を追悼し、復興を願うために、2012年から毎年3月に凧揚げ大会を行っている。そのガザでも、昨年夏、イスラエル軍による大規模な攻撃が行われ、2200人以上が死亡、その4分の1が子どもだった。そうしたガザの惨状に胸を痛めた釜石市の高校生らは、ガザの子ども達を励ます凧揚げ大会を今年3月行った。そして、今回、同市にも拠点を置き、復興支援活動をしているNPO「日本リザルツ」(本部・東京)の招聘によって、モハマドくんらガザの子ども達と、釜石市の子ども達が初めてお互いと出会い、一緒に凧揚げを行ったのだった。
モハマドくんらは、都内でも国際開発支援NGO関係者らと交流。女優の東ちづるさんも、この催しに参加した。東さんは、戦争で傷ついた子ども達がリハビリ治療を受けるドイツの平和村で、今年6月にガザの子ども達(モハマドくん達とは別の子ども達)と出会ったことに触れ、「平和村で会ったガザの子ども達は、重傷を負っていたため、目も死んでいるような感じでした。だから、日本でこんなに元気で活き活きとしたガザの子ども達と会えると思わなかった。とても嬉しいし、素晴らしいと思います」と語った。
ガザの子ども達が日本に来るのは、簡単なことではない。ガザは、境界を接するイスラエルやエジプトによって封鎖されており、人や物資の出入りが厳しく制限されている。ガザ保健省によれば、現在3500人の病人が、医療を受けられず危機的な状況にあるという。中には必要な医療を受けらないために命を落とす人すらもいるのだ。今回来日したガイダさんも、父親を封鎖のために亡くしたのだという。
「お父さんは、心臓の持病があって、ちゃんと医療の整ったところで、治療を受ける必要があったのですが、ガザから出られないまま、今年の2月に発作を起こして死んでしまいました…」(ガイダさん)。
ラワンさんも「多くの住宅が破壊されてしまい、住むところがない人々が大勢います。電気も来ないし…」と言う。封鎖されたガザには、建築資材や重機も入ってこないため、復興がほとんど進んでいない。停戦から1年以上経つのに、壊された家々で建て直されているのは、ほんの一部なのである。
ガザの状況は依然、厳しいようだが、今回、ガザの子ども達と日本の人々が直接交流できた意味は大きいだろう。ガザに限らず、今、様々な紛争を抱えるイスラム世界の人々は「私達の苦しみを世界はわかってくれない」という疎外感を抱えている。そうした疎外感を持つ人々の一部が、暴力という手段を取ってしまう場合もある。だからこそ、彼らの苦しみを理解し、共感する人々が日本にいるのだ、ということがイスラム世界の人々に伝わることは、平和をつくっていく上で、非常に重要なことなのだ。
ラワンさんは釜石市を訪れた時のことについて「被災地の子ども達もとても辛い思いをしたけど、とても強くてすごいと思った。私も彼らに見習って、頑張っていきたいと思います」と言っていた。
対テロ戦争の中で、報復が報復を呼ぶ暴力的な世界になりつつある今だからこそ、ガザと日本の子ども達のつながりは貴重なものなのだろう。
(了)
*写真の無断使用を禁じます。