死の直前、藤原道兼は「幸せだったのではないか」大役演じた玉置玲央の脳裏に浮かんだある風景「光る君へ」
道兼が積み重ねてきたもの
大河ドラマ「光る君へ」(NHK)の第1回でまひろ(吉高由里子)の母ちやは(国仲涼子)を殺し、第14回では父・兼家(段田安則)に「とっとと死ね」と暴言を吐いた。藤原道兼(玉置玲央)はドラマのなかで憎まれっ子な存在であった。
第1回の衝撃の行動からともすれば視聴者から猛反発をくらいかねなかったが、そこはうまく回避。支持されてきた。
第18回で道兼は死んだ。波乱万丈の人生だった。でもそのとき彼は「幸せだったのではないか」と玉置は言う。
取材会に現れた玉置は、これまでを振り返ってという質問に「第14回(父・兼家〈段田安則〉に「とっとと死ね」「この老いぼれが」と暴言を吐く)の反響がすごく大きかったみたいで……(笑)。振り返って、道兼なりに積み重ねた抵抗が実を結んできたかなと思います」と回答した。
これまで積み重ねてきたものが、死を迎えたときどのように昇華したのか、玉置玲央が道兼の人生を振り返る。
背中をさすってもらってうれしかった
――第18回を演じてみていかがでしたか。
玉置玲央(以下玉置)「いままでの所業を振り返りながら、人は必ず死ぬという概念に、ある種の虚しさを感じていたところ、道長(柄本佑)が寄り添ってくれて、そばにいてくれたことで、台本に書かれた以上の感情が湧いてきたような気がします。作劇上の小道具として死んでいくことはなく、彼なりの幸福に行き着いたのではないかと思いました」
――その道兼と道長との最後のシーンはリハーサルで変わったそうですね。
玉置「台本には、病気に罹って療養している道兼のもとに、道長が見舞いに来て、御簾越しに会話すると書いてありました。『入ってくるな』と道兼が突っぱねて、そのまま御簾越しのまま、道長が去っていくと。ところがリハで柄本佑さんが、道長は御簾を超えて入って、道兼に寄り添って背中をさすりたいと演出の中泉慧さんに提案したんです。リハでは決定せず保留になったのですが、本番で佑さんが、やっぱり寄り添いたいと言って、中泉さんもOKを出してくれました。それが道兼的にはうれしくて。咳が止まらない道兼に、『つらいね、つらいね』とずっとさすってくれたんですよ。その時間は道兼として幸せでした。
この場面は台本どおり、御簾越しでも演じられるし、そうやったほうがいい可能性もあったけれど、道兼に道長が寄り添ってくれたことで、死の間際、いろいろな思いが渦巻まきました」
――道兼にとって道長とはどういう存在でしたか。
玉置「すべてにおいて父に愛されている道長が嫌いだったと思うんです。道長と父上が軽口を叩きあう様を見て、道兼はうらやましかったと思います。自分は父とそんなやりとりはできないから。しかも、父の死に目に会えたのも道長だけ。その道長に、第15回で救われるんですよ。道兼が道長に対してずいぶんひどいことをしてきたにもかかわらず、道兼が皆から見放されて『おれはもう死んでんだ。とっくの昔に死んでんだ。死んだおれが摂政を殺したとて、誰も責められぬ』と、浄土に行くことなど望まないと自棄になる道兼に、道長は『私は兄上にこの世で幸せになってほしい』『兄上は変われます。変わって生き抜いてください』と言ってくれた。ブレることなく自分の信念を貫く道長が、ブレブレだった道兼に最後、寄り添ってくれたとき道兼は救われたし、変われたのだと思います。ずっと嫌いだったけどいま、超好き。いや、ずっと嫌いだったのが、ある瞬間、180度転換して好きになるんじゃなくて、好きになる要素がすこしずつ描かれていたのがいいと思っています。第16回で、人のために汚れ仕事を引き受けると言うのは、道長の言葉のおかげなんです。第18回では、道長に救われたと感じた思いが一方的なものではなく、ほんとうにそうだったことがわかったと思うんです。ちゃんと嫌いでよかったし、ちゃんと好きになれてよかったと思います。佑くんが道長でよかった。最後まで道長のようなブレない人が生き残ることが深いですよね」
――思いがけない最期を迎えられたということですが、どんな最期を想像していましたか。
玉置「道兼はろくな死に方しないと思っていましたが、視聴者の皆様から『呪い殺されそう』と言われていたような方向性ではなくて、彼なりの幸せをみつけて死んでいくと思ってはいたんです。たとえ改心はしなくても」
――第18回で玉置さんが、中泉さんと話し合ったことはありますか。
玉置「印象的だったのは、演技の話ではなくて、僕の出ていない場面の描写をどうしようかという話を中泉さんとする機会を持てたことです。台本には、道兼が死んだあとインサートで風景か何かの描写がはさまれることになっていて、中泉さんは死んだ蝶を蟻たちが運んでいる画を入れたいと。『それいいですね』と言いながら、僕は第2回で父上と見た山の上の風景を改めてはさんだらどうかと提案しました。第2回から第18回まで時を経て、改めて振り返ると、道兼にはあの風景が違うものに見えるのではないかと思って。演出家と出演者が、俳優が出ていない場面の話をすることは滅多にないので、印象に残っています」
――玉置さんにとっても第2回の山の上の場面が大事だった?
玉置「第14〜17回の4回で道兼の人生と人間性と価値観ががらりと変わるんです。だからこそ、第2回の時点で彼が父と見た風景を映したら、これまでの道兼の人生のいろいろなことに思いを馳せられるのではないかと思いました。いままで見てきた『光る君へ』の世界観までもががらりと変わったらおもしろいのではないかと。結局そのカットは、蝶でも山でもなかったのですが、いま、改めて第2回を見たら、たぶん視聴者の皆さんに違う風景に見えるだろうし、道兼自身もそうだろうと思います」
第2話の台本を読んでおもろいじゃん!と思った
――ではここからは、これまでを振り返っていただきます。まず、第1回が印象的でした。
玉置「台本をもらって読んだとき、過去の大河にもあまりない流れだと思いました。ただ、語弊があるかもしれませんが、おもろいじゃん!と思ったんですよ。もちろん、衝撃的なので、こういう話が続くようだったら今回の大河は見ないと思われてしまうのも嫌だなとは思いましたから、この場面をどう演じたらその先の物語に繋がるか、それだけ考えることにして。いろいろな見せ方があるなかで、中島由貴監督と意見を交わし合い試行錯誤しながら作っていけたことで、この先もお互いの意見をぶつけあって作品を作っていけるだろうという思いが芽生えた撮影でした。僕はこうしたい、いや、私はこう思います、というやりとりを何回か行いました。初めましてで、意見が合致することはなかなかないものですし、話し合いができたことがよかったです」
――ご自身のせいでドラマを見る人が減ることを心配したのですか。
玉置「僕は妥協したくないので、100人見てくださるキャパがあるとしたらなるべく100人に見てもらいたい。ひとりでも欠けたらやだなあと思って。そこにプレッシャーを感じていたのは事実です。実際、離れちゃったかたもいたと思いますが、道兼のやっていることはひどいことだけれど、物語として、あるいは、まひろ(吉高由里子)と道長の運命としては、重要な出来事なので、外すことはできないですよね。心強かったのは、共演者やスタッフのみなさんが応援してくれたことです。自分が不安だった分、道兼の存在を肯定してもらえて、これでよかったのだと思わせてもらいました」
――結果、好評でした。
玉置「自分でも返り血を受けた顔がこわいと思ったので、これでよかったのかなとは思いましたし、好意的な反響に、本当?と疑いましたよ(笑)」
――第14回で暴言を吐いたときの表情も印象的でした。
玉置「第14回の表情では『表情筋豊か』という反響をもらって、驚いたんです。多少過剰にしていますが、そんなに頑張って表情筋を動かしたつもりはなかったから。現場であのセリフを言うと、ああなっただけなんですよ。道兼をやろうとするとああいう顔になるということは結果、良かったとは思います。第1回から見ると、その都度、表情も違いますし、第14回をピークに、道兼の表情も変化していきましたので、第18回までの道兼の心境と表情の変化を改めて注目していただければと思います」
――道兼像がつかめたと思ったのはいつ頃でしたか。
玉置「それこそ、第14回の『とっとと死ね』の場面です。インパクトのあるシーンですが、彼の人生ではものすごく重要だったのではないかと思います。それまで道兼は自我を押し殺してきました。父を一番信奉して尽くしてきた彼が、あの言葉を吐けたことはすごく意味のあることだった気がするんです。自我に蓋をして、自分を殺して生きてきたなかで、心情を吐露できたことによって、次第に自分に嘘をつかずに自分の気持ちを表現していけるようになっていくんです。もうひとつは、道長に救ってもらったことが大きな影響を及ぼしました。あれだけ道長を憎んでいた道兼が、道長のために行動するようになるのですから」
起爆剤になればいいと思っていました
――道兼とはどういう存在だと思いましたか。
玉置「序盤は、まひろと道長のふたりの物語がドラマティックに、彩り豊かにする存在でありたいと思っていました。もちろん、ふたりを取り囲む様々な登場人物の物語も描かれていますが、あくまであのふたりの物語だと思っていたし、いまでもそう思っています。そのなかで道兼は起爆剤になればいいと思っていました。その最たるものが第1回のラストだったわけですが、良くも悪くも反響が大きくて。それ以降は努めて起爆剤のように振る舞わなくても、視聴者に委ねようと思うことにして、どこかのタイミングで気負いは忘れるというか手放したというか。責任逃れのような気もしますが、俺、悪くないって思うようになりました(笑)」
――演じ甲斐を感じたシーンはどこですか。
玉置「藤原家の家族で過ごすシーンが演じ甲斐がありました。リハーサルで言葉を重ねてすり合わせるのではなく、本番で、みんなで、よーいどんで、それぞれの演技を行うことが演技合戦のようで楽しかったです。家族の関係性的にも、俳優同士としても、ある種、ツーカーな関係性が出来上がりました」
――まひろ役の吉高由里子さんとの共演場面は少なかったですが、いかがでしたか。
玉置「少ない共演場面のなかで、最も印象的だったのは、まひろの琵琶を道兼が聞くシーンです(第8回)。ここに情報量を詰め込まなくてはいけないと意識しながら演じました。まひろの母親を殺しているにもかかわらず呑気に琵琶を聞いていて、なにしてるんだろうという愚かさがあるじゃないですか。滑稽というより愚かさですよね。まひろと道兼の距離感に愚かさが乗っかって見えたらと思っていました。あのシーンのまひろはわかりにくいけれど(心のなかで」闘っていて。いつでも襲い掛かれるような心情で、威嚇するような気配があります。あの琵琶で殴れよっていう声もありましたよね。ふだんの吉高さんにはない雰囲気を漂わせていて、演技でああいう状態になれることに驚きました」
――中島さん、中泉さんのお話が出ましたが、第14回の黛りんたろうさんの演出はいかがでしたか。
玉置「黛さんの演出、好きなんです。もちろん、皆さん、それぞれ素敵な演出なのですが、黛さんとはお互いの好みが合うのか、花山天皇の出家の回(第10回)も、やっぱりそうですよねと思う演出がいくつもありました。例えば、廊下で道長とすれ違うシーン(第6回)は、『俺もそうしたいっす』と思ったし、噛み合うことが多くて。黛さんと過ごす時間が楽しかったです。演出のみならず、ご本人もすごく魅力的なんですよ。チャーミングで、かつ、テキパキして、たまに厳しくて」
クズ役はお手の物なんです
――毎週のようにネットでリアタイしていましたが、反響はいかがでしたか。
玉置「当たり前なのですが、見てくださっている人の数だけ受け取りかたが違うのだと実感しました。作家や演出家や俳優には明確な意図があるのですが、その何倍、何十倍、何百倍も想像を広げてくださるのだなあって。SNS とはそれがわかるツールなのだと目からウロコでした。SNS がそんなに得意ではなかったですが、リレーション次第で、広がりを作ることができるので、やってよかったというか、良い試みを体験できて楽しかったです」
――改めて振り返ってみて、悪役を演じるお気持ちはいかがでしたか。
玉置「僕はクズの役を演じることが多いんです。殺人犯やクズの役をけっこうやっていて。だから、へんな言い方かもしれないけれど、お手の物なんです(笑)。大石先生からもぴったりの役だとお墨付きをもらっていました。実際、やってみたら、改めて、クズ役ってもっといっぱいやれるというか、いろんな演じ方の可能性があることがわかり、まだまだいろいろなクズを演じることができると思いました。いや、でも、いい人の役もほんとはやりたいんですよ(笑)」
――平安時代の人物を演じてみていかがでしたか。
玉置「現代に通じる部分がいっぱいあると感じながら演じていました。家族が抱えている問題や時代も立場はちがっても老いていく父に対する子供たちの思いは現代にも通じますよね。人間の根幹は変わらないと思いました。5月2日で大千穐楽を迎えた舞台『リア王』(主演は段田安則だった)は『光る君へ』のような話だったんです。年老いた親と子どもたちの話で、1000年以上前の日本、4️00年くらい前の英国、現代日本と、時代も国も違うけれど、全然同じことをやっているのですからすごいですよね」
Reo Tamaoki
1985年3月22日東京都生まれ。劇団柿喰う客所属。近年の舞台出演作に「ジョン王」「パンドラの鐘」「ゲルニカ」「リア王」、映画「教誨師」「風よ あらしよ 劇場版」、ドラマ「大奥 Season2」、連続テレビ小説「おかえりモネ」など多数ある。柿喰う客公演「殺文句」(5月24日から本多劇場)に出演する。
大河ドラマ「光る君へ」(NHK)
【総合】日曜 午後8時00分 / 再放送 翌週土曜 午後1時05分【BS・BSP4K】日曜 午後6時00分 【BSP4K】日曜 午後0時15分
【作】大石静
【音楽】冬野ユミ
【語り】伊東敏恵アナウンサー
【主演】吉高由里子
【スタッフ】
制作統括:内田ゆき、松園武大
プロデューサー:大越大士、高橋優香子
広報プロデューサー:川口俊介
演出:中島由貴、佐々木善春、中泉慧、黛りんたろう ほか