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今度はブラッドリー・クーパー。ハリウッドスターが監督になりたがるワケ

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
レディ・ガガ共演の「アリー/スター誕生」はブラッドリー・クーパーの監督デビュー作(写真:Shutterstock/アフロ)

 新しい「スター誕生」は、文字どおりスターを生んだ。いや、正確に言うと、監督界のスターだ。

 先週末アメリカ公開された「アリー/スター誕生」で、主演、監督、プロデューサー、共同脚本を兼任したのは、ブラッドリー・クーパー。監督するのはこれが初めてながら、先に上映されたヴェネツィア映画祭とトロント映画祭で、大絶賛を受けていた。公開されてからも評判は上々で、rottentomatoes.comで91%ポジティブ、CinemaScoreによると観客の評価もAだ。製作費4,000万ドルに対し、公開初週末の北米成績は4,260万ドルと、興行面で利益を出すのも確実と見られる。もともとクーパーが仲良くしていたワーナー・ブラザースは、今ごろ、次はどんな映画を監督してもらおうかと、うきうきしながら彼にお誘いをかけていることだろう。

「アリー/スター誕生」は、ヴェネツィア映画祭で世界プレミア。続くトロント映画祭では北米プレミアされ、大絶賛を受けた(写真/Courtesy of TIFF)
「アリー/スター誕生」は、ヴェネツィア映画祭で世界プレミア。続くトロント映画祭では北米プレミアされ、大絶賛を受けた(写真/Courtesy of TIFF)

 トロントでの記者会見で、クーパーは、「映画を監督するのは子供の頃からの夢だったんだよ。今作が来たのは、40歳を目前にしていた時。歳を取り、残された時間が減っていくと感じていたし、やるなら今だと思ったのさ」と語っている。監督をするという願いをかなえるため、まず俳優になるという、それ自体決して悪くない回り道をしたわけだが、そういう例は数多い。たとえばベン・スティラーも、「最初から、僕の一番の目的は映画監督になること。演技にも興味があったが、そっちはあくまでついでだ」と語っている。昨年「Unicorn Store(日本未公開)」で長編監督デビューを飾ったブリー・ラーソンも、「子供の時から、夏休みになると安物のカメラで映画を撮っては、実家のガレージでプレミアをしていたの(笑)。少しずつそこに近づいていって、今、本当に映画を監督できるようになったことに、すごい満足を感じているわ」と述べた。

 ほかにも、最近では「クワイエット・プレイス」のジョン・クラシンスキーが監督としての腕前を証明したし、「レディ・バード」で今年のオスカー監督部門に候補入りしたグレタ・ガーウィグも、これが監督デビュー作だ。それ以前にも、クリント・イーストウッド、ジョージ・クルーニー、ベン・アフレック、メル・ギブソン、アンジェリーナ・ジョリー、ロバート・レッドフォード、ジョン・ファヴロー、ケビン・コスナー、デンゼル・ワシントンなどが監督として成功している。もはやカメラの前には出ないが、ロン・ハワードやピーター・バーグも俳優出身だ。

監督をすれば、自分の出演シーンも好きなものを選べる

 俳優が監督に進出したがる理由は、いくつかある。イーストウッドは、俳優という職業には年齢という賞味期限があるから、それがない監督に転向しようと早くから決めていた(そう言いつつも、彼はこの年末に北米公開される『The Mule』に、88歳にして出演もしているのだが)。

 俳優はあくまで映画全体のひとつのコマにすぎないため、次第に「自分の手で全体をコントロールしたい」という思いを募らせていく場合も多い。ラーソンは、「監督をすることで、役者としてそのキャラクターのセリフを言うのにとどまらず、自分の視点を伝えられる。『世界はこうよね、そう思わない?』と、観客に語りかけることができるの。それはとても楽しい」と語る。

 コントロールできるのは、自分の演技の見せ方にも言えることだ。完成作を見てみたら、現場で撮影した数多くのテイクの中から、一番自分が気に入らないものが使われていてがっかりしたということは、俳優にとって珍しくない経験。アフレックは、「編集の段階で自分の演技を見て、これはひどい、これは無し、と省き、いいと思えるものを使う。それに、撮影中も、このシーンはちょっと違うと感じた時、監督ならば、アプローチを変えることができるんだ」と、監督兼出演者のメリットを説明している。もちろん、現場入りする前も同様。「アリー/スター誕生」に関しても、これまでのバージョンより男の主人公の描かれ方が深いのは、クーパー自身が演じるせいではないかと指摘する批評がある。

 一方、ワシントンにとっては、共演者を最高に見せてあげることこそ、監督の醍醐味だ。「共演者がすばらしい演技をするテイクを見て、『よし、これはいいぞ』と感じるのが好きなんだ。僕は技術的なことを得意とする監督ではない。でも、演技の善し悪しはわかる。そもそも僕は役者なんだからね」(ワシントン)。

誰もが監督に向いているわけでも、監督をしたいわけでもない

 役者出身の監督の大きな長所は、役者のニーズがわかるところにある。自分がそちらの立場にいたことがあるからこそ、俳優が居心地よく感じられる現場を作ってあげられるのだ。だが、それだけで傑作映画が作れるわけでは、もちろん、ない。オスカーの監督部門に候補入りしたハリウッドスターが多くいる反面、監督としてはまったくぱっとしない結果に終わった人たちもいる。

 たとえば、今、最も評価される俳優であるライアン・ゴズリングがそうだ。彼の監督デビュー作「ロスト・リバー」は、カンヌ映画祭でプレミアされたはいいが酷評の嵐で、アメリカ公開が1年も延期されている。また、多くの人は記憶にもないだろうが、ジョニー・デップも、97年に「ブレイブ」で監督に挑戦したものの、rottentomatoes.comで33%という冴えない結果で、以後、彼はカメラの前に徹したままだ。

 みんながみんな監督をしたがっているわけでもなく、したくても本業が忙しすぎてできないこともある。今月末に日本公開される「search/サーチ」で、アジア人として史上初めてメジャースタジオのスリラーに主演を果たし、キャリアをさらに高めたジョン・チョーは、「監督はひとつの作品に何年も費やすが、俳優は次々に違う作品に出られる。僕にはそのほうが合っている」と語る。プロデューサーとしてすばらしいフィルモグラフィーを誇るブラッド・ピットも、同じ理由を挙げた上で、「僕は完璧主義者だから、すごく不健康な状態に陥るとも思うんだよね。苦しむ監督というのを僕はたくさん見てきたが、その中で最悪の人よりも僕はもっとひどいことになるはず。子供たちとの時間も取れなくなってしまうし」と述べた。また、ずっと前から監督したいという意思を示し続けてきているマット・デイモンは、俳優としてのスケジュールが詰まりすぎていて、監督デビュー作となる予定だった「プロミスト・ランド」を、ガス・ヴァン・サントにお願いするはめになっている。

 もっとも、デイモンは、ここのところ「グレートウォール」「ダウンサイズ」「サバービコン 仮面を被った街」と珍しく失敗作が続き、キャリアが停滞気味。ピットもジョリーとの離婚騒動で愛する子供たちと過ごす時間が制限されてしまっている。とあれば、今は、まさに新しいことに挑戦するチャンスではないか。クルーニーやアフレックなど、お友達が監督するのを手助けしてきた彼らだけに、目も肥えていることだろう。この二大スターが、いよいよ自分の番を宣言する時は、果たして来るだろうか。もしその日が来るなら、それがどんな作品で、どんな結果になるのかも、気になるところだ。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「シュプール」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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