視聴回数800万、急拡散する「新型コロナワクチン」への陰謀論
新型コロナウイルス対策で期待がかかるのが、ワクチンの開発だ。だが、まだ存在すらしないワクチンに対して、ネット上ではすでに陰謀論があふれている。
「大富豪の秘密組織がワクチンによる世界征服をたくらむ」
ソーシャルメディア上では、そんな動画が爆発的に拡散。4日間で800万回以上視聴された。
ソーシャルメディアでの「反ワクチン」の広がりは、新型コロナの大流行以前から指摘されてきた。
ジョージ・ワシントン大学などの研究では、フェイスブックを舞台にした「反ワクチン」は、ワクチン推進派をはるかに上回るスピードで広がった、という。
新型コロナの感染拡大を抑え込むことができるのは集団免疫の獲得。自然感染と合わせて、その決め手になるのがワクチン接種だ。だが、「反ワクチン」の広がりは、その障害になりかねない、との懸念が指摘されている。
●800万視聴の陰謀論動画
大富豪の特許所有者が、世界規模のワクチン義務化を推し進めている。実験用の毒の注射を拒めば、旅行も教育も仕事も禁じられてしまうだろう。
そんな陰謀論を主張する、26分にわたる「プランデミック」と題した動画が公開されたのは5月4日だ。
この動画は、科学誌「サイエンス」でのレトロウイルスをめぐる論文撤回騒動などで知られる女性研究者へのインタビューで構成されている。
動画では、女性研究者が、「ワクチンの危険性」についての自らの研究が「隠蔽された」と主張。「マスクはウイルスを活性化させる」など、科学的な根拠のない陰謀論を展開する。
陰謀論の中では、米国での新型コロナ対策を主導する国立アレルギー感染症研究所(NIAID)所長のアンソニー・ファウチ氏や、以前から国際的な感染症対策に取り組むマイクロソフト創業者、ビル・ゲイツ氏を、その「黒幕」として名指しする。
※参照:新型コロナウイルスでフェイク拡散:それは“ビル・ゲイツの陰謀”ではない(01/26/2020 新聞紙学的)
動画は、公開から4日間で合わせて800万回以上、このうちユーチューブでは710万回視聴されるという拡散ぶりを示した。
これに対して、動画が公開されたユーチューブ、フェイスブックなどのソーシャルメディア各社は、科学的根拠のない主張が利用規約に違反するとして相次いで削除。
動画の拡散を受けて、かつての論文撤回騒動の舞台となった科学誌「サイエンス」も、改めてこの陰謀論をファクトチェックし、全面的に否定している。
●「UFO」やテイラー・スウィフトしのぐ
この動画の拡散は、どれほどの規模なのか。
ニューヨーク・タイムズが、フェイスブック傘下の調査ツール「クラウドタングル」のデータから、分析を試みている。
同紙はこの動画と、同時期にソーシャルメディア上で注目を集めた話題の拡散規模を比較。着目したのは、フェイスブック上の「いいね」「コメント」「共有」といったインタラクション(反応)の数だ。
動画の視聴はもっぱらユーチューブ上で行われていた。だが、多くのユーザーが、フェイスブックに貼られたリンクを通して、ユーチューブに流入していた、という。
フェイスブック上での、この動画をめぐるインタラクション数は、公開から11日後の5月15日までで合わせて250万件。
その1週間前、4月27日には、米国防総省が「未確認飛行物体(UFO)」の動画を公式に公開するというニュースがあった。
このニュースをめぐるフェイスブック上のインタラクションは、「UFO」動画公開から2週間で100万件ほど。「プランデミック」の半分以下だ。
さらに5月8日には、人気歌手のテイラー・スウィフト氏が、2019年9月にパリで開いた「シティ・オブ・ラヴァー・コンサート」の模様を、テレビ放映とネット配信することを発表している。
これは今年予定していた世界ツアー開催が、新型コロナの影響で見合わせとなったことを受けたもので、ファンの関心は高かったが、インタラクション数は11万件。
5月10日には、大人気ドラマ「ジ・オフィス」の出演者が、ファンの結婚式をウェブ会議サービス「ズーム」で祝福するという動画が公開された。これも話題になったが、インタラクション数は62万件だった。
ニューヨーク・タイムズの分析では、拡散には以前から「反ワクチン」を掲げるグループのほかに、トランプ大統領の支持派や、経済再開を主張するグループの後押しがあったとみている。
このような「反ワクチン」の動きは、米国だけではない。
新型コロナ対策が評価され、メルケル首相の支持率上昇が伝えられるドイツでも、「反ワクチン」の動きは広がっているようだ。
ニューヨーク・タイムズは、右派政党「ドイツのための選択肢」(AfD)に加え、「反ワクチン」のグループなどが、各都市で1万人規模のデモを行っている、と報じる。
●フェイスブックで広がる「反ワクチン」
米ジョージ・ワシントン大学教授、ニール・ジョンソン氏らの研究グループは、5月13日に科学誌「ネイチャー」に掲載した論文の中で、フェイスブックを舞台とした「反ワクチン」の広がりを検証している。
研究では、新型コロナの感染拡大に先立つ、2019年の麻疹の流行とワクチンをめぐる同年2月から10月までのフェイスブックページでのユーザー動向を分析した。
フェイスブックの世界の月間アクティブユーザーは、2019年末で約25億人にのぼる。このうち、ワクチンをめぐる議論に参加する1億人のユーザーの動向が分析の対象だ。
「反ワクチン」、ワクチン推進、PTAなどワクチン接種に関心はあるが態度保留、の3つのグループについて、それぞれのかかわりを明らかにしている。
この中でジョンソン氏らは、メディアがワクチン接種を後押しし、「反ワクチン」に否定的な論調での報道を行う中でも、なお「反ワクチン」のグループが根強い存在感を示している、と指摘。
「反ワクチン」グループは、ワクチン推進グループに比べて数の上では見劣りするが、5,000万人を超す態度保留グループに対して活発なアプローチを行い、急速にそのネットワークを広げていったという。
一方で態度保留グループも、情報収集のために活発にネットワークを広げていたが、ワクチン推進グループは、比較的小さなネットワークでまとまり、その拡大のための動きは他の2グループに比べて活発ではなかった、という。
また、「反ワクチン」グループは、ワクチンの安全性への懸念や陰謀論など、様々な視点を取り交ぜて注目を集める情報発信をしていたのに対し、ワクチン推進グループの情報発信は単調な内容に終始していた、という。
その結果、「反ワクチン」グループの拡大率は最大300%に及んでいたが、ワクチン推進グループはいずれも100%以下にとどまっていた、という。
さらに、このデータを基にした推計では、現在はなお少数派である「反ワクチン」グループは、今後10年でワクチン推進グループを上回る規模になることが示された、とジョンソン氏らは警告する。
●「反ワクチン」拡散への対処
「反ワクチン」の動きは、新型コロナの流行以前から根強く続いている。
米大統領選におけるフェイクニュースの氾濫が注目された2016年12月、英調査会社「ユーガブ」とエコノミストが米国で行った世論調査でも、「ワクチンが自閉症の原因」との科学的に根拠のない主張を信じる回答が3割に上っている。
※参照:偽ニュースの見分け方…ポスト・トゥルース時代は、まだ来ていない(12/31/2016 新聞紙学的)
陰謀論動画の例や、ジョンソン氏らの研究からもわかるように、その拡散の主な舞台はソーシャルメディアだ。
これに対し、ソーシャルメディアも削除などの対応策を取ってきた。だが、「イタチごっこ」のように、そのコピーが繰り返し拡散することになる。
ジョンソン氏らが取り上げた麻疹をめぐる「反ワクチン」の動きに対して、フェイスブックは2019年3月、これらの表示順位を下げ、関連する広告配信を拒否するなどの対策を打ち出している。
また、今回の新型コロナウイルスに関連しても、虚偽情報の表示制限などの対策も表明している。
だが、効果は限定的なようだ。
●「反ワクチン」の心境の変化
ただ、「反ワクチン」の動きが活発化する一方、未曾有の新型コロナの大流行を目の当たりにして、「反ワクチン」のグループ内部に、変化の兆しもあるようだ。
ロンドン大学衛生熱帯医学大学院の「ワクチン信頼プロジェクト」によると、英国やフランスなどではワクチンへの懸念はこの数年、沈静化の傾向があり、特に新型コロナの流行を受けて「反ワクチン」の考えを改める動きもみられるという。
ただ一方では、より「反ワクチン」を強める動きもあり、二極化しつつあるようだ。
新型コロナの沈静化へのポイントとしてあげられるのが、集団免疫だ。
感染からの回復やワクチンによって、社会の一定割合以上の人々が免疫をもち、ウイルスの感染拡大を防げる状態になることだ。特にワクチン接種によって集団免疫を獲得することが、新型コロナ抑え込みの決め手となる。
だがソーシャルメディアを舞台に「反ワクチン」が広がることで、ワクチンが開発されたとしても、接種率が頭打ちとなり、集団免疫獲得の障害となる可能性もある。
ジョンソン氏らの予測は、その可能性に現実味を与える。
ワシントン大学セントルイス校副学長補佐、マイケル・キンチ氏は、ワシントン・ポストへの寄稿の中で、集団免疫で必要とされる割合は感染症によって異なり、天然痘の場合は95%、ポリオは85%、麻疹は80%としている。
そしてキンチ氏は、新型コロナの場合、どれだけの割合が必要なのか、まだ明確にわかっていないと述べている。
世界保健機関(WHO)のまとめでは、5月15日段階のワクチン開発の状況は、臨床評価段階にあるワクチン候補が8件、それ以前の段階のワクチン候補が110件にのぼる、という。
なお、はっきりとした開発の見通しは立っていないのが、現状だ。
(※2020年5月21日付「新聞紙学的」より加筆・修正のうえ転載)