雑踏事故から2年 ソウル梨泰院 ハロウィン当日の当地を歩いた
10月31日、ハロウィン当日の梨泰院を歩いた。日付が変わった深夜1時過ぎのことだ。
現地に行くとギュッと胸を締め付けられるような感情になる。しかし目に飛び込んでくるのは楽しそうに遊ぶ若者たち。罪はない。だからといってカメラやレコーダーを突き出して話をどんどん聞いていくのも違う。予め断っておくと、このレポートは深く話を聞いていったというよりも、写真を見ていただきたいというものだ。
韓国メディアMBNは、雑踏事故から2度目のハロウィンを迎える梨泰院の様子をこう報じた。
「『悲劇が繰り返されないように』…悲しみと希望が共存する梨泰院の街」
これが韓国内の心情を的確に表しているように感じた。
”かつて”ほどではない。それでも多くの人が現地を訪れ、ハロウィンの夜を楽しんでいた。
事故現場となった世界食文化通りと梨泰院路を結ぶ通路には、追悼の花が今でも絶えることなく添えられている。いっぽうでそこには人が通い、通りにあるコンビニ前にたむろする外国人たちの姿もあった。
それでもやはり、以前と違う空気は感じられた。言葉では表現しにくい、現場の空気感。楽しげなのだが、何か心に引っかかる感じ。もっとも、韓国の地に暮らす若い人たちと、年に1度取材でだけ訪れる者では、どうみたって感じ方の違いがあるだろう。
取材者はどうしたってナーバスになる。取材の帰り道、深夜バスで宿に戻ったが、ホンデ方面に向かう車内が満員状態になった。そのことにすら少し恐怖を感じた。しかし、若者たちは少し乗客が減ると普段通りスマホを見たり、おしゃべりしたりしている。
ただし、はっきりと視覚的に以前との違いを感じさせるものもあった。
仮設の中央分離帯と警備スタッフの姿。
ソウル市は先月25日から今月3日までを「ハロウィン特別期間」と定めた。
警察側は、梨泰院地区だけで安全要員4,200名を投入したという。それは「悲しみ」を呼び起こす風景にも感じられる。
ただし、これも「取材者がナーバスになる」という風景なのかもしれない。
「人数が多い場所に警備」という風景は、2022年秋以降のソウルでは日常になっている。朝のラッシュアワーの地下鉄には、ユニフォーム代わりのベストを着た誘導員が。ターミナル駅ではエレベーターでも混雑が起きないように誘導員が乗り降りをサポートする場面も目にする。2024年10月上旬にソウル市郊外の高陽市でのK-POP大型コンサートを訪れたが、終演後、会場前のオープンな空間の信号待ちにも警察を含めた4人の警備が入っていた。
では、実際に梨泰院を訪れ、その時間を楽しむ若い世代はどう感じているのだろうか。
31日の当日に梨泰院の地でそれを若者たちに聞くのは難しいと思われた。実際に到底それを聞く雰囲気ではなかった。それゆえ、あらかじめ27日に現地を訪れた際に話を聞いておいた。事故現場付近にいたソウルの私大に通う女性は、こう話していた。
「ここに遊びに来る度に、この通りは目にすることになるでしょう。私も今日は、現場近くでお祈りをして、同世代の命が失われたことを心に刻むことをしました」
事故現場となった梨泰院世界食文化通りは、華やかで異国情緒を感じさせる梨泰院の象徴ともいえる通りだ。
元々、90年代からパキスタンやバングラデシュの労働者たちが集まり、自国の伝統料理を提供する店を開いていた。その後、97年に梨泰院が観光特区に指定されたことを機に、徐々に世界各国の伝統料理を提供する通りへと変貌を遂げていった。
決定的な契機は2010年のソン・ジャンヒョン氏の龍山区庁長に就任だった。2011年5月頃、ハミルトンホテル裏手の住宅を取り壊し、幅8m、長さ250mの道路を建設。そして、この道路につながる幅6mの通りを整備し、ハミルトンホテル裏手の300m長の通りとこれにつながる5本の路地、総延長500mの通りを世界食文化特化通りとして指定した。
梨泰院を観光名所にするための政策だった。同時に区側は梨泰院グローバルビレッジフェスティバルと週末文化フェスティバルの規模を拡大。しかしここが2022年の雑踏事故現場となってしまった。
現地のZ世代や日本人留学生からは「まだ梨泰院に遊びに行くという気持ちにはなれない」という声も聴く。一時は人の流れも一駅離れた「解放村」やクラブ文化のもう一つの拠点「ホンデ」にずいぶん移った、というのは韓国内では知られるところだ。
痛ましい事故から2年。決して忘れてはならないが、ずっと留まるわけにもいかない。”悲しみと希望が共存”しつつ、少しずつ前に進んでいくよりほかない。現状はそういったところだ。
(了)
写真撮影=すべて筆者