能力なきものは起業するな、リアルとホンネの独立論
初出:「会社を辞めたぼくたちは幸せになったのだろうか」の一部を大幅に加筆して掲載
このところ、第二次、第三次の起業ブームが起きています。個人がサラリーパーソンから独立し、士業やコンサルタント、また個人事業主として食っていくとき、どのような困難が待ち受けているのか。私は一人の独立した人間として、他の先人たちに興味を持ちました。彼らはどのように独立して、食えるにいたったのか。それはきっと起業予備軍にも役立つに違いありません。さきほど、「第三次の起業ブーム」と入力しようとしたら、「大惨事」と変換されました。まさに大惨事にならない起業の秘訣とは。プロ講師として活躍中の千葉祐大さんにお話を聞きました。
――独立起業前にまず大切なことを、お聞かせいただけますでしょうか。
『覚悟と能力のない人は起業すべきではない』。これが凡人起業家の先達としての、私の結論です。
起業を成功させられるだけの知識と経験と熱い想いをもった人であれば、異論はありません。また、会社をクビになり、転職先も見つからない人が、やむをえず独立するのは仕方ありません。しかし、会社員としての基盤が築けているにもかかわらず、ただ漠然と独立を夢みているのであれば、拙速は避けたほうがいいでしょう。自分には本当にその覚悟と能力があるのか、いま一度じっくり見定めることをお勧めします。起業はそれほど甘くはありません。
世の中には、自分を過大評価する人のほうが多いです。もっとも、会社員で自分は能力があると過信している人の多くは、「会社の力」と「個人の力」を取り違えています。一般に、会社が大きくなればなるほど、仕事関係者は増えていきます。裏を返せば、会社に力さえあれば、どんなボンクラ社員にも人は寄ってくるものです。人を引きつける源泉が、もっぱら「会社の力」にあるからです。この「世の摂理」に、会社員でいるうちは、なかなか気づくことができません。こういう人たちは、会社をやめたとたんに、かつての仕事仲間が次々と離れていく現実に直面してはじめて、自分の真の実力を思い知ることになります。
現状は、多くの脱サラ人間が、十分な能力がないにもかかわらず起業に踏み切っています。なかには、仕事のアテすらないのに、『死ぬ気でやればなんとかなる』という思い込みだけで起業を決断する人もいます。能力がない以上、当然うまくいくはずがありません。はっきり言います。凡人はあまり大それた夢をみるべきではありません。なにごとも、身の丈にあわせて意思決定することが肝要です。
――千葉さんご自身について、お聞かせください。
私自身は、卑下でも謙遜でもなんでもなく、自分のことを「フツーの凡人」だと思っています。だから本来は、ずっと組織にしがみついていたほうがいい人間であることは間違いないのです。それに加え私は、社員のクビを切らないことで有名な大企業で働いていました。サラリーマンをつづけていれば、少なくとも生活の安定は担保されていたはずです。ではなぜ起業してしまったのか? ここからはしばらく、私の「恥ずかしい起業ストーリー」におつき合いください。
私の場合、家庭の事情で急遽、会社をやめざるをえなくなりました。36歳のときです。詳しい事情はここでは申し上げないが、きわめてプライベートな理由です。けっして会社がイヤになってやめたわけではありません。だから、退職後のことをほとんどなにも考えていませんでした。準備も覚悟もしていないフツーの凡人が、ある日突然、世間に放り出されたのです。その悲惨さは、想像をこえるものでした。
まず新しい会社に就職することを考えました。実際、いくつかの人材紹介会社にも足を運びました。しかし、なまじ良い会社にいると、転職活動が難しくなることがよくわかりました。前の会社と比べると、どれも欠点が目立ってしまい、転職先としての魅力を感じないのです。たとえて言うなら、相性のよかった美人妻と、不本意ながら離婚した直後に、性格の悪そうなブサイクのお見合い写真を見せられているようなものだ。まったく食指が動かないのも当然でしょう。
私に類まれな能力があれば、前妻よりもさらに美人を紹介してもらえたのかもしれません。しかし、「会社の力」を失った私個人の市場価値は、自分で考えていた以上に低いものでした。いまになって思えば、その程度の相手しか紹介されなかったのは納得できます。だが当時は、自分に対する他己評価を完全に見誤っていました。
それまで一部上場企業の社員というだけで、さんざんチヤホヤされてきました。そしてしだいに、自分には個人的な魅力や実力があると勘違いするようになっていました。このときはじめて、会社の肩書きを失ったときの、「自分の真の実力」を思い知らされることになったのです。
思考や判断が大いに迷走しました。自分にはなにができて、なにをすべきなのかよくわからなくなりました。一部上場企業の社員だったというプライドは、そう簡単に捨てられるものではありません。自分の実力についての認識も、勘違いが完全に解けていたわけではありません。五里霧中のなか、なんとか気持ちを持続させるため、『自分には能力がある』と思いこもうとしていた側面もありました。
迷いに迷った末、転職活動をやめて、個人事業主でやっていくことにしました。転職では、仕事内容もステイタスも、とうてい前職を上回るのはむずかしい。ただ起業であれば、前職でサラリーマンをつづけているよりも、高いレベルまでステップアップできる可能性はある。そんなぼんやりとした期待感のみで下した判断でした。
――まず、何を始めようと思ったのでしょうか。
さしあたりやろうと思ったのが、研修講師の仕事です。前職で社内講師をしていた経験があり、人前で話すことには多少自信がありました。そして、新人時代にお世話になった上司が、定年後に研修講師として活躍している噂を以前からきいていました。話ベタで有名だった人だ。『あの人に務まるのなら、自分にもできるのでは』。そんな根拠のない思い込みだけで決めた業務内容でした。
つまり私は、起業という道も、講師という職業も、ほとんど思いつきで決めたのです。なにか熱い想いや信念があって、この仕事を選んだわけではありません。もちろん事前の準備もいっさいしていません。そんな行き当たりばったりの、まったくお話にならないレベルの「起業家」でした。
――独立して初仕事獲得までの道について、お聞かせください。
当然つぎに考えなければならないのは、仕事にどうありつくかという点でした。研修講師をすることだけは決めたものの、なにか具体的な仕事の見込みがあったわけではありません。それどころか、そのときの私は、講師の経験すらけっして十分とはいえませんでした。取り急ぎだれかにアドバイスを求めようと考えたとき、真っ先に思い浮かんだのが、くだんの元上司。つてを頼って連絡先を入手し、職場まで押しかけて、講師業のイロハを教えてもらいました。
そして、そのとき元上司から唐突に、『専門学校で講師をしてみないか?』と打診された。非常勤講師をしているビジネス系の学校で、つい最近欠員が出たという。当然のことながら、その時点で私の頭のなかに、学校の先生という選択肢はまったくない。それどころか、サラリーマン経験しかない人間でも教育者になれることを、そのときまで事実としてわかっていませんでした。
元上司いわく、『正直言って、いきなり研修の仕事をするのはむずかしい。ただ専門学校の講師であれば、口利きでなんとかなるだろう』とのことだった。そして、『前の会社での実績をアピールすれば、おそらく会社のネームバリューだけで即採用になるよ』と耳打ちされました。
『ああ、結局、自分は前の会社の力に頼らなければならないのか……』。この初仕事をとる場面でも、私は「会社の力」の大きさというものを、つくづく認識されられることになりました。
こうして前の会社のコネとネームバリューによって、なんとか専門学校の非常勤講師の仕事にありつくことができました。そして、『これをフックに講師業をどんどん拡大していく。具体的な戦略は、とりあえずやりながら考える』。そんな、どんぶり勘定の事業戦略しかない状況で、とにかく起業家人生1年目がスタートしました。
――その後は、仕事が続いたのでしょうか。
いえ、世の中そんなに甘くはありません。しばらくは思いどおりにいかない時期が続きました。当初は、すぐに学校以外の講師の仕事にフィールドを広げたいと考えていました。学校の講師というのは、報酬がびっくりするくらい低いんですね。これだけで食っていくにはあまりに心もとない。そこで、報酬の高い企業研修や講演の仕事で稼ぐことを思い描いていました。
実際に何本も企画書を書いて、研修会社や知り合いの人事担当者に送りつづけました。なんの実績もない無名講師に企業が高い報酬を払って仕事を依頼するわけがありません。結局、企業からは無視されつづけ、その後4年間は、学校の非常勤講師だけで食っていく生活を余儀なくされました。
この「専業非常勤講師」の時代、仕事量だけは人並み以上に増えました。キーパーソンの取り込み方に長けたことが大きかったようです。ただ、なにぶん一回あたりの講師料が驚くほど安いんです。仕事量は増えても稼ぎは理想にはほど遠かったのです。最盛期には、年間300日近く稼働したものの、それでも稼ぎは会社員時代の3分の2程度にしかなりませんでした。
もっともこれは、あくまで給料の額面の話。会社というのは給料以外に、社会保険や家賃補助、福利厚生といった社員の「生活費」も一部負担してくれます。私の場合、その額は給料の半分近くにも及んでいました。こういった生活費を含めて考えれば、この専任非常勤講師の時代は、結局一度も、会社員時代の年収の半分に達することができませんでした。
――試行錯誤して大口案件を獲得するまでのお話をぜひ、聞かせていただけますでしょうか。
その後、法人を設立し、首尾よく研修やコンサルタントの業務にフィールドを広げたことによって、起業7年目にようやく会社員時代の年収に追いつくことができました。ありがたいことに、ここ最近は、大口の仕事の案件をいただけるようになり、毎年少しずつだが収入も増えつづけています。もっともこれは、偶然の幸運が重なっただけにすぎません。たまたま自分を応援してくれる人と立てつづけに巡り合うことができ、いまの状況に至っています。
起業10年目をむかえた現在も、けっして安定はしていません。引きつづき仕事の依頼をもらえる保証はまったくないし、なにより病気で倒れてしまえば、その時点で収入は途絶えてしまいます。綱渡りの経営が、ずっとつづいている状況です。
――起業を考えている方へのメッセージをお願いします。
あらためて、いま漫然と起業を考えている方に、失礼を承知で伺いたい。『ご自身に、起業するための能力と想いが本当にありますか?』と。生ぬるい理想論を語っていた起業家が、すぐにバタバタ倒れていく姿をこれまで何度もみてきました。独立を成功させるには、よほどの「覚悟」と「準備」と、そしてなりより「能力」が備わっていなければなりません。そうでなければ、うまくいかない可能性のほうが高いのです。やはり冒頭にも申し上げたとおり、『さしたる覚悟も能力もない人は起業すべきでない』というのが、私の確信をもった結論です。
私は、起業家としては話にならないレベルでした。凡人がさしたる覚悟もなく起業してしまった、格好のダメサンプルと言えるでしょう。当然のことながら苦労して、損もしました。ただ、いくつかの幸運が重なって、いまもかろうじて事業をつづけられています。本当に偶然です。なにかひとつでも判断を間違っていれば、すぐにつぶれてもおかしくなかったと感じています。だから、読者の方はぜひ、私の例を「格好の反面教師」にしていただきたいと思います。
――会社をやめて幸せになったと思いますか。
率直に言って、私自身、幸せになったかのどうかまだよくわかりません。幸せになった点と不幸せになった点の両面があり、いまのところ、どちらかが圧倒的に大きいわけではありません。ただもちろん、心底幸せになったと感じられるようにはなりたいと願っています。そして、そうなるために、これからまだまだ努力を重ねていくつもりです。
いまでもたまに訊かれる質問があります。それは、『なぜ前の会社をやめたのですか?』と。私にとってこの質問が、あらゆる質問のなかでもっとも屈辱的です。『そんな仕事をするくらいだったら、大企業にいつづけたほうがよかったのでは』。暗にそう言われているように感じてしまうからです。
いまの仕事で顕著な活躍をして、この質問をいっさい訊かれなくなったときに、ようやく、『会社をやめて幸せになった』と心から感じられるのではないかと思っています。
<プロフィール>
千葉祐大(ちば・ゆうだい)
一般社団法人キャリアマネジメント研究所 代表理事 / 嘉悦大学非常勤講師
1970年生まれ。花王株式会社に約12年間在籍し、人事部門、化粧品事業部門でキャリアを積む。2006年に独立し、高等教育機関で非常勤講師業を始める。2012年には、一般社団法人キャリアマネジメント研究所を設立し、企業研修と人材マネジメント関連のコンサルティング事業を開始する。
現在は全国の企業、大学、専門学校等で年間200日以上、講師として登壇するかたわら、飲食業や流通業の企業向けコンサルティング業務を行っている。
【キャリアマネジメント研究所 URL】
初出:「会社を辞めたぼくたちは幸せになったのだろうか」の一部を大幅に加筆して掲載