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【戦国こぼれ話】「どうする家康」がクランクイン。徳川家康の先祖・三河松平氏とは

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
徳川家康の先祖・三河松平氏とは?(提供:アフロ)

 6月5日、2023年1月から放映される大河ドラマ「どうする家康」がクランクインした。主人公は徳川家康であるが、その先祖はいかなる人々だったのだろうか。

 家康の先祖は三河松平氏であるが、三河松平氏の歴史は不明な点が多く、その史実を明らかにし難い面がある。

 以下、謎多き三河松平氏の流れを確認するが、特に断らない限り、『三河物語』、『武徳大成記』、『徳川正統記』、『徳川記』、『尊系略』などの二次史料に拠ったことをあらかじめ申し述べておきたい。

■松平親氏

 松平氏の始祖は親氏といい、上野国徳川郷(群馬県太田市)に誕生した。

 やがて、親氏は流浪の旅へと出て、時宗の僧侶になって「徳阿弥」と号し(以後も親氏で統一)、三河国松平郷(愛知県豊田市)の松平左衛門尉の家に婿入りした。これが、松平姓を名乗った根拠である。

 親氏は武略に優れ、慈悲深かったので、徐々に勢力を拡大していった。しかし、諸書によって記述が異なっているので、注意が必要である。

 親氏が徳川郷を出た時期は、延文2年(1357)から永享12年(1440)まで諸説あり、約80年もの開きがある。

 親氏と旅をともにしたのは、父の有親という説と弟の泰親という説がある。泰親を親氏の子とする系図もあるが、今は弟説が有力である。

 親氏が出家した場所は、三河に入ってからという説もあれば、時宗寺院の清浄光寺(神奈川県藤沢市)といった説がある。親氏が亡くなった年月日についても、康安元年(1361)から応仁元年(1467)まで諸説ある。

■松平泰親

 親氏の死後、松平家を継いだのが弟の泰親である。泰親の生没年にも謎が多く諸説ある。

 生年は貞治3年(1364)から文安元年(1444)までの説があり、没年も永和2年(1376)から文明4年(1427)までさまざまだ。

 名前についても、親氏と流浪中には「祐阿弥」と号したと記すほか、松平太郎左衛門、世良田三河守、徳川次郎三郎と称したなどの説がある。

 泰親は松平郷から三河国岩津村に侵攻し、岩津城を築いた。泰親は岩津(愛知県岡崎市)に移ると、松平郷の支配を子の信広に任せた。その後、泰親は岡崎(同)に進出し、岩津城を信光(親氏の子)に譲った。

 松平家の初代・親氏、二代・泰親に関しては、たしかな史料で確認できないことが多く、それは松平家の「伝説時代」といえよう。先述した信光(親氏の子)の時代に至って、松平家の歴史は徐々に明らかになっていく。

■むすび

 家康の先祖については、実に謎が多い。たしかな史料が乏しく、その由来を明らかにするのは、非常に難しいのである。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『播磨・但馬・丹波・摂津・淡路の戦国史』法律文化社、『戦国大名の家中抗争』星海社新書、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書など多数。

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