オーナーの執念が実った白馬のG1制覇とハナ差に泣き、ハナ差に笑った男の物語
白毛馬は弱いと言われた時代
12月13日、阪神競馬場で行われた阪神ジュベナイルフィリーズ(G1)を勝ったのはソダシ(牝2歳、栗東・須貝尚介厩舎)。JRA初の白毛のG1馬が誕生した。
御伽噺なら王子様を乗せてさっそうと登場する白馬だが、こと競走馬の世界に於いては辛酸をなめ続けて来た。1982年に白毛馬として初めてJRAデビューを果たしたハクタイユーはただの1度も先頭でゴールを切ることなくターフを去った。その後、カミノホワイトやハクタイユーの子ミサワパールらがデビューを果たすもいずれも未勝利。同じくハクタイユー産駒のハクホウクンは大井競馬場で勝ち鞍をあげたもののJRAで実績を残す事はなかった。
金子真人オーナーが所有し2001年に走ったのがシラユキヒメ。同馬は父がサンデーサイレンス。母のウェイブウインドもアメリカの重賞ウイナーという血統だったが、自身は9戦して未勝利。唯一の3着が、JRAでは初めて馬券圏内に食い込んだ白毛馬として記録された。
そのシラユキヒメにこれも自らが所有したブラックホークの種を付けて生まれたのがシロクンだった。同馬には後にソダシの主戦となる吉田隼人も騎乗した。しかし、5戦して勝つ事なく引退。この当時の白毛馬は見た目の派手さばかりが話題になったものの「競走能力には劣る」などと根拠なく言われ、なかば客寄せパンダ的な存在となっていた。
しかし、金子オーナーは信念を曲げなかった。シラユキヒメに今度はクロフネを交配させると、その産駒であるホワイトベッセルが07年に白毛馬として初めてJRAで勝利をあげた。更に1歳下の全妹ユキチャンは吉田隼人を背にJRAで勝ったばかりか08年には川崎の交流重賞・関東オークス(Jpn2)も優勝。同年の秋華賞(G1)に出走し、白毛馬として初めてJRAのG1出走馬となった。
その後、シラユキヒメにキングカメハメハを付けて生まれたのがマーブルケーキだった。同馬は14、15年にJRAで3勝をマーク。17年に引退するまで実に24レースも走ってみせた。
白毛馬初のG1制覇へ
そのマーブルケーキの1つ下の全妹がブチコだった。15、16年に4勝した同馬は船橋競馬場のマリーンC(Jpn3)に出走。人気に推され自身初の重賞制覇を目指したが、あろうことかスタート直前にゲートの前扉を突き破って外傷し、発走除外。手綱を取ったC・ルメールは「ブチコわしてすみません」と上手な日本語でシャレて謝罪し、報道陣の笑いを誘った。しかし、その顔に笑みはなく「こちらも大怪我をするかと思いました」と真剣な表情をみせた。
このように難しい面があったブチコだが、繁殖としてはいきなり優秀な面を見せる事になった。彼女の子供がソダシだったのだ。父はクロフネで、母ブチコの両親はそれぞれキングカメハメハとシラユキヒメ。血統表が金子ブランドに埋められたこの牝馬は、今夏、函館でデビューを果たすと新馬、札幌2歳S(G3)、アルテミスS(G3)と異なる競馬場で3連勝。先週末に行われた阪神ジュベナイルフィリーズ(G1)に1番人気で出走した。
母譲りか、ゲートインを嫌がる素振りこそみせたものの、レースが始まると馬群の中でジッと我慢。直線では先に先頭に躍り出ようとする3番人気のメイケイエールを内からかわすと、最後は更にインを突いて伸びてきた2番人気のサトノレイナスの猛追をハナだけ抑え、先頭でゴール。サトノレイナスの鞍上が母ブチコにも騎乗していたルメールだったのは皮肉だが、ソダシはついに白毛馬として初めてJRAのG1を制覇。周囲から「弱い」と言われようと何と言われようと白毛馬に自らの種牡馬を配合し続けた金子オーナーの執念とも思える優勝劇を披露した。
ハナ差の泣き笑いと白毛馬のこれから
一方、サトノダイヤモンドでマカヒキに敗れた16年の日本ダービー同様、同じオーナーの前にまたしてもハナ差で苦杯をなめた里見治オーナー(名義はサトミホースカンパニー)は気の毒でならないが、もう1人、同じくその昔、ハナ差で泣いた男がいた。09年の菊花賞(G1)。金子オーナーが送り込んだフォゲッタブルはハナ差でスリーロールスに敗れていた。この時、フォゲッタブルの手綱を取っていたのが、当時G1未勝利だった吉田隼人。同じオーナーの馬で、11年の時を経て、今度はハナ差で栄冠を勝ち取ってみせた。ハナ差に泣き、ハナ差に笑った男は、白毛馬とのコンビとしては歴代最多の7勝をあげている。もう誰も「弱い」とは言わなくなった白毛馬との今後ますますの活躍を期待したい。
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)