来月は天皇皇后両陛下ご結婚30年 雅子さまが力を尽くされる「3つのご活動」
今年の歌会始で雅子さまが詠まれた御歌は———
「皇室に 君と歩みし 半生を 見守りくれし 親しき友ら」
と、天皇陛下と二人三脚で歩まれた歳月が、すでに人生の半分となり、その間、ずっと見守り続けてくれた、友人たちへの感謝のお気持ちを詠まれた。
今月18日には、名誉総裁を務める日本赤十字社の全国大会に出席し、活動に尽力した人たちを労い表彰された。明治天皇の妃・昭憲皇太后が始められたこの活動は、すべての人を分け隔てなく平等に愛するという、博愛の精神に貫かれている。
雅子さまの30年を振り返れば、まさにさまざまな活動を通じて、あらゆるものに対しての慈愛に満ちた無私の献身を注がれてきたことが見えてくる。
1,難しい境遇に置かれている子どもたちへの愛
平成14年、雅子さまは将来の取り組んでみたいライフワ―クについて質問された際、こう答えられた。
「母親になりましたので子供の成長を見守り,そしてやはり子供が幸せな人になってくれるように、それをいろいろな形で手助けしていくということが大切であると思っております。(中略)難しい境遇に置かれている子供たちには心を寄せていきたいと思っております」
そのお言葉の通り、雅子さまは公務で地方を訪れた際も、子供たちが入院している小児病棟などに積極的に足を運び、励ましのお言葉をかけられてきた。
そんな雅子さまのお気持ちを託されたかのように、当時、飼っていらっしゃった愛犬ピッピは、特別な訓練を受けて「セラピー犬」として活躍。
病院の小児病棟へ出向き、子どもたちの心を癒す役割を担っていた。
「子供たちには心を寄せていきたい」と語っていた通り、雅子さまは有言実行の人でいらっしゃるのだ。
2,被災地の復興を願って
皇太子同妃時代から両陛下は被災地の人たちに心を寄せ、災害が起きるとお見舞いに訪れ、一人ひとりのお話に耳を傾けてこられた。雅子さまが悲しみに沈んだ被災者の手を握って、悲しみを分かち合おうとされるお姿を印象的に覚えている読者の方もいるのではないだろうか。
中でも心を砕かれたのは、平成23年に発生した東日本大震災だった。両陛下は、福島、宮城、岩手の被災地から中・高校生約100人を集めた「OECD東北スクール」の活動を応援し、イベントにも出席された。
その生徒総括リーダーを務めた高校生のSくんは、雅子さまから大きな勇気を与えてもらい、将来は故郷・福島県に貢献したいと米国カリフォルニア大学バークレー校に留学。
雅子さまに留学の報告をした時、「体に気をつけて頑張ってくださいね」と思いやりにあふれるお言葉をかけられ、心にずっしりと響いたという。
平成27年、雅子さまは陛下とともに福島県を訪れ、地元の若者たちと交流した時の印象を文書にこう綴られている。
「風評被害もある中で、震災前よりも一層輝く福島県にしたい、将来ふるさとに戻って地域のために貢献したい、という前向きな気持ちにあふれた高校生の言葉に接し、嬉しく、また心強く思いました」
3,動物たちの命を救いたい
雅子さまが陛下とともに、新しく取り組んでいらっしゃるのは、動物たちを救うご活動だ。
令和元年9月、お二人は秋田県を訪れた時、飼い主の事情によって手放した犬や猫を保護し、新しい飼い主に譲渡する活動を行う、動物愛護センターへ足を運ばれた。
雅子さまは飼い主のいない保護犬、シーズーのみよちゃんのリードを引き、
「みよちゃん、いきますよ」
と、雅子さまの明るい声が響く室内で、散歩の練習をお手伝いされた。
その後、秋田犬の保護犬こまちとの触れ合いでは、突然、雅子さまの鼻をなめるハプニングもあったが、雅子さまは少しも動じることなく、終始、笑顔に包まれていらっしゃった。
この世に生を受けた動物たちが愛情に包まれて暮らして欲しいと、現在、天皇ご一家は保護された犬1頭と猫2頭を飼っていらっしゃる。
難しい境遇にある子供たちや、被災してすべてを失ってしまった人たちに、希望の光を灯してあげたいと切に願われるお気持ちは、雅子さまの半生を貫く温かなまなざしに溢れている。
今までも、そしてこれからも……。
「来月、ご結婚30年を迎えられる天皇皇后両陛下 雅子さまが語られた『心に残る名言』」https://news.yahoo.co.jp/byline/tsugenoriko/20230525-00350905
「令和初の園遊会 天皇皇后両陛下は誰と何を話すのか? 知られざる「ウラ舞台」とは」https://news.yahoo.co.jp/byline/tsugenoriko/20230508-00348532