視聴率ばかり話題になる「いだてん」が「誰のためのどういうオリンピック」問題を真剣に問いかけていた回
日本ではじめてオリンピックに参加した男・金栗四三(中村勘九郎)とオリンピックを東京に呼んだ男・田畑政治(阿部サダヲ)を主人公に、明治、大正、昭和とオリンピックの歴史とそれに関わった人々を描く群像劇。第二部・田畑編。ロサンゼルスオリンピックでは大きな成果を出し、次はいよいよ東京へオリンピックを招致するため嘉納治五郎たちが動き出す。
あらすじ 第32回「独裁者」 演出:大根 仁
1932年、ロサンゼルスオリンピックで水泳が活躍、金、銀、銅あわせて18個のメダルを獲った。今度の目標は、東京へのオリンピックを招致。嘉納治五郎(役所広司)を中心に活動が本格化するも、当初オリンピック不要論を唱えていたドイツのヒットラーが、オリンピックを利用することに方針を変更したため、代わりに東京が選ばれる希望は潰えた。その四年後は、ムッソリーニ率いるローマが選ばれる気配が濃厚だ。満州事変で糾弾され国連脱退、国際社会で孤立しはじめた日本の立場は弱い。東京オリンピック計画の言い出しっぺの永田東京市長(イッセー尾形)は辞任し、岸(岩松了)は死去。逆境のなか、田畑はオリンピック招致委員になり、杉浦陽太郎(加藤雅也)、副島道正(塚本晋也)など新たな者が加わってプロジェクトが推し進められていく。悩んだ末嘉納が思いついた策は、ムッソリーニに譲ってくれと交渉してみるというものだった。
金メダルではないといけないのか
永田市長は、凱旋した前畑秀子(上白石萌歌)に、なぜ金メダルをとってこなかったんだねえ、ベルリンではもっとがんばってくれと言い、それを聞いた大横田(林遣都)は同じく金を逃した自分を責めて涙。田畑(阿部サダヲ)は憤慨、6秒縮めるのがどれだけ大変か熱弁する。
「血のにじむような努力を重ねて縮めた十分の一秒、十分の一秒の集合体、十分の一秒の60倍がすなわち6秒なんだよ」
阿部サダヲがこのセリフを熱く強く速く言うことで、時間を縮めること、人間の身体で困難を突破することがいかに大変か実感伴って伝わってきた。わずか6秒の果てしなさを語るセリフはまるで谷川俊太郎の「二千億光年の孤独」のようにも私には響いた。
スポーツに関心をもち熱狂することに違和感を唱える田畑
前畑秀子は永田に全国民が応援していたと惜しまれ、実際、多くの激励の手紙も来て、まるで自分が泳いで負けたみたいな熱狂を見て、呆然となる。4年後に金を目指せと期待されても、その頃、自分は22歳。女でそんな年まで泳ぐなんてアホよと喚く。
その夜、死んだ父と母が夢枕に立って、やっぱり銀だったことを惜しむ。
「うち、くやしい?」 「銀メダルって途中なん?」
前畑のなかに他者の思いが侵食していき、金メダルを獲らなきゃいけないと思いこんでいく。
銀メダルだって無理そうだったところ、頑張って銀をとり、ベストを尽くして楽しかったはずなのに、他者の期待と熱狂に押されてさらなる目標と責任感を背負ってしまう。このように当事者でない者たちが、スポーツに関心をもち熱狂することに違和感を覚えたのは田畑だ。だが、お留守番ピックだった野口(永山絢斗)は、スポーツの意義を理解してくれなかった時代をいやというほど味わっていて、スポーツで国を明るくすることを成し遂げた田畑を讃える。
誰のためのどういうオリンピックか
のちに田畑がオリンピック招致委員になって会議に参加したとき、「誰のためのどういうオリンピックなら日本はできるのか」と問う。
「選手のため国民のため軍のため」それによってできることは変わるし、大事なのは、食事やトイレの様式であると当事者だからこその田畑の指摘はごもっとも。とかく当事者でないものは現場の事情をわかっていない。「いだてん」ではこれまでずっと理屈やイデオロギーではなく、現場の状況をすくいとってきた。食事によって選手の体調は変わることは、大横田がお腹を壊してしまったエピソードがあり、トイレの話では、最初のオリンピックで便器の高さに泣いた三島弥彦(生田斗真)のエピソードがあった。四三の記憶に一番残ったオリンピックは「お茶とお菓子」だった。32回では、田畑が仕事しているとき、菊枝が夜食を準備している。
大事なのは、選手がいかに快適に過ごし力を出しきれるかではないか。この場面では、2020年のオリンピックに向けて、競技場となっている海が汚いことや、そもそも懸念の暑さなどの未解決な諸問題が脳裏をかすめた視聴者も少なくないだろう。いまの状況はオリンピックをなにがなんでも日本でやることが主目的になっている気がする。田畑ならどう言うか。
…話をドラマに戻そう。「ロスは楽しかった」と田畑は思い返し、
「ただのおまつりですよ 走って泳いで騒いでそれでおしまい 平和だよね〜」と言う。
楽しむことと過度な熱狂は似て非なるもの。この矛盾を示すものとして、私は、あの四三とラザロの運命を分けたY字路を思い出した。ほんのちょっとずれるだけで大きく道が変わってしまう、
みんなが楽しいお祭と熱狂が暴走し何か別のものと化すことの違いとはいったい何なのか。「いだてん」を見ているとすごく考えさせられる。
「ただのおまつりですよ」
昭和7年(1932年)、岸は天皇陛下にオリンピックの御進講申し上げる大役を任される。東京オリンピック招致についても御進講した。陛下に会えて、オリンピック報告できたことで感動した岸の左の目だけが二重になっていた。
翌年、彼が急逝したときの遺影は片方だけ二重のもので、それをとがめた嘉納治五郎に「これがいいんですよ 生涯の光栄の証ですから」と田畑は言う。四三の走りに涙してオリンピックに力を注ぎ続けた岸という人物に対する愛情のこもったエピソードで、男泣きが専売特許だった岸のかわいげのある様をたっぷり回想で見せた。「独裁者がいると仕事が早い」と言う嘉納治五郎のセリフ。こういうセリフはさらりと描き、見た人に判断を任せながら、その時代に確かに生きた人物の魅力はこれでもかと濃く描き続ける。宮藤官九郎脚本でいま、オリンピックのドラマを作った意味はここにこそあると私は思う。「ただのおまつりですよ 走って泳いで騒いでそれでおしまい 平和だよね〜」これをあくまで貫こうとしているのではないか。驚いたのは、片方だけ二重のエピソードは宮藤の創作のはずが、実際の写真も片方だけ二重だったそうだ。実際の岸も片方二重を気にしていたかもしれない。想像と現実が重なる奇跡の瞬間はとてもおもしろい。
世帯視聴率では測れないと言われながらも何かといえば高い低いが記事になる世帯視聴率を獲得するには、極端にキャッチーな言葉や場面を作りだして気持ちよく熱狂させればいい。「いだてん」はそこを狙っていないのではないだろうか。31回で菊枝(麻生久美子)が、メダルをひとつ残したのは「品格」と言った。「いだてん」がいまこの時代に世帯視聴率をとりにいかないのはある種の品格だと思えてならない。
新キャラ小松登場、予告では美川が復活
田畑は菊枝と結婚。このとき、また菊枝が気の利いたことを言う。
「口が悪いということは心は口ほど悪くないということですから」
田畑と菊枝の結婚祝いに、美濃部孝蔵(森山未來)が古今亭志ん馬名義でやって来る。この頃、ようやく結婚式の余興やラジオ出演で生計を立てられるようになっていた。
それと平行して、やがて名人になった志ん生に弟子入りし、「東京オリムピック噺」を一緒にやって、なかなかいい調子の五りん(神木隆之介)の出生の秘密もようやくわかりかけてくる。
四三にあこがれる青年・小松(仲野太賀)が現れ、四三の弟子入り(?)する。彼はストックホルムオリンピックの四三のゼッケン822をつけている。
小松が冷水浴を教わる場面と、父の教えと言われてそれを欠かさない五りん(神木隆之介)の場面をつなげて見せる。
四三と小松、志ん生と五りん。ついに時空を越えてつながった。32回続けて見てよかった。
点と点がつながって、「いだてん」はこれから勢いを増していくんじゃないか。そろそろ反撃開始してほしいが、熱狂させない引いた視点を捨ててほしくないので、このままでもいいかと私は思っている。
33回は、田畑が1940年東京オリンピックを実現するために、禁じ手に出る。嘉納治五郎不在のなか、ムッソリーニに、そして世界に対峙する杉村・副島。予告の1シーンで話題をかっさらった美川(勝地涼)の近況も明らかに。
美川どうしてるかなあと思っていたところだったので、嬉しい予告編。ツイッタートレンドにも #美川くん が登場した。彼こそ、とくになんにもしていないのに愛される、「いだてん」らしい登場人物だ。
第二部 第三十三回「仁義なき戦い」 演出:桑野智宏 9月1日(日)放送
大河ドラマ「いだてん〜東京オリムピック噺(ばなし)〜」
NHK 総合 日曜よる8時〜
脚本:宮藤官九郎
音楽:大友良英
題字:横尾忠則
噺(はなし):ビートたけし
演出:井上 剛、西村武五郎、一木正恵、大根仁ほか
制作統括:訓覇 圭、清水拓哉
出演:阿部サダヲ、中村勘九郎/綾瀬はるか 麻生久美子 桐谷健太/森山未來 神木隆之介/
薬師丸ひろ子 役所広司 ほか
「いだてん」各話レビューは、講談社ミモレエンタメ番長揃い踏み「それ、気になってた!」で連載していましたが、
編集方針の変更により「いだてん」第一部の記事で終了となったため、こちらで第二部を継続してお届けします。