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歌舞伎を見る前に知っておきたい「戦いの歴史」 〜大向うが案内する歌舞伎入門〜

堀越一寿歌舞伎大向う
(提供:イメージマート)

こんにちは。大向うの堀越と申します。

大向うとは歌舞伎で掛かる「中村屋!音羽屋!」などの声援やその声を掛ける常連客のこと。劇場公認の大向うとなって25年余り……。「一度くらい歌舞伎を見てみたい」という方へ向けて、その魅力や歴史をわかりやすくお伝えすることで興味をもってもらえればと思います。

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歌舞伎を見てみたいと思っても「ハードルが高くて……」と一歩を踏み出せない人は多い。

歌舞伎は発祥から一貫して大衆のための芸能であり誰が見ても楽しめるものだ。とはいえ江戸も遥か百年以前のむかし。もはや暮らしぶりなど想像もつかない。「400年も進化を続けてきたエンターテインメントなんだよ」と言われてもピンとこないのも仕方がない。

そもそも「歌舞伎の楽しみ方」について、私たちは何ひとつ教わっていないし、敷居や伝統という見えない壁だけが高くなっている状況だ。これでは「さぁ歌舞伎に行きましょう」と言われてもなかなかその気にならないのはもっともだ。

そこでまずは楽しみ方の初めの一歩として歌舞伎の「戦いの歴史」を簡単に紹介したい。

◆幕府は歌舞伎が嫌い

もともと歌舞伎は大衆のための芸能で、映画やコンサートのような手間とお金をかけて作られる大がかりなエンターテインメントだ。

文楽、能、狂言からもヒットしそうな人気作はあっという間に取り入れるし(当時著作権があったら大変だったろう)、大きな事件があればすぐに芝居にする貪欲さは「お行儀のいいかしこまったモノ」とはとても言えない。

例えば『忠臣蔵』として知られる浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)の刃傷事件に端を発する「赤穂浪士討入り事件」は翌年には芝居化された。それが進化して名作「仮名手本忠臣蔵」が生まれるのだが、当時の社会を大いに賑わせた事件に庶民感覚を織り込んで作品化するのは歌舞伎のお家芸だ。

こんなことだから江戸幕府は庶民の心を動かし、政治の安定を揺るがしかねない芝居を目の仇にしていた。役者の身分は極端に低く置かれていたし、芝居小屋は幾度も廃絶の危機に晒されてきた。

歌舞伎の歴史は、幕府の厳しい監視と干渉をグレーゾーンでくぐり抜けながら大衆に喜ばれるものを作り続ける戦いの歴史だったのだ。

歌舞伎の根底には「既成の常識に縛られない自分たちのためのカルチャーを作っていこうぜ」という反骨精神があるのだ。これを“ロック”にたとえる役者もいるが、その通りだと思う。

◆歌舞伎は戦い続ける

先に書いた通り、歌舞伎は実に貪欲で能や狂言あるいは文楽など他分野からも次々と人気作を取り入れてきた。

歌舞伎で最も有名な作品の一つ「勧進帳」は能の「安宅(あたか)」と講談などを取り入れて創作されたものだし、大正時代にはシェークスピアの「ハムレット」を「葉武烈土倭錦絵(はむれっとやまとのにしきえ)」として翻案するなど、とにかく流行の先端を走り続けた。

この精神は今も生き続けており、現・市川猿翁のスーパー歌舞伎、十八代目中村勘三郎の平成中村座やコクーン歌舞伎。そして野田秀樹、宮藤官九郎、三谷幸喜といった人気劇作家による新作。人気コミック「ONE PIECE」や「NARUTO」も歌舞伎になり、宮崎駿の「風の谷のナウシカ」は映画でもなしえなかった原作全編の舞台化もやり遂げた。

このように歌舞伎では古典を守るのと同じくらい、新しい時代に即した作品を生み出していくことが大切にされてきた。古典と新作、この二足の草鞋(わらじ)が歌舞伎のスピリットなのだ。

これからも「伝統」という名前に寄りかかることなく、その戦いの歴史は続いていくはずだ。

歌舞伎大向う

東京生まれ。1997年より「音羽屋!「成田屋!」など俳優に声をかけて舞台を盛り上げる歌舞伎大向うとして故・十八代目中村勘三郎から信頼を得た。歌舞伎の面白さを多くの方に味わってもらいたいとの思いから講演や執筆を開始。テレビ、ラジオなどのメディア出演も多数。

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