エリザベス女王の名を付けるのが許された料理は? あの国民的スターシェフが創り出した背景
エリザベス女王のニュース
2022年9月8日にイギリスのエリザベス女王が96歳で亡くなりました。棺は14日、ウェストミンスター宮殿に安置され、一般弔問が始まりましたが、弔問する人は75万人にのぼり、最大で30時間の待ち時間だったといいます。日本でも日々詳しく報道されており、関心度の高さが窺えるでしょう。
エリザベス女王と日本の縁は浅からぬものがあります。1953年6月に当時皇太子であった上皇陛下が、エリザベス女王の戴冠式に参列したり、エリザベス女王が1975年5月7日からイギリスの元首としては初めて日本を訪問したりしました。以来、イギリスの王室と日本の皇室は親交を深めてきたのです。
女王の名が付いたメニュー
エリザベス女王が訪日したのは1回だけですが、実は、エリザベス女王の名前を付けることが許された料理があります。
それは帝国ホテル 東京の「ラ ブラスリー」で提供されている「海老と舌平目のグラタン “エリザベス女王”風」(4,600円)。「レーンヌ・エリザベス」とも呼ばれています。
「ラ ブラスリー」はアールヌーボー様式のインテリアが印象的な料理とワインを気軽に楽しめるブラスリー。2021年11月1日にコンセプトが新しくなり、東京料理長の杉本雄氏によってメニューも刷新されました。本場のブラスリーに回帰しましたが、「海老と舌平目のグラタン “エリザベス女王”風」は帝国ホテル伝統の逸品として、「伝統のダブルビーフコンソメスープ」(2,000円)や「シャリアピンステーキ」(4,600円)と共に引き続き提供されています。
名前が付けられた経緯
エリザベス女王の名前が付けられたのは、どういった経緯からでしょうか。
エリザベス女王は来日した際に、帝国ホテルで開催された午餐会へ出席しました。その時に、当時の料理長であった村上信夫氏が、魚介類が好きな女王のために特別メニューを考案。エリザベス女王がとても喜ばれ、自身の名前を付けてもよいと承諾したのが「海老と舌平目のグラタン “エリザベス女王”風」だったのです。
海の幸に溢れたグラタン
では、「海老と舌平目のグラタン “エリザベス女王”風」は、どのような料理でしょうか。
舌平目と、海老、帆立貝、白身魚の身で作ったムースで大きな海老を巻き、ソースモルネーを原型としたグラタンソースをかけて焼いたグラタンです。海の幸が一堂に会していて、滋味が豊かで実に濃厚。
海老は身がふっくらとし、噛めば噛むほどに旨味が感じられます。魚介類のムースは海の佳味がたっぷりで、これだけを食べても非常においしいです。
かけられているアメリケーヌソースは、殻付きの海老の美味が凝縮されていて出色。添えられたパイ生地は料理と一緒に食べるのはもちろん、ソースに付けて食べるのもオススメです。
村上信夫氏とは
この「海老と舌平目のグラタン “エリザベス女王”風」を創り出した村上信夫氏(1921年~2005年)はどういった料理人でしょうか。
村上氏は帝国ホテルで第11代料理長および初代総料理長を務め、「ムッシュ村上」と尊敬の念を込めて呼ばれていました。
1958年に日本で初めてバイキングを導入し、1960年からNHK「きょうの料理」に9年間レギュラー出演して国民的スターシェフに。1964年の東京オリンピックでは男子選手村富士食堂の料理長を務め上げ、1969年にヨーロッパで研修し、帰国して第11代料理長に就任。1970年11月には取締役総料理長となり、以降1996年6月まで帝国ホテルの総料理長という重責を担いながらも、フランス料理を究めました。
大きな功績を評価されて受賞歴も数多く、1987年にフランス料理界で権威がある「メートル・キュイジニエ・ド・フランス」も受賞、2000年には「フランス農事功労章」も受章し、輝かしい経歴をもっています。
心を込めてつくる
村上氏は2005年8月2日に心不全のため84歳で亡くなりましたが、サインやメニューにはよく「料理は愛情」と記していました。
「心を込めてつくらなければ、絶対においしい料理はできない」という真っ直ぐな想いをもっており、それが、エリザベス女王からも認められ、現在でも愛される「海老と舌平目のグラタン “エリザベス女王”風」が誕生した理由ではないでしょうか。
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