盧武鉉大統領はなぜ弾劾され、そして復職できたのか?
当時(2004年)は、大統領選挙資金をめぐって複数の大手財閥から不正な資金を集めたとして与野党の国会議員が8人が逮捕されるという事件が発生し、政界汚職は盧武鉉大統領を巻き込む韓国の一大疑獄に発展していた。
盧武鉉大統領は自らの陣営が集めた不正選挙資金が野党ハンナラ党の不正資金の10分の1を上回るようなことになれば大統領職を辞任し、政界から引退することを表明したが、この年の1月16日に開かれた新年の特別記者会見で次のような見解を出していた。
「ハンナラ党の不正資金の10分の1を上回れば政界から引退すると言ったのは事実だ。言ったことは守る。一時凌ぎのため言ったのではない。発言には責任を持つ。10分の1の問題は、そのような事実が明らかになれば、再信任を求めることなく約束を守る」
自らの疑惑について検察の捜査を受ける容疑があるかとの質問については「自ら検察に出頭するつもりはない。検察が捜査の必要があると判断し、捜査したいというなら受けるつもりだ」と発言し、捜査には聖域はないことを明らかにした。
盧武鉉大統領は「2012年12月の大統領選挙で使った資金は合法、非合法合わせて350億~400億ウォン未満である」と語っていた。検察は盧武鉉陣営が集めた不正選挙資金を明らかにしてなかったが、ハンナラ党は盧武鉉大統領の側近らが集めた不正資金は2004年1月14日の時点で80億~82億ウォンに達するとして、すでにハンナラ党の530億ウォンの10分の1を超したと主張し、盧大統領に退陣を迫った。
大統領選挙資金絡みの不正資金はサムソン、LG、SK,現代自動車の4大企業を筆頭に多くの企業が拠出していたが、4大企業ではサムソンが一番多く152億、続いてLGが150億、SK100億、現代自動車100億となっていた。ロッテや韓進も数十億ウォン単位の資金を拠出していたが、検察は大宇建設が1億7千万ウォンの不正資金を盧武鉉陣営に渡していた事実を掴んでいた。
韓国憲政史上初の大統領弾劾はハプニングの賜物であった。少数与党のウリ党(49議席)による国会運営を強いられていた盧大統領は4月15日の選挙が近くづくにつれウリ党を露骨に支持する発言を行っていた。これに危機感を感じた最大野党のハンナラ党(137議席)はウリ党と分裂したため与党から野党に転落した新千年民主党(61議席)と共闘し、盧大統領の発言は選挙中立を定めた公選挙法の違反であると、3月9日に弾劾訴追案を国会に提出した。
弾劾の直接的理由は「憲政史上初の大統領選挙違反」にあるが、大統領選挙資金をめぐる不正疑惑や盧大統領の側近や親族に絡む不祥事、内外政策をめぐる大統領の統治能力も問題視された。実兄までもが大宇建設の社長から「社長が続けられるよう便宜を図ってもらいたい」と斡旋され、3千万ウォンを収賄した疑惑が発覚していた。
可決には定数(273議席)の3分の2にあたる182人の賛成票が必要となるが、訴追案の提出に賛同した議員は159人で、23人足りなかった。ハンナラ党のうち36人が、民主党のうち11人が反対していた。従って、この時点では否決される可能性が多分にあった。しかし、2日後の盧大統領の記者会見が弾劾に拍車を掛けてしまった。盧大統領は選挙違反への謝罪を拒否し、逆に野党を攻撃する一方で、「総選挙の結果こそが国民の審判である」と開き直ったからだ。
「謝罪すれば、弾劾まですることはない」と慎重だった一議員らがこの発言に態度を硬化。結局34人が賛成に回り、3月12日に大統領訴追案は3分の2を11票上回る193人の賛成で可決されてしまった。
盧大統領は弾劾が国会で可決された2004年3月12日、大統領職務及び権限が停止された。当時国務総理(首相)だった高建氏が大統領職務代行を務めた。
国民が選んだ大統領を国民から選ばれた国会議員が弾劾するという矛盾した選択に憲法裁判所がどのような審判を下すかに世論の関心がかかっていたが、弾劾可決後の世論調査では7割から8割は弾劾に反対を表明していた。韓国では世論が裁判官である。世論は盧大統領に同情していた。
4月15日に行われた選挙でウリ党は改選前の49議席から過半数を超える152議席に占めた。ハンナラ党は137から121に減らし、民主党に至っては61から9と潰滅的な敗北を決した。
与党の圧勝は盧大統領のへの事実上の信任とみなされ、弾劾から約2か月後の5月14日、憲法裁判所は弾劾を棄却し、盧大統領は職務に復帰した。