阪神からDeNAへ、大和選手の新たな船出。その原点にある地元・鹿屋への思い
きょう2月1日はプロ野球選手にとってのお正月、2018年の春季キャンプが始まりました。ことし入ったルーキーたちと同じように新しい環境でこの日を迎えたのが、FAでDeNAベイスターズへ移籍した大和選手(30)です。昨夜のスポーツニュースでキャンプ前日の全体ミーティングの様子が流れ、遠目でもわかるくらい目立つ“黄色い”ウエアで笑顔の大和選手が映っていました。うまく入っていけたみたいでホッとしますね。
そんな人間関係を誰よりも心配していた森越祐人選手(29)の言葉や、大和選手自身の心境を先月、鹿児島県鹿屋市で行われていた自主トレで聞いてきました。2人だけでなく、大和選手が愛し愛される地元の方々のお話もご紹介します。お邪魔したのは1月19日から3日間なのに、突発的な諸事情が重なり大変遅くなってしまって…。関係者の皆様や鹿屋の皆様、読者の皆様も本当にすみません。
自主トレも“ゼロ”からのスタートで
鹿屋に初めて伺ったのは2013年1月5日の自主トレ公開日でした。この年は黒田祐輔選手、森田一成選手、穴田真規選手、ルーキーの金田和之投手(のちほどロッテの高濱卓也選手も)が参加していたので、とても賑やかだった印象があります。それ以来5年ぶりで、場所も変わって今は串良町の平和公園屋内練習場です。
移籍を決めてからの自主トレも、昨年までと同じく森越選手と2人。その前にハワイで鳥谷選手の自主トレに参加するのも2人の恒例行事だったのですが、ことしハワイへ行ったのは森越選手のみでした。また今回は、大和選手がプロ2年目までお世話になっていたトレーナーさんに依頼して取り組んだことについては「またゼロから始めたかったから、ですかね」と言っています。
そのトレーナーとは瀬戸俊一さん。川崎宗則選手をはじめとする個人トレーナーも務め、JOCトレーナーとして五輪に帯同したり、子どもの体操指導やサッカー、陸上、ダンスなど様々な分野で活動されています。肩書だけで1時間くらいインタビューできそうな方なんですよ。その中から1つだけ選んで『株式会社チャレンジスポーツマリンスタジオ 代表取締役社長』とさせていただきましょう。
樟南高校でも、大和選手が在学中から野球部のトレーナーを務めておられたので、かれこれ14年来の関係。プロに入ってからも1年目と2年目の自主トレは担当されたものの、その後はしばらくなかったそうです。「でも今回、年末に連絡がありました。心機一転、リセットして臨みたい気持ちもあったんじゃないですかね」と瀬戸さん。ものすごく多忙だとお聞きしたのですが、スケジュールは?「せっかくなので空けました。大和のために」
1月17日から21日までの第1クールが5日間あって「そこはメッチャ追い込みました。走るのも含めて。足にスランプはないですからね。対応できる体さえ作れば、そして動くようにしておけば、あとは自分でバッティングはできるので。私は、キャンプが始まった時に2人がベストでいけるようにしたかったんです。脚力、壊れない体、可動域を広げる。この3つが大切」というのが瀬戸さんの説明です。
朝は外でジョギング、室内に入ってからは体幹やアジリティトレーニングをじっくり行い、着替えてから守備練習。ここではバットを手にノックを打つ瀬戸さんですが、ランチ後の打撃練習になると今度はボールをトスする役目。マウンドより手前の正面位置から下手投げです。ノックもトスも合わせて3時間くらいだから相当な量だったはず。練習後のストレッチやマッサージまで、いや~本当にお疲れ様でした。
そんな瀬戸さんいわく「広島の菊池選手は打と守、巨人の坂本選手は打と走、でも守だけなら大和選手がナンバーワンだと思っています。高校2年で初めて見た時、高校生でこれは“やばい”なと、天才やと思って今まできた」そうで、こんなに長くFAの資格を得るほど現役を続けられるのは予想外だという本人の言葉も「いや、私は思っていましたよ」と否定。「選手を20年やる。そしてコーチになる。ならなきゃダメです!」と最後は断言でした。応えたいですね、何としても。
DeNA大和としての自主トレ公開
ではここで、1月21日に行われた自主トレ公開の際、取材に応じた大和選手のコメントを書いておきましょう。どんな小さいことでも記事になった今までを振り返り「やっぱりタイガースブランド、だったのかなあ」とつぶやいた大和選手。でも公開日にはDeNA担当記者をはじめ、多くのマスコミ陣が訪れましたよ。ただほとんどが初めて会う人ばかりだったのか、その中に以前トラ番だった記者を見つけ「僕、知ってますよね?」と声をかけて、何だか嬉しそうでした。
地元での自主トレ、やはり特別な場所?「そうですね。知り合いの方とか、いっぱい見に来てくれますし、その中で手伝ってもらったりだとか。また自分の力になるので続けていきたいなと思います」。守備練習が念入りでしたね?「やっぱり守備を一番評価されて入った人間なので、そこで少しでもミスを減らすという意味では守備に力を入れてやっていきたい」。手応えは?「何ひとつ不安はないです」
内野でもゴールデングラブを獲りたい?「まあ外野手では獲りましたけど、もともと内野手で入ったので一度でもいいから獲りたいとは思いますね」。そのためにも全試合出場を目標に。「出ないことには賞ももらえないので、試合に出るという強い気持ちを持っていれば、おのずといろんな賞もついてくると思う。自分の気持ちを出していきたい」。内野と外野の両方でゴールデングラブ賞を獲得すれば、セ・リーグでは2人目のこと。実は高田繁GM以来となりますが、そのあたりに何か縁を感じる?「GMとの交渉の時に守備の話をさせてもらいましたし、そういう意味では縁があるのかなと思います」
キャンプでの守備練習は、外野など他のポジションも見てもらいたい?「見てもらいたいというより、どうだというお話があれば自分はどこでも守れるというのは変えないでいきますし、それが最後は1つにおさまればいいなと思います」。今、グラブは?「内野用だけです」。2つ使っていますね。「確認をしたかったので。2つの違いは微妙です。開くか開かないかだけ。開く方が遊びは大きいですね」。どちらがいい?「なじんだ方を使おうかなと思っています。試合はどちらか1つになるかと」
去年は?「去年は…人のグローブを使っていました。キャンプで(自分のものが)しっくりこなくて、シーズン前になってメーカーの子が使っていたのを貸してもらったんです。それが7月頃にへたってきて、そのあとは上本さんのを。だから自分のは使っていない(笑)」。このところ新加入の選手にノックをするのが恒例になっているラミレス監督。キャンプで受けてみたい?「受けたい、と言った方がいいですか?」と聞き返したので、記者陣は爆笑。答えは「いくらでも受けます!」でした。
様子を見て、探りながら(笑)
また「2番セカンド・大和で」ともラミレス監督は明言しています。それについては?「そういうポジション的なことも言われていますし、またそこで勝負しないと試合に出られないと思うので、勝負していきたいです」。セカンドと言えば広島の菊池選手がライバル。「1年間、普通にやればそれなりに勝負できると思うし、もちろんあっちの方が上手とわかっているので、1つでもエラーの数を減らすことによってまた見方も変わってくるかと」
左打席でのバッティングに関しては「本当に、去年のシーズン終わりくらいには何も違和感なく打席に立てていました。右打席とはまったく違うもんと考えてやっています。左の方がコンパクトですかね。右の方が強く振れるけど」とコメントしました。
地元愛は強い方か?との問いに「地元が好きすぎるんで」と答えて、みんな笑います。NHK大河ドラマ『西郷どん』が始まって、鹿児島はブーム。テレビは観ていますか?「観てないですね。ちょこっとは観ましたけど。鹿児島弁がきつすぎて他の人はわからないんじゃないかと(笑)。僕も友だちとは鹿児島弁でしゃべりますよ」。鹿児島県人にとって西郷さんは特別な人?「なんたって“西郷さん”っていうくらいですから。呼び捨てにする人はいないんじゃないですか」。なるほど。
DeNAは若いチームなので、大和選手の“経験”も期待されているはず。「タイガースというチームで12年間やってきましたし、若い選手に伝えられることもたくさんあると思う。自分が伝えなきゃいけないことも。積極的にコミュニケーションを取っていきたいですね」。じゃあリーダー的存在に?「そこまでは…大丈夫です(笑)」。まずは様子を見ながら?「だいぶ様子を見ると思います!」。思いのほか力が入っていたので一同爆笑です。
タイガースでは若い子の面倒をよく見たタイプ?「いやもう全然です。ついてくる子にはトコトンやりますけど、そうでないと。でも普通にはしゃべります」。タイガースでの一番弟子は誰?「(笑)あいつ、森越です。タイガースに来た時から急に仲良くなって、どんどん来たので。そういう子は可愛いですね」。倉本選手との二遊間になるかと思われますが、コミュニケーションはグラウンド以外でも?「一緒にノックを受けるとかが一番だと思います。1週間もあれば、どういう選手かだいたいわかるので」
いつも駆けつけてくれる地元の皆さん
取材の中でも出てきたように、この自主トレには多くの方がお手伝いや激励に来られていました。道山勝祥さんは硬式少年野球チーム・大隅鹿屋タイガースの代表でもあり、鹿屋自主トレは毎年手伝ってくださっています。また道山さんは市内でバッティングセンターを経営されているので、小学生のころから大和選手をよくご存じだとか。4年生くらいの頃にプロ野球選手の映像つきのマシンが登場したのですが、西武・松坂大輔投手を相手に「最速155キロが出ていたのに、大和はそれを打つんですよ!120キロでは物足りないとか言って」と道山さん。
この日は末っ子の道山桃太郎くん(中学3年)も練習の手伝いに。ピッチャーと内野をやっているけど「内野をやりたい」というだけあって、ノックなどは食い入るように見ています。勉強になったのはどんなところ?と聞いたら「捕ってからの早さ、トスの正確さ、歩幅の合わせ方」と桃太郎くん。ほほ~。貪欲に観察していますね。「それと…」。まだありました。「楽しくやっているところ」。なるほど。
私が見させていただいた3日間とも、最初から最後まで一緒に体操をしたり走ったり、またボール渡しや守備練習の補助にまわったりして手伝っていた福留駿也さんは、鹿屋中学の後輩(といっても大和選手の3つ後輩なので重なっていないけど…)。現在は樋渡石油ソフトボール部でセカンドを守る、現役選手です。
21日には樟南高校の1つ後輩で、千葉ロッテや四国・徳島にも在籍した大谷龍次さんもお手伝いに。大和選手が「大谷ですよ」と紹介してくれた時、そういえば徳島と阪神ファームの練習試合が鳴尾浜で行われた際にも「大谷が来るんです、後輩の」と嬉しそうだった顔を思い出しました。
中学時代に所属していたチームの先輩方も駆けつけ、その中の和田聖さん(大和選手の1つ上、右投げ)はバッティングピッチャーを務められました。今も草野球はしているとのことですが、けっこう緊張されたようで。そりゃそうですよね。しかもこれが大和選手、森越選手とも、マウンド位置から投げてもらってのバッティングは年明け初だったみたいですよ。
小学校と中学校で同級生だった女性陣も毎年、お昼ご飯のおかずを作って差し入れたりしてくれています。そこで内緒話もちょこっと聞いてみました。大和選手は小学校、中学校でモテたのかなあ?「モテました!あまり感情を表に出さないのがミステリアスで」。ミ、ミステリアス?「近しい人には自分を思いっきり出すけど、そうでない人の前だと全然笑わないので」。へええ。
そのほかに「プロ野球選手になっても、まったく変わらない。とても素直なので、扱いやすい(笑)」、「鹿屋愛がすごい」、「とにかく優しいです。男女問わず。友だちにはすごく優しい、友だち思いで家族思い」と、いいコメントが続々と。そして「同級生5、6人のグループLINEがあって、いつも参加してきます。どこに行っていても」との証言もありました。だがらこそ何年経っても変わらない友情が、そこに存在するわけですね。
森越「寂しい。でもチャンス、でしょうね」
それでは、最後に森越選手と大和選手のコメントで締めくくりましょう。先に森越選手です。いつも通り年明け8日から1週間、ハワイ自主トレも参加して帰国後すぐに鹿屋へ?「ハワイから夜に帰って、次の日の昼にはこっちへ来ました」。時差ボケも抜けないうちに?「はい。時間はあるようで、ないですからね」
これが3年目の鹿屋自主トレ。なぜ一緒にしようという話になったのか、2人の“なれそめ”を聞いてみたら森越選手は「よく話すんですよ。最初のきっかけは何だったんだろう?って」と言い、そのあとを大和選手が引き継いで「森越が阪神に来て1年目の西武ドーム(2015年5月)。1軍に上がってきた森越に“グラブ貸して”と。それが最初です」と説明。それから話をするようになり、オフを前に「自主トレどうしてんの?」と大和選手が声をかけて、2016年1月に始まったという経緯です。
「似ているタイプっちゃ似ているタイプなので、勉強すること多いなと思いました」と森越選手も効果を感じている様子。ことしは過去2年と少し違っているのでは?「そうですね。でもやりたいことをやってくれているので、ありがたいですよ。充実しています!」。ことしの目標は?「開幕1軍!まだタイガースでは(経験が)ないので」。そうなると代走や守備固めだけではもったいない?「でもまあ、そのへんがメインになってくると思いますけど」
ところで、アップを勝ち取って笑顔いっぱいだった昨年11月の契約更改ですが、大和選手にも報告したんですよね?「はい!しました、すぐ。一番に電話しました。そしたら『上がった分、全部持ってこい』って言われました」。そばにいた大和選手が爆笑です。大和選手がFAを宣言してDeNAへ移籍。寂しい?「そりゃ付き合いの多い人なので寂しいですけど。でも仕事として考えるのであれば…チャンスでしょうね」
そこはプロの世界、生き残るためには感傷を捨てて挑まなくてはなりません。ましてや「似ているっちゃ似ているタイプ」の森越選手にとって、これ以上ないチャンスです。大和選手もそう望んでいるはず。また年末に「上がった分を持ってこい」と言われるような活躍をして、恩返ししてください。
森越選手から大和選手へ贈る言葉
ここからは、仲良しの大和選手へ森越選手から贈る言葉です。「環境が人を変えると言いますが…」と急に改まった口調。すると大和選手が「あははは!来たねえ」と大笑いしながら部屋を出ました。森越選手は続けて「変わらないように。そして、人とのコミュニケーションを取るのが上手いほうじゃないので、友だちが早くできるのを祈ります」
さすが、よくわかっていますね。その点、森越選手は自分から相手の懐に入っていくのが得意では?「いえ、僕は人見知りですよ。難しいですよ、僕だって移籍した身ですからね」。移籍経験者としてアドバイスは?「人間関係が一番難しいって話はしました。野球をやることに関しては別に。その監督、監督のスタイルがあるから、それに合えば。でも人間関係はまた一から築かなきゃいけないから大変。しかもこの年になると、やっぱり小学生みたいに無邪気にいけないのがね」
森越選手の場合は知っている人がいたでしょう?もと中日の選手もいたし。「昔から、学生の時から知っていたのは小豆畑だけですよ。ドラゴンズで(新井)良太さんはかぶっていないし、ドメ(福留)さんもいなかったし。(高橋)聡文さんだけでしょ。でも、そこはドラゴンズから来たってことだけでメッチャ面倒を見てくれました」。ほんと面倒見のよさなら一、二を争う先輩方ばかりですもんね。
これまでの人生で一番悩んだ昨年11月
最後は大和選手の話を。シーズン終了後、会うのは初めてのことでした。一度メールをしたんですが「電話も出なかったし、メールも見なかった」という熟考期間だったようで、返信なし。まあ、こちらも承知の上でしたからね。
FAを宣言した一番の理由は?「自分の評価を聞いてみたかったし、自分がどう見られているかを知りたかった。もちろんタイガースに残ることも頭に入れながら。残るか、出るか。タイガースか、DeNAかオリックスか。迷って、迷って、だんだん日が経つにつれて自分でもわからなくなってきて…。タイガースでやれたら、それが一番よかったと思いますけど、自分の中で何かを変えなきゃという気持ちもあった。環境というか、うーん…難しいな。何かを」
決め手となったのは?「自分の守備を評価してくれたことですかね。プロに入って自信を持ってやってきた守備だから。チーム方針で打がメインになったりして変わることもあるけど、一番評価されるところでやった方がいいかなと思いました」。とはいえ、そこに至るまでが辛くて長い時間だったようです。どれくらい悩んだの?「2、3週間。人生最大の悩みでした」
誰かに相談したりした?「鳥さん(鳥谷敬選手)には相談に乗ってもらいましたが、やはり『最終的に決めるのは自分だから』と」。そうですね。その道を選択した自分にも責任を持たないといけませんしね。そのあと大和選手は、少しずつポツポツとではありますが、言葉を紡いで気持ちを表してくれています。
「タイガースに残ればある程度、力を認められて自分の位置ってのはわかるけど、他でどうなのか知りたかった。ゲームに出たい気持ちはありました」
「ある意味、挑戦したかった部分もあって。これでいいかという、なあなあになることが嫌だった」
「最後の最後まで迷っていたんです。ほんとに。もし残ってくれと言われたら、どうだったか…」
出した結論はDeNAへの移籍です。決めてからはスッキリと?「はい、もうスッキリしています。自分がどこまで通用するか。そういう意味では楽しみもあります」。背番号0も用意され、0か9という状況で選んだのは“9”。「そうですね、心機一転ということで」。でも私は何となく、0の大和は阪神タイガースのもので、DeNAの大和として違う番号を選んだような気がします。いつか戻ってくるときのために…。な~んて、まったく根拠のない妄想ですみません。
19歳でもらった教訓が一番の宝物
阪神タイガースで過ごした12年間、思い出は何ですか?と尋ねたら、年末に新聞で読んだ記事と同じ答えが返ってきました。「山脇さんとのノックです」。ファームの頃の?「そう。2年目(2007年)の時です。自分がミスして負けた試合で『お前がこんなことしてしたらアカン。守備で入ってきた人間やのに』って言われて。試合のあと1時間半くらい、2人で特守をやりました」。当時、ファームの守備走塁コーチだった山脇光治さんは、翌年の2008年から2015年まで今度は1軍コーチとして、大和選手の内野も外野も見守っています。
その時、1時間半も1人でノックを打ち続けた山脇コーチに「今は守備で1億円を稼げる時代なんやから、稼がなあかん」とゲキを飛ばされたと大和選手。そして「1億円超えたらメシおごれ!って言われました」という当時の約束も覚えているそうです。DeNAとは3年で3億円の契約、よって年俸は1億円(推定)です。もちろん山脇さんに連絡したんでしょう?「しました。そしたら『豚まんでええわ』って(笑)」。あら、優しい。まあ豚まんでは済まさないと思いますけどね。
「プレーどうこうより、あれがなかったら今の自分はない。改めて今、そこを進んでいかなあかんと思っています。若い時にそう教えてもらった」
いい出会いだったんでしょう。10年の時を経てもなお、大和選手の教訓として残っているのですから。あえて難しい道を選択したという人もいるけど、これからが楽しみ?と聞いてみたら「自分がどう成長するかが一番かな。まだ成長する!」と言って、少し笑いました。
―何もせず後悔することは嫌だった―
2005年の高校生ドラフト3位で、鹿児島の樟南高校から阪神タイガースに入団した前田大和選手。1年目から周囲を唸らせた守備や走力は、やがて1軍でも必要とされ、それは外野のポジションにあっても他を圧倒するほどでした。スイッチヒッターに挑んだ昨季、やはり非凡なところを見せたのは記憶に新しいところです。
そんな大和選手が阪神からいなくなる日が来るなんて、考えもしなかった…。どんなことも“当たり前”と思っちゃいけないんですね。ただ寂しさをこらえて決断を応援してくださったり、歓迎のコメントも多かったとか。「はい、それはもう素直に嬉しかった!裏切り者とか言って非難されるのを覚悟していたけど、ファンの方もそう思ってくれているのがわかったから」。それが大きな支えになれば我々も嬉しく思います。
「残りたかった。残りたい気持ちの方が強かったです。すごくいいチームだし、タイガースにいたからこそ、この名前を憶えてもらえましたし。そのままいれば、ずっといい環境で野球ができたと思います。でも、それを捨てても挑戦したかった」
「出ればよかった、という後悔。それが一番したくなかったことなので」
大和選手はベイスターズの一員として大きな海へ漕ぎ出しました。タイガースにも新たな戦力が加わって動き始めています。それぞれが、それぞれの居場所で輝くために。
<掲載写真は筆者撮影>