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【久留米市】悪縁を断ち切るというご利益がある「諏訪神社」。久留米市で2番目に古い歴史がある神社。

いいコレ+地域ニュースサイト号外NETライター(久留米市)

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今回ご紹介するのは、福岡県久留米市諏訪野町に鎮座している「諏訪神社」

久留米市で1番古い神社は「筑後国一の宮 高良大社」で、2番目に古いのはこの「諏訪神社」と言われています。

諏訪神社とは

年代は不詳ですが奈良朝末から平安初期頃(一千ニ三百年から一千四五十年前)には既に宮立があったようです。天慶年間一千三十年前の筑後の国神名帖には(国内神社の戸籍簿にも当る祭神大己貴命建御名方命とあり大神社とされ、1,200年以上の歴史がある諏訪神社です。

拝殿にある御賽銭箱には諏訪神社の「鎌」の神紋が刻まれており、この鎌には悪縁を断ち切るというご利益があるとのことです。悪縁を断ち切ると、以後良い縁が集まってくることから良縁のご利益もあるようです。 

いつ訪れても、綺麗なお花が生けられていて気持ちよく参拝することができます。

諏訪神社の御祭神である大己貴命(おおなむちのみこと)は国づくりの神様、大黒天(だいこくてん)とも言われ、地域の活性化の神様と言えます。

そして、その息子である建御名方命(たけみなかたのみこと)は武神と言われ、古事記では建御雷神(武甕槌(たけみかづち)神)と力くらべなどをしたと言われ、現代で例えればスポーツ神様や勝負ごとの神様ともいえます。

奥社 源九郎稲荷神社

諏訪神社の裏には奥の院があり「源九郎稲荷神社」が鎮座しています。

この源九郎稲荷神社は、日本3大稲荷の1つに数えられています。

源九郎とは

文楽・歌舞伎の「義経千本桜」に出てくる源九郎狐のこと。
源義経が兄頼朝の討手を逃れて、吉野山に落ちのびたとき、白狐が佐藤忠言に化けて、側室静前を送り届け、義経と静を守り通します。
義経に狐であることを見破られるが、この狐は静が持つ初音の鼓が両親でできていたことから、それを慕って佐藤忠信に化けていたことを話すと、義経は親を慕う狐に同情し、また自分たちを狐の神通力で守り通してくれたことに感謝し、自分の名である「源九郎」をこの狐に与えた。それが社名の由来になったと伝えられている。

源九郎稲荷神社の本殿天井には稲荷玉が描かれていて、あまりの迫力に見入ってしまいました。

宮司さんに話を伺うと、この稲荷玉には神の力が宿っていて、5拍手すると稲荷玉が動き出して見えるとのことでした。

毎年恒例の看板チェック!

諏訪神社の境内には「2024年のラッキーカラー・今年の色・今年の恵方」などの情報を記載した看板が設置されています。

毎年看板を楽しみにしつつ、参考にさせて頂いています。

その内容はこちら↓

2024年12干支に共通する今年の強化色は「みどりときいろ」。 

2024年の恵方は「東北東」です。  

その他にも、干支別のラッキーカラーなども記載されていますので、ぜひ諏訪神社にてチェックしてみてください。※ご参考までにお願いします。

境内はそれほど広くないながらも、深い歴史を感じることができ見どころの多い神社となっています。

初午(はつうま)祭

2024年2月12日(月)、境内末社の源九郎稲荷社にて「初午(はつうま)祭」が開催予定となっています。気になる方は、ぜひ御利益を求めて訪れてみてください。

御朱印

宮司不在の時は、御朱印帳への直書きはされてません。但し、お時間ある方は、巫女が御朱印帳をお預かり、出来次第お電話をすることは可能とのこと

御朱印は諏訪神社、源九郎稲荷神社と、久留米市宮ノ陣にある宮ノ陣神社と五郎丸神社の御朱印4種類を頒布されています。

諏訪神社と源九郎稲荷神社の御朱印↓

流れるような書体が素敵すぎる御朱印です。

駐車場

駐車場は、国道3号線沿いの一の鳥居付近に1台と、境内に参拝者専用の広いスペースが設けられています。

[諏訪神社御由緒]

鎮座地:久留米市諏訪野町
御社号:諏訪神社(往古大神社)
御祭神 :大己貴命(おおなむちのみこと)(大和ノ国では三輪大神、旧三輪大社出雲国では大国主ノ命出雲大社)
建御名方命(たけみなかたのみこと)大国主命の御子
長野県では諏訪大社、長崎県ではお諏訪さん)
御創建:年代は不詳だが奈良朝末から平安初期頃(一千二三百年から一千四五十年前)には既に宮立があったでしょう。天慶年間一千三十年前の筑後の国神名帖には(国内神社の戸籍簿にも当る祭神大己貴命建御名方命とあり大神社としてます。御社号を諏訪神社と申すに至った神名帖記載の御祭神に建御名方命があり、此の神が諏訪大明神として広き天下に奉斎されることになったから、大神社を諏訪神社と御社号も変わったのでしょう。
戦国の代、大友・龍造寺両氏交戦の砌、御社殿は兵火に罹り社殿の復興は出来なかったが、祭祀は続けられ、降って徳川の初期、西野中村の住民挙って御由緒尊いお宮の荒廃をかなしみ社殿を西面にして現在位置に遷したのです。天保五年神殿拝殿が改築されたのが現在の社殿であります。
神域の南方数十年間の正面約六町歩の地域を「諏訪の前」と字名を云うのは諏訪神社御前の地域と云う処に起因することは、明白であります。御境内に老杉が在ったが世人は「諏訪の一本杉」と云い国府(国分)又お諏訪様所在の目印となったと伝えています。
お諏訪様の境内には、各種の常緑落葉の巨木が多くいかにも大きな森であったので、高麗鳥の巣造りが明治の終わり頃まで有ったと伝えています。
御社号町名字名或は、目標となるような巨木の森が有った事等を考え合わせますと自ら諏訪神社は住古から極めて尊い御由緒のあるお宮とあり且、それだけ広く普く崇敬を集めてお宮様でてるこしが御理解願へると思います。
昭和四十四年十月二十日 諏訪神社

【店舗情報】

諏訪神社

住所:福岡県久留米市諏訪野町14−7

駐車場:あり  

御朱印:あり

地域ニュースサイト号外NETライター(久留米市)

地域ニュースサイト号外NETで【久留米市】の担当ライターをやっています。グルメやイベント情報、自然や歴史など、久留米の「いいコレ」!!と思う素敵なスポットを発信していきます。また、Instagramでは筑後地区限定の情報も発信中!

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