夫の死の真相を求めて取材を始め20年。豊かになったベトナムで今も取り残される枯葉剤被害者と向き合う
写真家だった夫の突然の死が、ベトナム戦争時の枯葉剤に起因しているのではないか?
そのことをきっかけにベトナムへと向かい、枯葉剤被害の現実を取材しはじめた坂田雅子監督。
以来、枯葉剤や核をテーマにドキュメンタリー映画を発表し続けているが、最新作「失われた時の中で」では、「花はどこへいった」「沈黙の春を生きて」に続きベトナムの枯葉剤被害者と向き合った。
初めてカメラを手にしてから20年、「ベトナムの枯葉剤被害取材のひとつの集大成」と語る本作について、坂田監督に訊く。(全四回)
ベトナムを再訪。「枯葉剤被害の問題は終わってない」
はじめに、坂田監督が映像制作に踏み出したのは50代半ばのこと。先で触れたようにフォトジャーナリストで、1967年~70年にかけて南ベトナムにアメリカ軍兵士として駐留していた夫、グレッグ・デイビスの死に枯葉剤が影響しているのではないかと思い、そこから映像制作を一から学び、ベトナムの枯葉剤被害者を取材し始めている。
そして、2011年3月に起こった福島第一原発の事故後からは、核や原子力についての取材を開始。これまでカメラを手に世界をめぐりながら、精力的に作品を発表し続けている。
あまり年齢のことに触れると、ご本人に失礼に当たるが、その取材・創作へのモチベーションはどこからくるのだろうか?
「わたしの中では、作品を作り終えたら、『次はこれ!』といったような感覚はなくて。振り返ってみると、ずっと、ひとつの映画が終わるころ、または終わって少し経つと、自然と次の映画の構想やアイデアが生まれてくるんですね。
『花はどこへいった』のときも『沈黙の春を生きて』のときもそうでした。
テーマが決まっているわけではないですけど、『次はこんなことをしたいな』『こういう取材をしてみたいな』といったことが、自然と出てくる。もちろん、いつもなにか探しているから、というのもあると思うのですが。
今回もそうで、2018年に『モルゲン、明日』を発表して、ひと段落ついたころに、ベトナムの枯葉剤被害者の子どもたちを対象とした『希望の種』奨学金(※坂田監督が提唱者となり、ハノイのVAVAとともにベトナムで設立・運営している奨学金制度のこと)の関係もあって、ベトナムに何度か訪れる機会があったんです。
そのとき、いろいろな人に出会って、改めて思ったんです。『(枯葉剤被害の)問題は終わってないな』と。
ベトナムという国自体はこの20年でものすごい経済発展を遂げた。わたしが取材し始めた20年前とは比べものにならないぐらい、経済の面から言えば豊かな国になりました。
でも、その中で、枯葉剤被害者とその家族は今も取り残されている。
そのことに気づいたときに、『まだまだ伝えるべき物語があるな』と思って再びベトナムでカメラを回しはじめたんです。
それが今回の作品のはじまりといえばはじまりでした」
夫の死から20年、この間に撮ってきたもの、
自分がみてきたものをひとつまとめる時期にもきているのかなと
また、コロナ禍の影響もあったことを明かす。
「これはみなさんそうだと思うのですけど、コロナ禍でどこにもいけないような状況になってしまい、わたし自身も家に籠らざるえなくなった。
時間ができたことで、過去を振り返るわけではないんですけど、今まで自分が撮ってきたものに目を通したんです。
その中で、この20年のベトナムでの取材をまとめたい気持ちが芽生えました。
また、夫のグレッグを亡くして20年、この間に撮ってきたもの、自分がみてきたものをひとつまとめる時期にもきているのかな、という思いも抱きました」
(※第二回に続く)
「失われた時の中で」
監督・撮影:坂田雅子
全国順次公開中