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激闘!川中島の戦い! 上杉謙信と武田信玄の一騎打ちは、本当にあったのだろうか

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
武田信玄銅像・甲府駅前。(写真:イメージマート)

 3月24日に投開票される熊本県知事選は、与野党の一騎打ちの様相を呈しているという。こちら。一騎打ちと言えば、川中島の戦いにおける上杉謙信と武田信玄の一騎打ちが非常に有名であるが、それが事実なのか考えることにしよう。

 川中島(長野市)の戦いにおける最大の見どころは、白頭巾を被った上杉謙信が武田軍の本陣を攻撃し、武田信玄に一太刀浴びせ、それを信玄が軍配団扇で受け止めたというエピソードであろう。

 これは、永禄4年(1561)の第四次川中島の戦いでのシーンであり、誰もが知る有名なものである。このエピソードが激戦だったことを物語っている。

 現在、八幡原史跡公園には、信玄・謙信一騎討ちのブロンズ像がある。歴史作家として名高い海音寺潮五郎の代表作の一つとして、信玄と謙信を主人公とした小説『天と地と』がある。

 この像は『天と地と』を原作として、昭和44年(1969)にNHK大河ドラマとして放映されたのを記念し、建立されたものである。ところで、このエピソードには、史料的な根拠があるのだろうか。

 『甲越信戦録』には、「謙信公はただ一騎で信玄公の床机(床几)の元へ乗りつけ、三尺一寸の太刀で切りつける。信玄公は床机に腰を掛けたまま、軍配団扇で受け止めた」と書かれている。信玄が座ったままというのは、現在のブロンズ像にも反映されている。

 一方、『甲陽軍鑑』には「馬上から切りつける謙信の太刀を、信玄は床几から立って軍配団扇で受けとめた」と記されている。こちらには、信玄が床几から立ち上がったと記されている。座っていても、立っていても、謙信の太刀を軍配団扇で受け止めるのは、至難の業だったに違いない。

 実は、別の見解もある。『川中島五戦記』によると「御幣川に馬を乗りいれ、川の中での太刀と太刀との一騎討ち」とある。こちらは、太刀と太刀による一騎打ちであり、これまでの描写とまったく違っている点が気掛かりである。

 現実的に考えてみると、大将同士が一騎打ちをするというのは、非現実的と考えざるを得ないのではないか。謙信は白頭巾を被っていたというが、出家したのは戦いの9年後の元亀元年(1570)のことなので、その描写には大いに問題がある。

 何よりも、史料的な根拠はいずれも後世の編纂物であるので、その点は割り引いて考えるべきであり、史実と認めるには早計ではないだろうか。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『蔦屋重三郎と江戸メディア史』星海社新書『播磨・但馬・丹波・摂津・淡路の戦国史』法律文化社、『戦国大名の家中抗争』星海社新書、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房など多数。

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