なでしこの天才レフティーが引退。名選手は名監督になれるか
【なでしこリーグの一時代を築いたMF】
日テレ・ベレーザ(現日テレ・東京ヴェルディベレーザ)、ちふれASエルフェン埼玉(エルフェン)、INAC神戸レオネッサ(INAC)、日体大FIELDS横浜(日体大)などでプレーしたMF伊藤香菜子が、2019年シーズン限りでの引退と、指導者への転向を発表した。
その2週間後、2011年のドイツ女子W杯優勝メンバーでもあるFW大野忍も引退を発表。2人は同い年で、ベレーザの下部組織の日テレ・メニーナ(メニーナ)からキャリアをスタートさせ、リーグで一時代を築いた。現役時代、2人の芸術的なコンビネーションに唸ったファンもいるのではないだろうか。
伊藤の引退が発表された後、SNSを通じて、元チームメートやファンから惜しむ声が多く寄せられた。それは、プレーヤーとしての実績だけではなく、その柔らかな人柄もあるだろう。
伊藤は筆者が初めて出会った同い年の“天才”だった。小学生の頃、彼女が所属していたチームと都大会決勝で対戦したことがある。筆者のチームは、小柄ながら際立ったテクニックを見せていた伊藤の左足の一撃に散った。
その後、小学6年の時にメニーナのセレクションで彼女と再び会った。当時、中学年代の受け皿がなかったため、受験者は200名を超えていたが、合格者は6人。狭き門を突破したそのうちの2人が、伊藤と大野だった。
伊藤はなでしこリーグで、99年から計20シーズンにわたってプレー。リーグ通算298試合に出場し、109ゴールを挙げた。18歳の時に代表に初招集され、07年の北京五輪予選や12年のアルガルベカップなどに出場した。そのプレーはセンスに溢れていて、繊細な技術や駆け引きで観客を楽しませ、最大の武器である左足で幾多のゴールを演出した。独特のタッチから放たれるボールは意思を持ったように獲物を仕留めた。
今年、引退を決めた最大の理由は、「膝を悪くしてしまったこと」だという。簡単に手術できる部位ではなく、現役続行するとしても無理はできない現実を受け止め、かねてイメージしていたという指導者の道へと舵を切った。
「25歳で一度サッカーから離れて、復帰してからまた10年間プレーしました。後半の10年間は自分でもこれだけやれるとは思っていなかったんです。でも、本当に素晴らしい時間を過ごすことができましたし、『ここまでよくやれたな』、『いろんな人に支えられて、ここまでやらせてもらえたな』と思って、引退を決めました」
お世話になった人たちに引退を報告すると、誰しもが現役続行を勧め、固かったはずの決意は揺らいだという。だが、最終的には、指導者への道を用意してくれたエルフェンでスパイクを脱ぐことを決意した。
今後はエルフェンの下部組織、マリ(U-15・U-18)でコーチを務める。
【指導者としての可能性】
オルカ鴨川FC(2部)の北本綾子GMも、同い年で伊藤をよく知る一人だ。11年に現役を引退して一足先にセカンドキャリアを歩み始めた北本GMは、伊藤の引退を惜しみつつ、こう話した。
「あの左足は宝物だと思うし、あそこまでの選手はなかなか出てこないんじゃないかなと思います。彼女は間違いなく、いい指導者になると思いますよ。律儀で真面目なので、子供や選手一人ひとりにしっかりと向き合いすぎるあまり思い悩むことがあるかもしれないな、と心配していますが(笑)。今度ぜひ、オルカの選手たちにもフリーキックを教えにきて欲しいです」
メニーナ、ベレーザ、エルフェン、日体大と、4チームで計15年間、共にプレーしてきたFW荒川恵理子は、オンでもオフでも伊藤の良き理解者だった。ベレーザ時代、強烈な個性を持つ代表選手たちがしのぎを削っていたなかで、伊藤は独自のキャラクターを確立していたという。ムードメーカーだった荒川は言う。
「かなぴー(伊藤の愛称)は控えめで、自分から発言をするタイプではなかったけれど、私が馬鹿なことをして突っ込まれているのをみんなと一緒に楽しそうに笑ってくれていました。サッカーでは負けず嫌いでしたね」
ストライカーの荒川にとって、伊藤は理想的なパサーでもあった。
「ベレーザからそれぞれの道に進んで、エルフェンでまたチームメートになった13年と14年は印象的でした。2人で阿吽の呼吸でプレーできるのが楽しくて。かなぴーが前を向いた場面で自分が走れば必ずボールが出てきたし、ワンツーも、ワン、ツー、スリー、フォー、ぐらいまで繋いで、2人で相手を翻弄できる感覚がありましたね」
「名選手、必ずしも名監督にあらず」という言葉があるが、伊藤はどうだろうか。
「コーチにもいろんなタイプがいて、戦術家や、技術論を突き詰めるタイプもいます。彼女は、女性指導者の中ではナンバーワンの理論派のコーチになる資質があると思います」
そう語ったのは、エルフェンで18年から2シーズン、伊藤を指導した菅澤大我監督だ。
複数のJクラブの下部組織など、あらゆるカテゴリーで20年以上の指導経験からこう語る。
「彼女は勉強熱心で几帳面なところがあって、そこがサッカーにおいても窺えるので向いていると思います。エルフェンで論理的にサッカーをやることを学び、ベレーザでは厳しい競争の中で勝ち抜くことも経験してきました。教える側に立った時に、そのバランスが一時期は偏ってもいいと思うんです。偏ることでコーチとしてのバランスも整っていくものですから。本人には『ぜひ若い選手たちとボールを蹴ってほしい』とお願いしました。選手にとっては、自分が小さい頃にコーチが一緒にボールを蹴ってくれた時に『うまい!』と思った感覚がその後の原点になるかもしれませんから」
トップレベルで研ぎ澄まされてきた伊藤の技術は、指導者としての武器になるだろう。菅澤監督はこう期待を込めた。
「選手としては簡単にできていたことでも、教える側に立ったら違うことが多くあって、無理にコーチっぽく振る舞おうとすると、その人自身の強みが消えてしまう。でも、現役をやめたばかりのコーチが、選手たちと一緒にプレーしながらかける『生きた言葉』は、指導者の言葉とはまったく違っていて、自分にとっても新鮮だったんですよ。今の彼女は、そういう理論的なものと感覚的なものを両立して教えられると思いますから。10年で、日本一の女性コーチになってほしいですね」
【才能を育む理論と「生きたプレー」】
伊藤は、日体大に在籍していた17年から18年にかけて、同大学院で2年間、コーチング学について学んだ。その後、「論理的であること」を大切にする菅澤監督の下で18年から2シーズンプレーしている。その3年間で、指導者としての素地をつくってきた。
自身が現役生活で培ってきたサッカー観を、指導者としてどう伝えていくのか?
「選手によって骨格とか筋肉のつき方が違うので、ボールの蹴り方も、その選手にとって一番心地良い感覚があると思います。それを最大限に尊重して、感覚を掴むプロセスをどれだけサポートできるかが大事だと思います。大切なことは『指導者がどう教えるかよりも、選手がどう学ぶか』ですから、何が正解かを教えるのではなく、コツやプロセスを伝えられたらいいなと。そのための引き出しは多く持っていたいですし、どれだけ練習で夢中にさせるかが指導者の力量だと思います」
本格的に下部組織の練習に加わったのは2月からだという。筆者が取材に行ったこの日は偶然にも、彼女が初めて、自ら考えた練習メニューを実践した日だった。
40分弱の持ち時間の中で、伊藤はまず「止める」「蹴る」といった基本の大切さを伝え、その後、上半身のフェイントで相手の逆を取るテクニックなど、駆け引きのスキルを高めるメニューを教えていた。
ぎこちない動きで新しいスキルにトライする選手たちに、自ら守備役をしながら、相手の逆を取る感覚を粘り強く落とし込んでいく。
「そうそう!今のだよ!」伊藤の力強い声が、夜のピッチに明るく響いた。
彼女の下で、これからどんな才能が育っていくのかーー女子サッカーを見る楽しみが、また一つ増えた。