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福島第1原発事故から2年、支援する相手を間違えてはいけない

前屋毅フリージャーナリスト

■自民党政権になれば基準引き下げでも安全

支援の相手が見えないのでは意味がない。あの日、2011年3月11日から2年目を迎え、哀悼と祈り、悔しさの念を強くせざるをえない。同時に、復興支援の「おかしさ」も実感しているのも事実だ。

今日、3月11日付の『読売新聞』朝刊は、「政府は、東京電力福島第一原子力発電所事故による避難者の帰還に向け、放射線の年間積算線量に応じた安全指針をつくる」と1面トップで報じている。そして記事は、「政府は2014年春にも、避難指示区域のうち年間積算線量が20ミリシーベルト以下の『避難指示解除準備地域』への帰還を認める方針だ」と続けている。

簡単にいえば、「年間積算線量が20ミリシーベルト以下の区域へ住民を帰す」ということである。それを政府が決める理由を、「震災後に民主党政権が年間積算線量を1ミリシーベルト以下に下げると長期的な除染目標を示したことが安全基準と受け取られ、帰還の障害となっているためだ」と同紙は説明している。

またまた簡単にいえば、「年間積算線量1ミリシーベルトが安全基準と受け取られるような言い方をしたことが帰還の遅れにつながっているから、20ミリシーベルトいう安全基準を設けて住民を帰す方針を政府がつくる」というのだ。民主党政権は1ミリシーベルトといったが、自民党政権になったから20ミリシーベルトで安全ですよ、といっているわけで、実におかしな話だ。

民主党政権が1ミリシーベルトという除染目標を掲げたのは、それ以上であれば「安全ではない」と判断したからである。それが自民党政権になったからといって、「20倍でも安全ですよ」といわれても納得できるわけがない。事故直後、当時の政府が食品の放射性物質の安全基準を大幅に引き下げて「安全」として、農産物などを流通させることを優先したのと同じだ。つまり、安全より住民の帰還を急ぐ政府の本音が透けて見えている。

■損害賠償しなければならないところに帰すのか

もうひとつ、気になる新聞記事があった。3月8日付の『福島民放』は、1面トップで「政府は避難指示解除準備区域などに早期帰還した住民のために新たな損害賠償を検討する」と伝えている。これも簡単に言ってしまえば、「早く帰れば賠償しますよ」ということでしかない。ここにも、住民を急いで帰還させたい政府の本音が如実に表れている。

避難者が避難先で不便な生活を強いられていることは、各報道メディアが伝えている。避難者の望郷の想いを強調して「帰還こそが正義」といわんばかりの報道も少なくない。しかし、ほんとうに「帰還こそが正義」なのだろうか。

もちろん、避難者が1日でも早く自分の故郷に戻り、事故前と同様の暮らしができるようになるのが望ましいことである。その日が来るのを祈らずにはいられない。

しかし、それは、住民が帰れる環境条件が整っていることが大前提だ。それが整っていないところへ住民を無理矢理に帰そうとする方針は、とても正気とおもえない。

自民党政権が安全基準を20ミリシーベルトにするのは、民主党政権が掲げた1ミリシーベルト以下という除染目標が達成できないからにほかならない。早期帰還者に新たな賠償をするのは、お金でもって「ガマンしろ」といっているにほかならない。実におかしなことなのだ。優先するべきは、避難者が生活しやすい避難先の環境を整えること、安全なところでの暮らしを保証すること、ではないのだろうか。

「住民の数が減れば、復興工事をやる名目がなくなるからじゃないですか。そうなれば公共工事をやる政府や自治体、ゼネコンが困るからですよ。避難者の一人ひとりのことなんて、最初から考える姿勢はありません」と、ある避難者は怒りともあきらめともつかない口調で言ったものだ。支援すべきは誰なのか、3.11から2年目のきょう、あらためて問い直し、考えるべきではないだろうか。

フリージャーナリスト

1954年、鹿児島県生まれ。法政大学卒業。立花隆氏、田原総一朗氏の取材スタッフ、『週刊ポスト』記者を経てフリーに。2021年5月24日発売『教師をやめる』(学事出版)。ほかに『疑問だらけの幼保無償化』(扶桑社新書)、『学校の面白いを歩いてみた。』(エッセンシャル出版社)、『教育現場の7大問題』(kkベストセラーズ)、『ほんとうの教育をとりもどす』(共栄書房)、『ブラック化する学校』(青春新書)、『学校が学習塾にのみこまれる日』『シェア神話の崩壊』『全証言 東芝クレーマー事件』『日本の小さな大企業』などがある。  ■連絡取次先:03-3263-0419(インサイドライン)

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