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賞金総額$25,000大会の物語――下部大会に集い、鎬を削り交錯する、女子テニスプレーヤーたちの足跡

内田暁フリーランスライター

 テニスの世界で最高の権威と知名度を誇るイベントは、グランドスラムと呼ばれる全豪、全仏、ウインブルドン、そして全米オープンの4大大会である。そしてその4大会を頂点とし、下には複数の大会群が無限とも思える広がりを見せ、厳格なヒエラルキーを構成する。

 先週、静岡県浜松市で開催された浜松ウイメンズオープンも、そのようなピラミッドの裾野を形成する、賞金総額25,000USドルの国際大会だ。世界ランキング180~550位前後の選手が参戦するこの大会には、ここから階段を駆け上がっていく若手や、生き残りを懸けた中堅、そして再びかつて居た場所へと這い上がろうとするベテランたちが集う。

 各々のキャリアの、様々なステージに身を置く選手たちの人生が交わり、勝者と敗者を生みながら――。

■手負いの第1シード■

 今大会の第1シードは、明らかに本来のプレーではなかった。

 サーブを打つ時、両足が吸い付いたように地面から離れない。いつもなら届くだろうボールが追えず、ライン際に吸い込まれるはずの強打は糸が切れたタコのように、本人の意図せぬ彼方へ飛んでいった。

 大会直前に腰を痛めた清水綾乃は、開幕3日前の時点で歩くこともままならず、ボールを打ち始めたのは初戦の前日だったという。

 

 今季は世界ランキング200位の壁を突破し、ウインブルドン、そして全米オープンの予選に出場した。周囲は、そろそろ25,000ドルの大会は卒業してもいいのではと言ったが、彼女は、このレベルの大会を勝ち切ることの大切さを、そして難しさも身に沁みて知っている。現に今季の2月から4月にかけては、25,000ドルに8大会出て3試合しか勝てなかった。

 その厳しさも重々承知した上で出場した今大会だが、直前に襲われたアクシデントのため、コートに立つも身体は思うように動かない。とはいえ、いざ試合が始まれば、やはり胸を占めるは「負けたくない」根性だ。

 初戦は、予選あがりの選手を「飛ばないサーブが逆に功を奏して」退けた。

 2回戦では、今夏の高校テニス選手権優勝者に苦戦を強いられるも、重要なポイントを取り切り経験の差を示す。

 痛みを抱えながらも20歳の第1シードは、その座に伴う責務を果たすように、ドローを勝ち進んでいった。

■葛藤の高校生チャンピオン■

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 飛び跳ねるように大きくサイドステップを踏み出すと、巧みにスライディングしながら体勢を整え、スピンを掛けたショットを相手コート深くに打ち込む。バックサイドに振られた時は、とっさにラケットを左手に持ち替えて、窮地を凌ぐロブを打ち返した。

 相手が苛立ちの声を上げても表情一つ変えず、淡々とベースラインに向かう姿は、良い意味でふてぶてしくすら映る。彼女に“主催者推薦枠”を与えた浜松オープンのスタッフたちが、「高校生の大会では異彩を放っていた」と言うのも納得だ。

 阿部宏美は、この夏のインターハイ(全国高校テニス選手権)で、高校テニス界の頂点に立った。 

 だが周囲にそう囁かれることを、彼女はあまり好まない。コートでの堂々たる立居振舞とは裏腹に、自身の経歴などを話す彼女の声はか細く、最後の方は消え入りそうになる。

「どうして小声なの!?」と冗談めかして聞いてみると、「どうして? ……恥ずかしいからです」と、いっそう小さな声が返ってきた。

 インターハイ優勝者だと周囲に知られることすらも、彼女はきまりが悪いと言う。インターハイでは勝つには勝ったが、満足感や手応えは得られなかった。「ラッキーが重なっただけ」というのが自己分析。ゆえに彼女は、自身に関心を寄せた人から「あれで優勝したの?」と思われるのではと、後ろめたさに似た気恥ずかしさを抱えていたのだ。

 彼女はまだ、自分が何者かを知らない。突如として放り込まれた大人の世界に、戸惑いを隠せずにいる。

 高校の部活動のみでテニスをしてきた阿部には、己の強さを測る物差しも、どれだけ上手くなればどこに行けるかを示してくれる、羅針盤も存在しなかった。「もっとフォアハンドが上手くなりたい」「あの子のボレーを体得したい」とひたむきに理想を追い、手探りで上達を目指していたら、いつのまにか現在地まで来ていたというのが現状だろう。

 だから彼女は、テニスの世界で自分が今、どこにいるかも分からない。GPSも持たず五里霧中で種々の情報や声にさらされながら、コートを離れた時の彼女は、教科書を握りしめ、問題集に顔をうずめていた。

 大会が終われば、直ぐに高校のテストがある……それが、彼女がまずは向き合うべき現実だった。

■出会いを転機に、将来を心に決めた17歳■

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 阿部の自己評価が低い訳は、彼女の同世代にはインターハイには出場せず、活躍の軸足を国際大会に移している選手が居るためでもあるだろう。

 今大会、予選を突破し本戦でも2回戦に勝ち進んだ17歳の坂詰姫野も、そのような選手の一人である。今年9月には賞金総額1,5000ドル大会で、年長者たちを破り優勝した。来年4月のプロ転向も、既に心に決めている。

 しかしそんな彼女も、2018年を迎えたばかりの頃は、未来が見えぬ不安のさ中に居たという。

「1年前の自分に、『今こうなっているよ』と言ったらびっくりすると思います。『絶対うそ! そんなはずない!』って、信じないと思います」

 まるで、1年前の“仮定の自分”に心境を重ねたように、目を丸くして彼女が言う。

 フォアに全く自信が持てない。自信がないから、ボールを相手コートに入れるだけになってしまう……それが、今年3月頃までの彼女だった。

 

 変化へのきっかけは、いくつかの出会いと人の縁、そして自らの決断である。

 今年3月、坂詰は面識のあったトレーナーの金子和宏を介し、金子がスタッフを務める“Team YUKA”の門を叩いた。Team YUKAの代表は、現在の金子の伴侶であり、プレーヤーとしては世界ランキング52位、指導者としてもフェドカップ日本代表監督の実績を持つ、吉田友佳である。

 Team YUKAを訪れた坂詰が嬉しい衝撃を受けたのは、トレーナーが選手個々へのトレーニングメニューを考え、食事もチェックしてくれること。そしてそれら身体の動きとテニスの技術や戦術を、コーチたちが上手くつなげてくれることだった。また、吉田からの指導や語り聞かせてくれる経験談は、坂詰が漠然と抱いていた「世界で戦うプロ」の夢を、現実的な像へと結んでくれる。

 フィジカルの向上と技術及び戦術の研鑽、そして明確になった目的意識――それらが有機的に噛みあい、坂詰は今、急成長の季節へと駆け込んでいた。

 未来が不確かなことは、もちろん今も変わりない。だが今の彼女には、進むべき道が、目指すべき地点が見えている。

 

■幾度もの苦境を乗り越えた、「辞められない」ベテラン■

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 波形純理が、自身より20歳近く年下の坂詰姫野と対戦するのは、今回の浜松オープンが先週に続き2度目だった。

 前回の対戦時と同様に、失う物のない強みで向かってくる若手相手に、試合序盤は波形が受け身に回っているように見える。ただそれは、“36歳対17歳”という外形的な要因から周囲が勝手にはめ込んだ、ステレオタイプに過ぎなかったかもしれない。

「向かってこられているとか、そういう感じは特に無いです。私も別に、守る物はないから」

 実年齢より遥かに若く見える波形は、そう言い屈託なく笑った。

 今季の波形は全豪から全米オープンまで、全てのグランドスラム予選に出場した。だが勝利は手にできず、悔しさや失意を覚えたという。

 周囲は、未だグランドスラム予選に出られる、その実力とモチベーションを称賛する。しかし当人にしてみれば、賛辞の前に隠れる「その年齢なのに」の枕詞は、不必要に感じるだろう。

「ここからは危機感を持って、ダメだったらやめるくらいの気持ちでいる。勝てなかったので厳しさは感じるけれど、勝ちたいし、このまま諦めちゃいけない、もっと実力をつけなくちゃと思いました」。

 テニスへの情熱や向上心は、今も全く色褪せることはない。

 もっともそんな彼女も一時は、テニスが一切楽しめず、辞めようと本気で考えたことがあった。その煩いは、ランキング的には全盛期の28歳時に訪れる。だが、もう大会出場を止め帰国しようと思いつめた折も折、偶然居合わせた試合で、楽しそうにプレーするベテラン選手の姿を見た時、心の凝りが氷解した。以降の波形は、ケガや体調不良で身体の自由が効かぬ時期もありながらも、それをも「心の持ちよう」で乗り越えたという。

 グランドスラムから25,000ドルの大会まで、グレードの異なる多くの大会会場に足を運べば、それぞれの悩みを抱え「テニスを辞めたい」と嘆く、かつての自分のような選手を多数目にする。 

 だがその度に波形は、「辞めらんないよ~」と、心の中でいたずらっぽく微笑むのだった。

「だって私も、今回ばかりはダメかなと思ったことが3回くらいあったけれど、全部乗り越えちゃったもん」……と。

■テニスと距離を置いた、黄金世代のエリート■

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 24歳の誕生日を目前に控える澤柳璃子は、波形が会場で目にしてきた、テニスを辞めたいと悩む若手選手の一人である。いや、彼女の場合は浜松オープンの時点で既に、悩みの時期を過ぎ、第一線から退くことを心に決めていたという。

 彼女は10代の頃から将来を嘱望され、日本テニス協会のジュニア強化選手にも指定された、いわばエリートだった。ちなみに当時の強化メンバーには、今年の全仏オープンダブルス準優勝者の穂積絵莉と二宮真琴や、先月の東レパンパシフィックダブルスを制した加藤未唯らが名を連ねる。個性的で才能豊かな人材の揃う世代であり、その中でも澤柳は、大きな期待を寄せられる存在だった。

 

 そんな彼女にとってテニスとは、人生をかけて戦い、頂点を目指すべき場所である。だがここ数年、思うように成績を伸ばせない。ランキングも200位前後に留まる時期が数年続いた。

 ここが勝負どころだと昨夏に覚悟を固め、今年1月には、中国でのトッププレーヤーたちとの合宿に参加し自分を追い込む。

「それでも……もちろん直ぐに結果が出ると思っていた訳ではないけれど、2月もあまり勝てなかったので、自分のなかでは、厳しいのかなと思いはじめて」

 やる以上は、真にトップを目指してトレーニングや練習に向き合うのが、プロのあるべき姿。それができないのであれば続けるべきではないし、サポートしてくれる方たちにも失礼にあたる――そんな思いもあり、今年3月末の時点で全てのスポンサーに挨拶に出向き、契約更新の意図がないことを伝えた。

 現時点での澤柳の目標は、10月27日開催の全日本選手権。その後のことは、まだ何も決めていない。

「もしもう一度、トップを目指す心境でトレーニングや練習に向きあえれば、また1からトライしたい」

 それが、今の偽らざる心境だ。

 

 脇目も振らず走ってきたツアー生活から少し距離をとった今、彼女は自分も含めたテニスの世界を、以前より俯瞰し見られるようになったという。そのような心理面がプラスに作用しただろうか、今大会の彼女は「自分でもビックリ」の快進撃でベスト4まで勝ち上がった。

 そうして至った準決勝で、彼女はよく知る顔と対戦する。

 その相手は、澤柳の同期であり、高校時代の3年間は毎日のように練習をともにし、そして今年3月にテニスから離れる決意をした時、その胸中を打ち明けた数少ない旧友だった――。

 

■開花の時を迎えつつあるサラブレッド■

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 鮎川真奈にとってテニスは常に、日々の生活の一部として、すぐそばにあるものだった。

 祖父母が経営するテニスクラブは、幼き日の彼女の遊び場である。そこではいつもレッスンや試合が行われていて、時には、当時の日本のトッププロが集う国際大会も開かれていた。

 クラブ経営者の孫娘は、それら大会のマスコット的存在でもあったのだろう。選手たちは、小さな手にラケットを抱えボールを追う女の子の遊び相手をつとめ、女の子は表彰式で、選手にトロフィーなどを手渡す大役を担った。そのトロフィーの輝きが……そして観客の応援と拍手を浴びながら戦う選手たちの姿が、いつしか彼女の目には、きらびやかな憧れの存在として映る。

「私も、あの場所に立ちたい!」

 母親からは「穏やかな環境で、ピアノでも習って……」と望まれていた少女は、こうして自らの意志でラケットを握る。まだ、小学校に上がるか上がらないかの頃だった。

 鮎川にとって幸か、あるいは不運だったのは、彼女がテニスを本格的に始めたその頃、全国の各地でも同じように、テニスに魅せられた少女が多数いた事だ。今大会の準決勝で対戦した澤柳も、そのような女の子の一人。北海道でテニスラケットを取り上げた澤柳は、中学進学を機に上京し、高校時代には、鮎川の祖父母が経営するクラブを練習拠点とした。

 鮎川は澤柳とプロの舞台で4度対戦し、初対戦の勝利以降は、3連敗を喫していた。ドロップショットやボレーを多用する相手に揺さぶられ、自ら崩れたのが過去の敗戦。だから今回の鮎川は、攻めにはやる気持ちをぐっと抑え、「相手より1本でも多くのボールを打ち返す」ことに徹し勝利した。

 課題を一つ克服し、苦手とした10年来のライバルを破ったその先は、鮎川にとって初めて到達する25,000ドル大会決勝の舞台。

 そのステージで彼女を待っていたのは、10年ほど前には祖父母の経営するテニスクラブでレッスンを受けていた、かつての小柄で細身な女の子だった。

 

■挑戦者の側に身を置いた、泰然の第1シード■

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 その少女は鮎川のことを、「凄いお姉さん」として仰ぎ見ていた。テニスクラブ経営者の孫娘であり、既にプロの大会にも出ていた4歳年長者は、10代前半の少女にしてみれば、雲の上の存在である。

「試合に出て、お金をもらってる! 凄い!!」

 そのような無垢な驚きを覚えたことをも、彼女はよく覚えている。テニスが職業になることを知った原体験も、言ってみれば、鮎川だった。 

 それから“一昔”に近い年月が過ぎ、彼女は今大会の第1シードとして、大会参戦選手リストの一番上に名を刻む。開幕直前に負った腰の痛みとも戦いながら、2回戦では高校生の阿部の挑戦を退け、準決勝では波形を熱戦の末に破った。

 そうして迎えた決勝の相手は、ランキングでは自分を下回るが、そんなことは大した意味を持ちはしない。

「真奈ちゃんは今でも、私が試合を観戦していた、あの真奈ちゃん!」

 だから清水に、気負いはない。「向かっていく気持ち」で決勝のコートに立った第1シードは、その実力を存分に発揮し、「凄いお姉さん」を破った。

 浜松オープンの優勝は、清水にとって今年2つ目、キャリア通算4度目の25,000ドル大会タイトルになる。

「25,000ドルもレベルが高い。今回も、いつ負けてもおかしくない試合ばっかりだった」

 今大会をそう総括した清水は、「ただ、ここを抜けなくてはいけないとは思います」と、静かに決意を口にした。今年はウインブルドンとUSオープンの予選に出場し、特にUSオープンでは、「やはりグランドスラムは凄い」との憧れと情熱を新たにする。

「だから……あそこで勝つために、この大会にも出ている。全部が、繋がっていると思っているので」。

 そう、全ては繋がっている。この25,000ドル大会の1勝も、いずれはグランドスラムの勝利へと……。

 過去に交錯した選手たちの足跡が、糸を撚るように伸び、他の人生を絡め取りながら、種々の物語を編んでいくように――。

<写真提供:浜松ウイメンズオープン>

フリーランスライター

編集プロダクション勤務を経て、2004年にフリーランスのライターに。ロサンゼルス在住時代に、テニスや総合格闘技、アメリカンフットボール等の取材を開始。2008年に帰国後はテニスを中心に取材し、テニス専門誌『スマッシュ』や、『スポーツナビ』『スポルティーバ』等のネット媒体に寄稿。その他、科学情報の取材/執筆も行う。近著に、錦織圭の幼少期から2015年全米OPまでの足跡をつづった『錦織圭 リターンゲーム:世界に挑む9387日の軌跡』(学研プラス)や、アスリートのパフォーマンスを神経科学(脳科学)の見地から分析する『勝てる脳、負ける脳 一流アスリートの脳内で起きていること』(集英社)がある。

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