なぜ医師と患者はわかりあえないのか? 行動経済学が指し示す「共存の作法」
医者と患者は「水と油」と同じくらい交わらないものと描かれることが多い。
患者はしばしば医師に不満を持つ。「医者はどうして、数字や根拠ばかりを説明して私の気持ちをわかってくれないのだろうか」
あるいは医師も患者に思うことはあるだろう。「どうして、現状に合わせて合理的な治療ができる根拠を提示したのに、根拠があやふやな治療にこだわるのだろう」
このすれ違いに経済学者と医師が両方の知見を持ち寄り、研究を進めたのが大竹文雄・平井啓『医療現場の行動経済学』だ。行動経済学は人間―もちろん医師も含むーがどうしても持ってしまうバイアスを解き明かしてきた。
例えば、利用可能性ヒューリスティックという考え方がある。この本の文脈に即して言えば、医学的に正しいことよりも身近で目立つ情報を優先して意思決定に用いてしまうことだ。
「がんが消える」錠剤を使いたいと言われたら……
本書の事例で言えば「がんが消える」という錠剤を信じてしまった男性患者の話がそれにあたる。この患者はある会社の重役を務め、社会的地位も高い。
医師は患者に対して、抗がん剤の治療を進めた。しかし、彼はいくら説明しても医療的な根拠がない「免疫力でがんが治る」という錠剤の効果を強調し、抗がん剤はそれでもダメならやると主張した。
どうだろう。この患者はおよそ非合理でニセ科学的なものに騙されている哀れ被害者ではないだろうか。
しかし、人間の意思決定は普段はそこそこに合理的なようでいて、いざとなると一見すると非合理的な決定をしてしまうことがある。そして、そのような決定の裏には「合理的」な理由が存在している。
これが人間の意思決定の特徴だ。医学的な情報を懇切丁寧に説明すれば、患者が合理的な意思決定をすると思っているほうが、実は研究によるエビデンスを無視した発想なのだと言えるのかもしれない。
さて、「がんが消える錠剤」を飲みたがっていた患者はどうなったのだろうか。看護師が「この患者は突然、がんだと告げられて不安を感じている」と察知し、個別に不安を聴き、がん治療の現状を説明した。
錠剤が身体に有害ではないことを調べた上で、医者と患者に提案したのは「がんが消えるという錠剤を飲むことを止めず、抗がん剤と併用して進める」という選択肢だった。
最初に示した患者の意思決定を尊重しつつ、不安を受け止めるというクッションを挟むことで、医師の側からもーこの場合は患者にとってもー望ましい行動を促した。行動経済学の知見を取り入れることのメリットがわかる事例になっている。
さて、行動経済学の知見が必要なのは医者と患者だけだろうか。政府と国民、あるいは科学者と社会と置き換えてみるといい。この社会にはある問題を巡って、すれ違っていくことが多いにある。私は2011年3月11日以降、原発事故、あるいは原発事故が原因となった多くの問題を思い出す。
科学者や科学を学んだジャーナリストは時に感情と論理あるいは事実を対立するものと捉え、事実を伝えることが大事だと主張する。
事実を主張することは大事だが、それ以上に大切なことがあると思わされる。科学的に解明されてきた人間の「思考の癖」を踏まえて、行動の裏側にある感情を論理的に読み解き、その合理性を踏まえて事実を伝えること。それが最終的にはより良い意思決定のサポートになるということだ。
行動経済学はすべての答えを指し示すわけではない。だが、少なくとも人間を知ろうとし、人間の意思決定の秘密に迫ってきた行動経済学はすれ違いを埋めていくツールとして活用できる。
どんなときでも問題を解決するのは人間でしかない。重要な知見が詰まった一冊だ。
(光文社「本がすき。」初稿に加筆)