【富士宮市】川のせせらぎが聞こえる長閑な場所に鎮座する『精進川浅間神社』で市内の教育の沿革を見た
今日の富士山を見ましたか?
例年なら雪解けが進み、夏富士に姿を変える時期ですが、今朝の富士山はまた雪景色になっていました。
毎日の気温、そして朝晩と日中の気温の差がある今日この頃、体調を崩さないようにしてくださいね。
今回は以前から行ってみたいと常々思っていた『精進川浅間神社』参拝に訪れてみました。
精進川浅間神社は芝川にかかる観音橋を越し、十字路を右折。
上り坂の途中に鎮座しています。
道は細いですが、神社横に2台ほど停められる駐車スペース、神社北側には10台ほど停められそうな広い駐車場があります。
道路脇を流れる水路には綺麗な水が勢い良く流れ、水の音が境内にまで響きます。
鳥居前に幟を立てる幟杭か3本あり、村上にあった浅間神社、村中にあった熊野神社、村下にあった八幡宮の3社を文政5年に合祀して社殿を造営しています。
9月の祭礼の時は、それぞれの杭に『熊野大神宮』、『浅間大神宮』、『八幡大神宮』の幟が立てられるそうです。
社殿手前の両側には樹齢約200年の広葉杉がご神木として祀られています。
そして社殿左側には瘡守稲荷大明神が祀られていました。
足元の竹箒で掃いた跡が、地元な方々の信仰の厚さを物語っていました。
境内、手水舎裏辺りに、『精進舎跡』の碑があります。
『精進舎』とは、富士宮市立上野小学校の母体となる『芙蓉館』の分校です。
江戸時代富士宮市万野原新田に藩士の教育を目的として、静岡主藩学がありましたが、廃藩と同時に藩学が閉鎖されました。
これに伴い上野村は明治7年4月に妙蓮寺を借用して『芙蓉館』を創立します。1年後の明治8年4月には、『精進舎』、『観成洞』が分離設立します。
明治12年学制を廃止、教育令を公布され、19年に『芙蓉館』、『精進舎』、『観成洞』が合併し、上條尋常小学校に改称、翌年に上條尋常小学校から上野尋常小学校に改称され、学区も現在のものになりました。
昭和33年富士宮市に合併したことにより、上野村立上野小学校から富士宮市立上野小学校に改称。平成21年に現在の新校舎が落成しました。
富士山は別名芙蓉山とも呼ばれています。
芙蓉は美しい女性という意味があり、美しい山という意味、また富士山頂には八葉と呼ばれる8の峰があります。八葉は仏の座る蓮華座(蓮の花の別名芙蓉)と呼ばれるなどいくつかの由来があります。
『芙蓉館』の分校だった『精進舎』は神社東側の一番高いところにあり、建物は新しい建築様式のバルコニーのある2階建てで、松崎の岩科学校、磐田市の旧見付学校に劣らない立派で美しい建物だったそうです。
私達が生活している現在は、当たり前のように教育が受けられる時代ですが、精進川浅間神社を訪れ学校の歴史を知ると、学べることの尊さが身に染みるようでした。
精進川浅間神社:富士宮市精進川485