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カタルーニャ独立問題。バルサを強くした"憎悪の連鎖"。スペインリーグ脱退あるか?

小宮良之スポーツライター・小説家
カタルーニャ独立問題で渦中にあるバルサのピケ(写真:なかしまだいすけ/アフロ)

カタルーニャは本当に独立を求めているのか?

 今年10月1日、スペインのカタルーニャ自治州では独立を問う住民投票が行われている。結果は9割が賛成票を投じた。投票での警官の取り締まりは暴力的で、それが独立の気運をさらに高めることになった。

 しかし、投票率は4割程度に留まっている。(そもそもスペインが投票を違憲としており、これについてはEUの国々も支持)棄権した人々は、消極的な反対派とも言われる。民族主義的な見地からは独立に対する思いを抱えていても、経済活動では独立することによってマイナスに転じる側面も大きい。

「南部(アンダルシア地方など)との経済格差をカタルーニャ人が埋めている!」

 その不満が独立に向かう燃料になっていると言われるが、独立しても経済的な改善に結びつくとは限らない。

 なぜなら、EUからは一時的でも離脱することになり、国防などの予算も新たに組む必要が出てくる。感情的な独立気運に対し、警鐘を鳴らし、二の足を踏む人も少なくない。70年代までアンダルシア人の移民が数十万人も流れ込んでいることで(当時の独裁者フランシスコ・フランコ将軍が行ったカタルーニャ人の血を薄める政策)、単純に独立に反対している人もいる現状だ。

 しかしカタルーニャを愛するカタルーニャ人にとって、独立は悲願と言える。

抑圧されてきたカタルーニャとバルサ

 15世紀まで、カタルーニャは海洋国家として地中海で覇を唱えていた。ナポリ、シチリアまで支配下に置き、エーゲ海まで影響を拡大。まさに全盛の時代だった。ところが大航海時代が始まって、各国が鎬を削るようになると衰退。18世紀にはスペイン、フランスの間に挟まれて疲弊していった。そして1714年にバルセロナが陥落。勝利者であるスペインによって、憲法もカタルーニャ語も剥奪された。

 もっとも、地中海に面したカタルーニャは前衛的な性格を失うことはなかった。カタルーニャ人は商業力で地力を見せ、経済的な先進地域として、その気骨を見せてきた。そして19世紀の半ばにカタルーニャ人としてのアイデンティティを取り戻すべく、カタルーニャ語やカタルーニャ文化、芸術の復興運動に入った。

 そのときに創設されたのが、FCバルセロナである。

バルサのカタルーニャ化

 バルサ創立当時の中心人物はスイス人だった。青とえんじの縞模様は、母国スイスのクラブであるバーゼルのユニフォームを模したものだった。今よりずっと牧歌的なサッカーサークル的存在だったと言える。

 しかしスイス人会長のハンス・ガンパーという名前は、ジョアン・ガンペールというカタルーニャ名となって、20世紀にカタルーニャ色を強めていった。バルサはカタルーニャ人の民族のアイデンティティとして存在するようになる。現代では華やかな攻撃力がバルサの代名詞として語られるが、当時は中央政府のお膝元であるレアル・マドリーのクラブに対抗する身代わりが存在意義。1939年、フランコ将軍にカタルーニャの言語、文化などを弾圧されたことへの"反逆"を買って出た。

 バルサにとって、レアル・マドリーを打ち負かす、それは何物にも代え難い愉悦だった。「抑圧されていた自分たちの鬱憤を晴らしてくれる」。そこにバルサの存在価値があった。それ故、クラシコ(バルサ対マドリー)だけは負けてはいけない。事実、優勝してもクラシコで負けたら首が飛んだ監督がいるほどだ。

「mes que un club」

 バルサが「クラブ以上の存在」と言われる所以がここにある。本拠地カンプ・ノウでは、試合開始後17分14秒に叫ぶのが習慣になっている。これはバルセロナが陥落した年である。

マドリーと憎しみ合い、成長したバルサ

 バルサはカタルーニャであり、カタルーニャはバルサだった。その側面を抱えてきた。

 なぜなら、独裁政権を牛耳っていたフランコがそう見なしたからだ。

「マドリーがバルサを懲らしめる」

 独裁的リーダーには、その構図が統治に欠かせなかったという。

 その一方で、カタルーニャ人たちはバルサに"復讐"を託した。お互いの利害と憎悪が絡み合い、重層的なライバル関係を築いていった。クラシコでは選手たちが限界まで力を出し切ることでドラマを生み出し、その熱戦がプレーレベルを向上させた。

 その捻れ方は、日本人が捉える「スポーツの領域」を遙かに越えている。フットボールは大衆のスポーツであり、イデオロギーと結びつく。イタリアのムッソリーニも国威発揚に用いたように、蠱惑的な力を持っているのだ。

バルサはリーガエスパニョーラから離脱するのか?

 カタルーニャの化身であるバルサが今回、独立を問う住民投票に賛同の意を示しているのは必然だろう。住民投票での取り締まりに抗議したストライキでも、バルサは同調して業務を停止。そもそも、彼らはカンプ・ノウで散々に独立の気運を煽ってきた。

 もっとも、バルサにもジレンマもある。カタルーニャが独立した場合、失うもののほうが多い。

 まず、リーガエスパニョーラ(スペインリーグ)からの脱退は余儀なくされる(スペインサッカー連盟は他国のクラブの在籍を認めていない)。世界中が注目するクラシコは消滅。バルサにとって、エスパニョールとのリーグ優勝争いは興行的にも味気ない。ジローナ、ジムナスティック・タラゴナ、レウス、ジェイダ、サバデルなどが所属するリーグになるだろうが、バルサとは実力が開きすぎ、盛り上がりに欠ける。

 なによりも独立した場合、カタルーニャリーグではカタルーニャの旗手としての立場も意味をなくしてしまう。リーグアン(フランスリーグ)加入の噂もあるが、リーガエスパニョーラの熱狂は期待できない。驚くことにプレミアリーグ入りの話も聞こえるが、これは現時点で空想の域を出ないだろう。そもそもバルサだけが他国リーグに入ったら、置き去りにされたカタルーニャのクラブは反発し、非難が噴出するはずだ。

 バルサが"国内"にマドリーという憎しみ合うライバルがいることによって、輝きを増してきた事実は否定できない。

リーガエスパニョーラが世界最高峰である理由

「MORBO」

 不健全なもの、もしくは禁じられていることが放つ魅力。

 それこそ、スペインフットボールの醍醐味と言われる。すなわち、バルサとマドリーが心から憎しみ合う、そのエネルギーのぶつかり合いに、フットボールの魅力はある。バルサのファンは英雄だったルイス・フィーゴをマドリーに奪われたとき、子豚の頭をピッチに投げ入れた。ジェラール・ピケがスペイン代表のホームでもブーイングを受けるようになった理由は、バルサの選手として優勝したとき、マドリーの選手の夜遊びを揶揄したからだ。

 こうした憎悪は常軌を逸しているが、そのおかげでリーガエスパニョーラは世界で最も熱く、激しい。

 カタルーニャがスペインから独立した場合、どうなるか?

 サッカーファンにとっては、楽しみが減ることは間違いない。大衆は憎悪すらも、楽しんできた部分があった。健全さが幸福につながるか――。それはなってみないとわからないことである。あるいは、「独立の目はない。今回の騒動も"憎しみのスパイス"になる」なんていう声もあるが、はたして。

 

スポーツライター・小説家

1972年、横浜生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。競技者と心を通わすインタビューに定評がある。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)『アンチ・ドロップアウト』(集英社)。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。他にTBS『情熱大陸』テレビ東京『フットブレイン』TOKYO FM『Athelete Beat』『クロノス』NHK『スポーツ大陸』『サンデースポーツ』で特集企画、出演。「JFA100周年感謝表彰」を受賞。

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