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来日する中国が餃子定食に驚愕(?)中国人と日本人、こんなに違う餃子の食べ方

中島恵ジャーナリスト
日本の国民食のひとつ、焼き餃子

中国関係のテーマを取材することの多い私は、中国に滞在しているときはもちろんのこと、日本国内にいても中華料理を食べながら取材する機会が多い。相手によって、どんなジャンルの中華料理がいいだろうと考えるのだが、日本滞在が長い中国人でも、日本の中華料理を心底おいしいと思っている人は少ないようだ。やはり、本場に比べると、日本の中華料理は「日本風」にアレンジされているものが多く、あまり口に合わないのだろう。

だが、そんな彼らでも、餃子だけは別格だ。日本の餃子はよく食べるし、「おいしい」という声をよく聞く。彼らにとって日本の餃子は、中華料理というよりも日本の大衆料理のひとつだという認識なのだろう。

以下はよく知られている話ではあるが、細かいところまで説明すると、日本人から「えっ?そうなの?」とびっくりされることがあるので、今日は日中の餃子の違いについて説明したい。

中国ではニンニクを別に食べる

日本の餃子は戦後、中国・満州にいた日本人引き揚げ者などによって日本に伝わってきた中国伝来の料理である、ということはたいていの日本人が知っている。日本では満州で食べていた焼き餃子が主流で、この20年ほどの間に水餃子や揚げ餃子、その他、手羽先餃子など、さまざまなバリエーションがあるが、やはり餃子といえば、その中心となるのはシンプルな焼き餃子である。

日本の焼き餃子の特徴は、具の中にニンニクを入れること(入れない場合もあるが)、野菜は白菜だけでなくニラやキャベツを使うことだ。しかし、中国では日本と違い、ニンニクを具の中に入れず、別々に食べるのが普通(餃子を食べながら、途中で生のニンニクを丸ごとかじる)。野菜は白菜を使うことが多い。肉は豚肉や羊などを使うが、日本では肉の臭みを消すために中にニンニクを入れるのと違い、中国では別々に食べるという点が大きな違いだ。

中国でも地方によって餃子にはさまざまな種類があり、食べ方もいろいろあるので、「中国では餃子はこう食べる」と一概にはいえないが、一般的に中国で餃子といえば、多くの場合、水餃子のことを指す。皮を厚めにしてしっかり口を結び、茹で上げたものをたれにつけて食べる。水餃子や蒸し餃子は東北地方や北京、西安など比較的北方でよく食べられ、稲作ができる南方では、どちらかというとあまり食べない。簡単にいえば、北は粉食、南は米食だ。

私は20年以上前に初めて日本で水餃子を食べ、何だか本場に行ったような気分になったものだが、日本ではいまだに水餃子は定番とはいえないだろう。それくらい、焼き餃子のレベルが高く、どこででも安く売っている。カレーやラーメンと並び、日本の国民食のひとつといっていいだろう。

餃子とご飯、どうして一緒に食べるの?

そんな日本風の餃子を求めて、観光旅行などで来日した中国人もよく餃子を食べに行くという。中には刺身やサラダを「材料を切っただけ」で料理だとは思っていない中国人もおり、餃子は安心して食べられる「ちゃんとした料理」だと誤解しているようだ。

彼らが最も驚くこと。それは日本の「餃子定食」の存在だ。餃子とライス、漬け物がセットになったもので、ラーメン屋や大衆食堂、チェーンの定食屋などでよく目にする。これが、彼らにとってものすごくびっくりするものなのだという。

「どうして餃子とご飯が一緒に出てくるの?」、「どっちがおかず?餃子だけで十分でしょ?」、「これをどうやって食べろというのか?」「なんでこんな食べ方をするの?」などなど。

日本人が餃子とご飯を交互に口に運んでいる姿を見て、またびっくりするらしい。中国では餃子は「主食」だ。つまり、ご飯やうどんなどの麺類と同じ。中華料理では、肉や魚料理を注文して、最後に餃子を食べたり、点心(飲茶)のひとつとして食べることはあっても、ご飯と組み合わせて食べることは、まずしない。日本人が、白いご飯と素うどん、白いご飯とざるそばだけをセットで食べないのと同じだ。

来日した中国人がこの「餃子定食」に驚き、ブログやツイッターで取り上げたものを何度か見たことがあるが、みんな驚愕していた。むろん、似たような炭水化物同士の組み合わせであるラーメンライスも驚くものだが、具がたくさんのっていて、濃いスープがあるラーメンならば、何とかご飯と交互に食べられるらしいが、「餃子とご飯を一緒に食べるのは無理…」だという。餃子定食は日本で独自に発達した食べ方のようだ。

中国では餃子は主食

考えてみると、日本では白いご飯を中心に考えたメニューが多いことに気づく。味つけが濃い料理も、白いご飯と交互に食べることを前提としている気がする。それに比べて、中国ではたくさんの料理を注文しても、最初からご飯を一緒に注文する人はあまりいない。料理を数品食べてから、最後に「主食」を注文する。つまり、料理はあらかた食べきったあとなので、白いご飯というよりも、麺類などが中心となる。つまり、それ一品を仕上げに食べるという感じだ。その前にお腹がいっぱいになっていれば、主食を食べない場合もある。

そういえば、昔、北京に留学していたとき、寮のおじさんがアルミのお弁当箱いっぱいに水餃子を敷きつめて、それだけを食べていた姿を思い出す。皮がご飯で具がおかず、だと思えば非常に合理的で一石二鳥。日本のおにぎりのような存在ともいえるだろう。

中国から渡ってきた餃子だが、日本ではその食べ方が違う。単純なことだが、同じ料理でも文化が違えば、違って受け止められ、違った方向に発達する。料理に限らず、何事もそのままの状態で伝えるのは難しい。そして、違って当たり前なのだとも感じている。

ジャーナリスト

なかじま・けい ジャーナリスト。著書は最新刊から順に「日本のなかの中国」「中国人が日本を買う理由」「いま中国人は中国をこう見る」(日経プレミア)、「中国人のお金の使い道」(PHP新書)、「中国人は見ている。」「日本の『中国人』社会」「なぜ中国人は財布を持たないのか」「中国人の誤解 日本人の誤解」「中国人エリートは日本人をこう見る」(以上、日経プレミア)、「なぜ中国人は日本のトイレの虜になるのか?」「中国人エリートは日本をめざす」(以上、中央公論新社)、「『爆買い』後、彼らはどこに向かうのか」「中国人富裕層はなぜ『日本の老舗』が好きなのか」(以上、プレジデント社)など多数。主に中国を取材。

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