フリー・ジャズの先駆的な業績でセシル・テイラーが日本版ノーベル賞受賞
「セシル・テイラー京都賞受賞!」というニュースが飛び込んできました。
この「京都賞」なるもの、不勉強ながら知りませんでした。
稲盛和夫氏によって創設された財団による日本版ノーベル賞と呼ばれる名誉ある賞だったのですね。
なぜいまセシル・テイラーなのかと驚くジャズ・ファンも多いのではないかと思います。しかし、ノーベル賞がそうであるように、この京都賞もまた、実績を十分に吟味して与えられることは想像に難くありません。
それよりもボクは、誰よりもまずセシル・テイラーをジャズの部門から最初に選んだ見識を評価したいと考えています。
リンク先のプレス・リリースによれば、「ピアノによる即興演奏の可能性を極限まで追求した革新的なジャズ・ミュージシャン」であることが受賞の大きな理由になっているようです。
チャーリー・パーカーでもなく、マイルス・デイヴィスでもなく、ジョン・コルトレーンでもなく、それはセシル・テイラーだった……。
ボクがセシル・テイラーを聴いたのは、学生時代に友人から借りた『ザ・ワールド・オブ・セシル・テイラー』が最初でした。このアルバムを聴いて、それまでのジャズや、ピアノ演奏に対する固定観念がガラガラと音を立てて崩れていく衝撃を味わったことは、いまでも忘れられません。
その後、国内では手に入らなかったこのアルバムを、渡米する友人に頼み込んで探してもらって手に入れたという顛末も付しておきましょう。
昨年の来日は中止になってしまいましたが、2007年の山下洋輔とのデュオはしっかりと目に焼き付けています。
ちなみに、これまで京都賞の音楽部門での受賞者は、オリヴィエ・メシアン、ジョン・ケージ、ヴィトルト・ルトスワフスキ、イアニス・クセナキス、ジェルジ・リゲティ、ニコラウス・アーノンクール、ピエール・ブーレーズと、権威や伝統という流派からは距離を置いた人たちが選ばれていることがわかるでしょう。
すなわちこの京都賞は、既存の理論に甘んじず、常に打ち破ることを忘れないという“精神”に与えられるものではないのかと思うのです。
そう考えると、ジャズにおけるセシル・テイラーのこの受賞は実に的確なのです。
改めてセシル・テイラーの来日と再評価を期待して、この記事を取り上げることにしました。