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「米議会を買収した男」として知られる「世界3大ロビイスト」の最後の一人が死去

辺真一ジャーナリスト・コリア・レポート編集長
朴東宣氏(2022年6月)(筆者撮影)

 今からおよそ半世紀前(1970年代)に米国を震撼させた在米韓国人ロビイスト、朴東宣(米国名:トンソン・パク)氏(89歳)が昨夜(19日)亡くなった。

 病死だが、ソウルの病院で息を引き取ると、政治家でも、財界人でも、また国民の誰もが知っている著名なスポーツ選手でも芸能人でもないのに「聯合通信」など韓国のメディアは速報で一斉に伝えていた。

 朴東宣氏は一介の民間人であるが、民間人と言っても「普通の人」ではない。「武器商人」のサウジアラビアのアドナン・カショギ(2017年死去)と「原発商人」のユダヤ系ドイツ人、ショール・アイゼンベルグ(1997年死去)と並ぶ「世界3大ロビイスト」の一人と称された人物である。

 韓国で生れ、17歳で単身渡米した朴東宣氏は当時世界56か国の政府高官、著名人の子弟が就学していた別名「ミニ国連」と呼ばれていた名門ジョージタウン大外交官大学に入学し、大学1年生で同大学の運営委員長に選ばれるほど学生の間では人望があった。それもこれも大学時代から2階建ての高級マンションに住み、大勢の友人を招待しては生バンド演奏やダンスパーティを主催するなど学校でもひと際目立つ存在で、困っている友人がいればカンパを集めるなどとても面倒見が良かったからだ。

 大学卒業後、ワシントンで「パシフィック・ディプロプメント」や「ワイド・ワールド・トラベル」といった開発、観光会社を興し、さらには「ファイブスター・ナビゲーション・カンパニー・オブ・モンロビア」というリベリア船会社の経営に乗り出した。また、「パン・メディテラニアン船会社」の株主にもなり、さらにテキサスでは石油探査会社まで所有し、一時は「海運王」の異名を取るほどだった。

 「ミスターパク」が愛称の朴東宣氏は当時、在米韓国大使や金鍾泌(キム・ジョンピル)総理をはじめ韓国政府要人から一目置かれていたことで朴正煕(パク・チョンヒ)大統領からも絶大な信頼を得て、時には「大統領特使」として、あるいは「韓国政府の密使」として米韓の友好親善、関係強化のため重大な役割を担うことになった。

 朴東宣氏のロビー活動の拠点となったのが18世紀に造られた古い建物を買い取り、設立した社交クラブ「ジョージタウン・クラブ」である。

 このクラブは設立と同時に米国の政界、経済界、司法界など各界から関心を集め、「別館ホワイト・ハウス」と呼ばれるほど米社交界の関心の的となり、オーナーの朴東宣氏は一躍脚光を浴びていた。

 例えば、朴東宣氏はこのクラブで1972年に「ニクソン大統領当選祝賀宴」を主催したが、キッシンジャー大統領補佐官をはじめ全閣僚と各界各層の著名人らが招かれていた。また、ウォーターゲート事件の最中の1973年にも盛大な晩餐会を開いていたが、出席者はフォード副大統領(フォード副大統領はその後大統領になる)を筆頭にアルバート下院議長、マンスフィールド民主党上院院内総務、ロード共和党下院院内総務、オニール民主党下院院内総務など議会指導者22人と、レアード大統領首席補佐官、リン都市開発庁長官、ウェインバーカー保健厚生長官など政府関係者らなんと総勢90人が集まっていた。

 いかにパーティー好きの米国人とはいえ、ニクソン、フォード、キッシンジャーの三首脳が一介の民間人主催のパーティーに揃って出席するとはまさに異例の中の異例の出来事だった。当時、この晩餐会を取材した米雑誌「ニュース・アメリカン」の記者は「ウォーターゲート事件をめぐり、民主・共和両党の間で激しい攻防の火花を散らしている最中にこのように両党の有力政治家らが一堂に会して、交歓したことは大統領でさえなしえないことである」と書いていた。

 米国の大統領でさえなしえない錚々たる議会指導者や政府関係者を集めての豪華な晩餐会を催したのは外国の元首や財界人ではなく、当時まだ弱冠38歳に過ぎない名も知れぬ在米韓国人であったことにワシントンの社交界は衝撃を受けていた。

 しかし、突如華々しく社交界に躍り出た東洋人の存在を米国のメディアがほっとくはずはなかった。朴東宣氏を追跡していた「ワシントン・ポスト」は1976年10月24日付1面トップで「朴東宣が韓国政府の依頼を受け、駐韓米軍の撤退を阻止するため米政界へのロビー活動を展開している」と報じた。これが世に言う、「韓国版ウォーターゲート事件」即ち「コリアゲート事件」である。

 「ワシントン・ポスト」は「朴東宣は韓国政府の指示に基づき年間50万~100万ドル相当の現金を米連邦議員や公職者らにばら撒くなど買収工作を行っていた」として、「朴東宣に抱きこまれた議員は二十数名に上る」と報じていたが、後追いの「ニューヨーク・タイムズ」は1977年7月11日付に「最低で115名の現・元下院議員に金品の授受があった」と報じていた。仮に115名の議員が買収されたとすれば、上院議員100名、下院議員435名のうち少なくとも3.6人に一人の割合で抱き込まれたことになる。

 キャピトルヒル(米議会)をたった一人で、それもまだ30代の外国の若者が手玉に取り、良くも、悪くも、米政界、議会を震撼させた東洋人は歴史上、朴東宣氏以外誰一人いない。

 朴東宣氏の対米工作資金の原資は米国の対韓援助米のコミッションである。

 朴東宣氏は対米買収工作容疑で1978年に米議会の聴聞会に引っぱり出されたが、当時の米議会議事録によると、米輸出業者がコメを韓国に輸出する時に朴東宣氏に1~2%のコミッションを渡すのが決まりになっていた。朴東宣氏は朴政権から米韓コメ取引のエイジェントに任命されていたからである。

 朴東宣氏が援助米のエイジェントに任命された8年間で米国から韓国に提供されたコメの総量は約295万トンで朴東宣氏はこの期間に少なくとも580万ドル手にしていたと、当時「ワシントン・ポスト」は伝えていた。

 「平和のための食糧計画」による米国の援助米を利用した朴東宣氏のロビイングは韓国だけでなく、中東やアフリカ諸国でもいかんなく発揮され、個人的に親交のあったガリー国連事務総長に働きかけ、湾岸戦争で経済制裁を受けていたサダム・フセインのイラクに国連の人道米を届けたりして、米国のブラックリストに載るほどだった。

 「好ましからざる人物」として米国から追放された朴東宣氏は1980年以降は活動拠点をドミニカなどの中南米及び韓国、日本に置いていた。日本語も流暢に喋ることから日本の人脈も枚挙にいとまがない。

 その多くは政財界人であるが、政界では自民党の故・安倍晋太郎外相や故・村上正邦参議院議員会長、亀井静香元運輸大臣らと親交があり、安倍晋太郎氏が外務大臣時代は外国の要人との会談をセッティングしたりもした。また、昭和天皇崩御の時には世界から数多くの首脳が弔問に訪れたが、朴東宣氏は多忙な外務省に替わってザイールなど幾つかのアフリカの首脳らのため東京で歓迎会を開いたりしたこともあった。

 朴東宣氏のキャリアで興味深いのは北朝鮮を何度か、訪問していたことだ。何よりも駐韓米軍撤退反対のロビー活動を行った「反共」の朴東宣氏を北朝鮮が招いたのも驚きだが、恐れもせずに平壌に乗り込んだ朴東宣氏の大胆不敵さにも正直驚かされた。

 両親が北朝鮮出身の朴東宣氏の「日米コネクション」に目を付けた北朝鮮は米朝関係改善へのロビイングを依頼しただけなく、拉致問題の解決と日本からのコメ支援への協力も要請していた。

2017年4月都内のホテルで筆者のインタビューに応じた朴東宣氏
2017年4月都内のホテルで筆者のインタビューに応じた朴東宣氏

 北朝鮮の「密命」を帯びた朴東宣氏が首相になる前の故・安倍晋三氏を訪れ、北朝鮮の意向を伝えたことは今もなお、伏せられたままである。

ジャーナリスト・コリア・レポート編集長

東京生まれ。明治学院大学英文科卒、新聞記者を経て1982年朝鮮問題専門誌「コリア・レポート」創刊。86年 評論家活動。98年ラジオ「アジアニュース」キャスター。03年 沖縄大学客員教授、海上保安庁政策アドバイザー(~15年3月)を歴任。外国人特派員協会、日本ペンクラブ会員。「もしも南北統一したら」(最新著)をはじめ「表裏の朝鮮半島」「韓国人と上手につきあう法」「韓国経済ハンドブック」「北朝鮮100の新常識」「金正恩の北朝鮮と日本」「世界が一目置く日本人」「大統領を殺す国 韓国」「在日の涙」「北朝鮮と日本人」(アントニオ猪木との共著)「真赤な韓国」(武藤正敏元駐韓日本大使との共著)など著書25冊

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