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ドラマ『西園寺さんは家事をしない』は何故あんな終わりかただったのか ラストシーンの意味

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:Keizo Mori/アフロ)

ほわっと終わった『西園寺さんは家事をしない』

(ドラマ『西園寺さんは家事をしない』のネタバレしています)

ドラマ『西園寺さんは家事をしない』は、ほわっと終わった。

何も決めない。

何も喪っていない。

ほわっと終わった。

こういうのは、ほっとする。

試行錯誤して「ほわっと」終わった

三十代後半独身女性の西園寺さん(松本若菜)は、いろいろあって楠見くん(松村北斗)と4歳女児ルカちゃん(倉田瑛茉)と疑似家族となっていた。

三人で一緒に暮らしている。

でも、夫婦でも親子でもないのに、そのままいていいわけではない。

行き詰まってしまい、さて、どうすればいいのかと、さまざまな試行錯誤を繰り返し、いろんなことをやってみて、最後の最後、ほわっ、と終わった。

なかなか見事であった。

ルカちゃんのママは最近亡くなったばかり

西園寺さんと、楠見くんは、お互い好き合っている。

ルカちゃんも西園寺さんになついている。

では家族になってしまえばいいじゃないか、というと、そうはいかない。

ルカちゃんのママ、つまり楠見くんの(元)妻(松井愛莉)は、ドラマ始まりの一年前に亡くなったばかりである。

ルカちゃんは、ママのことをおもいだして泣くこともある。

楠見くんにもまだ強く、妻への愛情が残っている。

それがまあ、ふつうだろう。

新しい家族になることを急いでは壊れてしまう

だから新しい家族になることを急いでしまうと、いろんなことが壊れてしまいそうである。

いったいどうしたらいいのだろう、というのが『西園寺さんは家事をしない』の後半部分の中心テーマとなっていたのだ。

もはや、家事は(西園寺さんが家事をしないということは)あまり関係ない。

ほわっとした独身女性を演じて抜群

ドラマはずっとコメディトーンであった。

松本若菜主演のコメディ演技はいい。

初期設定やら展開やら、さほど目新しさがあったわけではないのだが、でも、ずっと見つづけられたのは、この心地良さによるものだろう。

おそらく主演の松本若菜が醸し出す力である。

ほわっとした独身女性を演じて、松本若菜は抜群である。

(それを受ける松村北斗の脱けぐあいもすばらしかった)

火曜10時は恋愛ドラマの枠

ドラマ枠でいうのなら「TBS火曜10時」はばりばりの恋愛ドラマ枠である。

ガッキーと星野源の「逃げ恥」の昔から、ホットな恋愛枠である。

そういう余計な情報を入れた頭で見始めていると、これはいろいろあっても最後は松本若菜と松村北斗の大恋愛で結ばれるに違いないさ、うふふ、と賢しげで愚かしい見方をしてしまうもので(すいません私です)いまどき火10といえども、そうと決まっているわけではない。

今回は恋愛ドラマとしては展開しなかった。

枠からものを考えてはいけない(すいません)。

最終話は本格的コントのバラエティ

恋敵が現れ、恋愛模様も乱れそうであったが、でもドラマが進むにつれて、きちんとコメディ、それもホームコメディであることが明らかになっていく。

家庭喜劇だ。

とくに最終話は、バラエティ化していた。

後半はほぼコント番組のようであった。

きちんと衣装が揃えられ、出演者が総動員されて、「大家族」「修学旅行」と次々と短いコントが作られていた。

松本若菜のコント演技はきちんと突き抜けている。

夫婦を基軸としない三人の同居形態を探ってコントになる

西園寺さんの悩みは、家族ではない三人が同居することである。

どうすれば自分たちが納得でき、まわりにもわかってもらえるのか。

「夫婦を基軸としない三人の同居形態」を模索しているうちに迷走して、考えすぎて、コントになっていた。

ドラマはそのまま正解を求めてラストに向かっていく。

どういう形態を選んだのか、その答えがラストシーンでわかる。

ラストシーンは空港での三人

三人が最後にいたのは空港であった。

飼い犬のリキは飛行機にもう乗せたという。

三人はどうやら海外に向かうみたいだ。

どこへ行くのかは、エリサさん、というニューヨーク在住の友人の名前が出るだけで、明確ではない。

ひょっとして「エリサさんがすすめてくれた……」ということで、ニューヨークとはまったく別の場所かもしれない。示されない。

三人はただ飛行機に乗るばかりだ。

搭乗口に向かう後ろ姿でドラマは終わった。

答えは「わからない」

つまり三人で暮らすのに適した形態は何かという答えは……

わからない、である。

(主人公以外のみんなに、どてっ、と転んでもらいたいところだ)

わからない、つまり、決めていない、でもある。

結論をだしていない。

三人でただ一緒にいることが、その答えだともいえる。

いまは決めない、それでいい

彼女たちのユニット3人組は、壊れることのないまま、前に進む。

いまは形態を決めない。固定しない。

時間が経てばいつか落ち着くのではないかと期待して(しなくてもいいが)、いまは決めない。

これから、どうなるかわからない。

それでいいじゃないか。ということでもある。

解決しないことを悩んでもしかたない

言い方を換えれば、解決しないことを悩んでもしかたない、ということでもある。

余計なことは考えずに、まず、どこかへ行ってしまおう。それもみんな揃って行ってしまえばいい。

そういうことのようだ。

だから、最後はほわっとしていた。

すばらしい。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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