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強いフクヒロ。バドミントン・香港オープン、女子ダブルスは今日決勝

楊順行スポーツライター
優勝した10月のデンマーク・オープン(左・福島由紀、右・廣田彩花)(写真:ロイター/アフロ)

 それにしても、強い。バドミントンの女子ダブルス、フクヒロこと福島由紀/廣田彩花(岐阜トリッキーパンダース)のペアである。

 いま開催中のワールドツアー(WT)・スーパー500の香港オープン(OP)で、今日の決勝に進出。これで今季出場したワールドツアーの個人戦13大会のうち、9回目の決勝だ。全英OP、世界選手権というグレードの高い大会こそ2位に終わっているが、やはりビッグ大会であるインドネシアOP、そして地元・日本でのダイハツ・ヨネックスジャパンオープンを含めて優勝が5回。6月に初めてトップに立った世界ランキングも、一時期を除いて1位をキープ中だ。

 だが、全日本社会人選手権(たとえば、桃田賢斗が不祥事から復帰出場するなど、特別なことがなければメディアの取材はほとんどない)で国内の初タイトルを獲得したのが2016年。それが翌17年には、マレーシアOPでスーパーシリーズ(SS=現在のワールドツアー・スーパー500)を初制覇し、世界選手権でも準優勝と、またたく間に世界トップに割って入った。世界ランキングも、国内初タイトル獲得時は30位台だったのが、1年ちょっとで4位まで上昇。世界バドミントン連盟から、17年の「最成長選手賞」を受けている。つまり、誰も取材にこないような国内大会での初タイトルから、2年足らずで世界1位に駆け上がったことになる。

シングルスを強くしたい!

 福島が、青森山田高校からルネサス(現再春館製薬所)に入社したのは、12年のことだった。当時のチームは、ダブルスは強くてもシングルスが手薄といわれており、「おこがましいですけど、私がシングルスを強くするつもりだった」と福島は振り返る。だが初年度の日本リーグ(現S/Jリーグ)では、ロンドンの女子複銀メダリスト・藤井瑞希が故障したこともあり、急きょ藤井のパートナー垣岩令佳とペアを組んだ。するとこの急造ペアは、終盤の勝負どころで3連勝。今井彰宏監督(当時)が「ルーキーとはいえ、なにか持っている」と驚く活躍で、リーグ優勝に大きく貢献している。

 翌13年には、1年遅れて入社してきた廣田とペアを組み、「急に組んだので、"どうやればいいの?"という感じ」(福島)ながら、ランキング・サーキット(RC)でいきなり準優勝。北京五輪で4位に入賞した経験のある、末綱聡子コーチ(現岐阜トリッキーパンダース。北京でのパートナーは前田美順)はこう語る。

「最初から、見ていて全然違和感はなかった。廣田が前、福島が後ろという得点パターンがあり、フィニッシュに持っていくのが早かったですね」

 さらにその13年は全日本社会人、全日本総合ともに8強、日本リーグでも2勝して、ナショナルB代表にも選出された。

 1年目のペアとしては順調すぎるくらいだったが、翌14、15年はもうひとつ壁を破れていない。たとえば14年の社会人選手権では、決勝で先にマッチポイントを握りながら、「勝っているのに、なぜか焦ってしまい」(福島)、初タイトルを逃している。精神的な波が大きかったといっていい。

 大きな転機は16年、一時ペアを解消したことかもしれない。福島は、日本リーグで1試合組んでみて相性のよかった新人・志田千陽を、廣田もやはり新人でサウスポーの小野菜保をパートナーとしたのだ。再春館製薬所のチーム戦略として、若手に出場機会を与え、さらに新ペアの可能性を探ろうという意図だろう。

 だが福島/志田は、5月のベトナム・インターナショナルチャレンジ(IC)で準優勝はしたものの、優勝してもおかしくない国内のRCでは2回戦負けなど、思うような結果がついてこない。6月のスペイン国際では、廣田/小野に敗れてもいる。その廣田/小野も、RCこそ準優勝したが海外では一進一退と、ペアの組み替えという刺激策はさほど効果を上げなかった。そこで国内では7月上旬の全日本実業団選手権の途中から、国際大会では9月のヨネックスオープン・ジャパンから、フクヒロの再結成となったわけだ。

ペア組み替えの化学変化

 フクヒロの、そこからの変化は劇的だ。9月の全日本社会人で初優勝を遂げると、真の日本一決定戦ともいえる全日本総合では、リオ五輪金メダルのタカマツと好勝負の4強入り。初のA代表となった17年の活躍は、先述のとおりである。

「一時期、別のパートナーと組んだことは、ひとつの大きな転機だったと思います」

 フクヒロの2人は、口をそろえる。廣田は、再結成当時を振り返った。

「それまでは、福島先輩に頼り切っていたんですね。すると試合中、困ったときに自分が引いてしまい、負けるというパターンが多かったんです。ですが、一時後輩と組んだことで、自然に"自分が引っ張っていかなくてはいけない"と思ったし、コミュニケーションの大切さも知りました」

 さらに廣田は、左利きの小野と組んだことで、新しい攻撃パターンを発見。「福島先輩のスピードなら、右と右でもこのパターンは使えるな」と、再結成したフクヒロでも「こうしてみましょう」と積極的に新しい組み立てを提案もした。すると16年、リオ五輪前の実業団選手権(団体戦)では、タカマツとの決勝で惜敗するも、第3ゲームを22対24の接戦。そのころから試合中に密にコミュニケーションを取り、笑顔もよく見られるようになっていく。末綱コーチが明かす。

「別のパートナーと組んだことで、あらためてお互いのよさがわかったと思います。また廣田は、後輩と組んでなおさら、相手のよさを引き出す大切さにも気づいたでしょう。私も初めて後輩の前田と組んだときには、"引っ張っていかないと"と思いましたから」

 そしてその年のリオ五輪、女子ダブルスの決勝。2人は、そろってテレビを見ていた。タカマツの金メダルに、すごいね……と顔を見合わせ、2人はこう続けたという。「でも、私たちだっていけるんじゃない?」。

 その時点でのフクヒロは、まだB代表。世界トップが集うSSにも、数えるほどしか出場しておらず、オリンピックは夢物語に近かった。だが実業団でタカマツと演じた接戦が、"私たちも"という根拠にある。そしてフクヒロは、いまやランキングではそのタカマツの上にいるのだ。

東京五輪の出場枠は2

 末綱コーチによると、

「レシーブが格段によくなっているのが、好成績につながっています。福島はいま、一番うまいと思いますし、また廣田が後ろになったときの引き出しも増えてきましたね。17年に、1年間SSを回っていろいろな相手と対戦し、さまざまな球を受けたことで対応力がつきましたし、もちろん精神的にもタフになり、簡単にあきらめなくなりました」

 じっくりと話を聞いたのは、フクヒロがまだ再春館製薬所に在籍していた当時。その後、岐阜トリッキーパンダースへの移籍で一時ごたごたするのだが、詳細な経緯については残念ながら取材不足だ。だが取材当時、2人はこう、口をそろえていた。

「今年が勝負です!」

 来年は、東京五輪出場権獲得に向けたレースがスタートする。世界ランキングトップ10に5組入っている日本女子だが、オリンピックの出場枠は、いくら強くても最大で2。フクヒロは五輪レースというその"勝負"を、間違いなく優位に進めている。今日の決勝は、過去1勝0敗の韓国ペアが相手だ。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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