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広島カープ、優勝へ着々。1975年の初優勝を、衣笠祥雄が回想する その2

楊順行スポーツライター
懐かしの広島市民球場。目の前には原爆ドーム(写真:アフロ)

つまり……1975年開幕前までのカープには、失礼ながら負け犬根性が染みついていたわけか。

「そうです。そしてそれを一掃するには、カンフル剤が必要なわけです。それがルーツ監督の就任、外国人の目線で見た意識改革なんです。『君たちには勝つチャンスがあるのに、なぜチャレンジしようとしないんだ?』と、ルーツは口を開くたびにそういいましたね。

非常に厳しい面もありましたよ。実はキャンプの初日、バスの出発時間に僕が1分遅刻したんです。するとルーツは『明日は、6時に起きて走りなさい』。遅れたのはたった1分です。たった1分なんですが、容赦はありません。『1分といっても、30人がバスに乗っていたなら、君はチームの30分をムダにさせたことになる。それを返せるか? 返せないだろう。だから、時間は守らなければいけない』というわけです。もっとも、主力の僕に注意することで、チーム全体に厳しい姿勢を徹底させたという面もあるでしょうが。

そういう"カンフル剤"のルーツが、いざシーズンが始まると、4月いっぱいも待たずに辞任。ですが、動揺はなかったですね。というのもルーツは、自分と同じ野球を目ざす、あるいは自分の野球を理解するようにコーチを教育していましたから。しかも後任が、古葉(竹識)さんじゃないですか。僕が入団したころのレギュラー選手ですし、身近な方でしたから、戸惑いはなにもありませんでした」

確かに、古葉監督となってからのカープは好調。5月中旬には、一時首位に立っている。

「まあ、鯉のぼりの季節まで強いのは過去にもあった話です。ただ、決まってそこから息切れした。それはなぜか? 理由のひとつは、主力投手が5月にコンディションを崩してしまうからなんです。ところが、なまじチームが好位置にいるものですから、コンディションが悪い投手でも無理して投げさせるでしょう。すると、決まって6月以降にツケが出る……それが、広島のパターンでした。

僕は入団当初は捕手でしたから、そのことを痛いほど知っています。また古葉さんも自分の現役時代、6月以降の失速は実体験している。だからでしょうね、6月に5連敗し、ここを落とすと貯金がなくなるという試合があったんです。無理をすれば、中3日の外木場さんの先発でもよかったんでしょうが、あえて次の試合に延ばした。

古葉さんに、『今日の試合は打線にかかっている。打ってくれよ』といわれたのを覚えています。なんと正直な人だろう、と(笑)。目先の勝利を追うのならなら、外木場さんの先発もありなんです。ただ古葉さんは自分の現役時代の経験から、『ここはまだ勝負どころじゃない』と、無理使いをガマンしたんでしょうね。結局広島はこの試合を勝って連敗を止めたわけですが、あれも大きなターニングポイントでした」

初めて感じた"怖さ"とは

ちなみにその6月19日のヤクルト戦は、衣笠の9号2ランなどで3対1の勝利。連敗を止めた。

「私のホームランはどうでもいいんですけど(笑)、実は記憶違いで、いま資料を見るまで、そのヤクルト戦は秋口の話だと思っていました。それが6月ということは、古葉さんはその時点から、ずっと先を見据えていたということになりますね。

そしてオールスターを経て、苦しかったのは8月です。開幕からの疲れが出るころでもありますが、なにしろこのころに首位争いをするというのが初めてでしょう。毎日が初めての経験です。また各チームがよってたかって、ウチを引きずり下ろそうとエース級を先発にぶつけてくるんですよ。なんでウチに? というくらい、ローテーションを飛ばしたりしてね。ああ、首位に立つというのはこういうことなのか……とひとときも気が抜けませんでした」

オールスターで火のついた、赤ヘルブーム。広島の街も、徐々にヒートアップしていったのか。

「う〜ん、ただ8月ころは、選手はもちろんファンも、まだ半信半疑だったんじゃないですか。それよりも、9月に入ってからですね。例年8月中は、夏休みも帰省もあって、チームの成績に関係なく、お客さんはたくさん入ってくれるんです。それが9月になると、『あの人たちはどこへ行ったんだろう』と拍子抜けするくらい、広島市民球場のスタンドが寂しくなる。ところがこの年は、9月になっても連日満員のままなんですね。僕が入団して以来の過去10年とは、まったく雰囲気が違うんです。ホームの毎試合、軒並み2万人以上。グラウンドで野球をやりながら、怖さを感じたのはこのときが初めてでした」(続く)

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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