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いまさらながら……2017年夏の甲子園、名采配をプレーバック。(その2・明徳義塾)

楊順行スポーツライター
(写真:アフロ)

▼第2日第4試合

明徳義塾 110 001 000 003=6

日大山形 120 000 000 000=3

 明徳義塾(高知)にとって、そして馬淵史郎監督にとって、夏は2度目の初戦敗退か……。そんなシーンは、延長10回裏の守りだ。

 日大山形は、2死から石川陸貢がヒットで出ると、続く鹿野佑太の当たりは右翼線へ。長打コース。さあ、本塁を狙うのか。だが、三塁ベースコーチの沼澤大輔は手を広げて石川を止める。微妙なタイミングではあった。ただ走者を止めた直後、中継に入った明徳の二塁手・近本攻生が、やや処理をもたついた。たらればは禁物。だけど、同じ走者を止めるにしても、中継野手の捕球を確認してからでも帰塁は間に合う。それからすると、ベースコーチの判断はちょっと早かった。

 試合は明徳が先制し、山形が逆転し、明徳が追いついた同点で延長に入っていた。明徳は同点に追いついた6回の守りから、先発の北本佑斗に代え、2年生の市川悠太をマウンドに送っている。

「高知大会でピンチを抑えているからね。その勝ち運にかけた」

 と馬淵監督のいう市川が、いい。今年5月、上手投げから改造した右横手は、140キロ前後のまっすぐを軸に、的を絞らせない。10回には2安打されたピンチも結局後続を断ち、6回から11回まで4安打無失点だ。

 チャンスを作りながら、併殺や好守に阻まれていた明徳が勝ち越したのは12回だ。2死一、二塁から四番・谷合悠斗の遊撃内野安打に悪送球が重なりまず1点、さらに五番・今井涼介がしぶとく右前に落として計3点をもぎ取った。裏の守り。市川は簡単に2死を取ったが、四球、そして石川のヒットで2死一、二塁とされる。一発が出れば同点のピンチである。ここで……。

あえて背番号1を伝令に

「伝令はね……あえて北本(佑斗)に行かせたんよ」

 と馬淵監督はにんまり。タイムを取り、伝令に走らせたのは、降板していた先発の北本だった。

 "あえて"というのには、こんな理由がある。センバツの1回戦。明徳は早稲田実(東京)に2点をリードして9回2死一塁までこぎつけた。次の打者は、北本の前へのゴロ。「終わった、思うてベンチから一歩出ようとした」馬淵監督だが、「次が清宮(幸太郎)という意識もあって、焦った」という北本のグラブをはじく。ゲームセットのはずが2死一、二塁となり、動揺した北本は、回るはずのなかった清宮の5打席目に四球。そこからまさかの同点に追いつかれると、延長10回で敗れているのだ。

 その北本を伝令に走らせるところが、なかなかニクい。センバツで、勝利まであと一人から痛恨のエラーを犯した当の本人のアドバイスである。市川には、さぞ説得力があったことだろう。この絶妙な間で肩の力が抜けた市川は、最後の打者をショートフライに打ち取った。6対3。

「厳しい試合を勝ったのは自信になるよ」

 とにんまりの馬淵監督にとって、夏の甲子園はこれが31勝目。智弁和歌山・高嶋仁監督に次いで、単独2位の数字である。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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