<朝ドラ「エール」と史実>梅が受賞した「文芸ノ友新人賞」の元ネタ? 古関裕而が語る“芥川賞との縁”
今週より本放送が再開した朝ドラ「エール」。劇中では、ヒロイン音の妹・梅が、念願の「文芸ノ友新人賞」を受賞しました。
「なんでここで文学新人賞の話?」と思うかもしれませんが、古関裕而と関係性がないわけではありません。文学の新人賞といえば芥川賞。じつは同賞、「船頭可愛いや」のリリースと同じ1935年にスタートしています。そして古関も、芥川賞との縁を自伝で語っているのです。
モデルとなった古関金子の2人の妹に、文学賞受賞の実話はありません。ただ、この記述が元ネタになって、今回のエピソードが創作された可能性はあるでしょう。
実際に作ったのは「文藝春秋同人に代りて志を述ぶるの賦」
しかし――。この古関の記述は要注意です。というのも、文藝春秋の社史をみても、1935年に「社の歌」など制定していないからです。
では、古関は嘘を言っているのでしょうか。もちろん、そうではありません。よく調べると、1937年に、『文藝春秋』創刊15周年を記念して、「文藝春秋の歌」「文藝春秋音頭」「文藝春秋同人に代りて志を述ぶるの賦」が作られており、そして最後の「文藝春秋同人に代りて〜」(佐藤春夫作詞)が古関によって作曲されているのです。
せっかくなので、その1番の歌詞を引用しましょう。
菊池とは、同社創業者の菊池寛のことです。なお、1937年3月25日は、文藝春秋社主催により日比谷公会堂で東京愛読者大会が開かれ、さきの3曲などが披露されました。古関がピアノ伴奏をしたというのは、おそらくこのときのことでしょう。
ようするに、古関の記憶が曖昧だったということですね。晩年に書かれた自伝なので、やむをえないでしょう。ただ、同書にはほかにも同じような箇所があるため、本格的に研究するときには、さまざまな資料と突き合わせることが求められます。
いずれにせよ、1935年スタートの芥川賞との縁はあまりなかったということになりますが、1937年というタイミングが重要です。そう、この年の7月には、日中戦争が勃発するのです。つまり、古関の自伝を熟読している者が文学新人賞と聞くと、ほぼ唯一の接点である上記のエピソードを思い出し、「ああ、もうすぐ戦時下に入るのかな」と連想してしまうのです。
事実、朝ドラは来週から戦時下篇に突入します。そう考えると、文学新人賞の話は、一見本筋と関係なさそうで、じつは「ここに入れるしかない」ものだったことがわかるでしょう。