【深掘り「鎌倉殿の13人」】北条義時の妻「のえ」は、夫に内緒で謀反を企んでいたのか
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大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では源実朝が殺害されたが、「のえ」の陰謀めいた行動がクローズアップされている。この点について、詳しく掘り下げてみよう。
「のえ」(伊賀局、伊賀の方とも)は、御家人の伊賀朝光の娘で、北条義時の後妻となった。ドラマでは、菊地凛子さんが演じており、怪しげな雰囲気を醸し出している。何となくズボラな女性で、生田斗真さん演じる源仲章ともたびたび密談をしていた。
しかし、源実朝が公暁に鶴岡八幡宮で討たれたとき、仲章はたまたま義時と剣を持つ役を代わっていたため、巻き添えで殺されてしまった。事件後、2人の怪しい関係は義時にも伝わっていた様子で、「のえ」に警告を発していた。むろん、「のえ」が不審な行動をするのには理由があった。
義時の後継者としては、泰時が有力だった。事実、義時の没後、泰時は3代執権に就任し、有名な「御成敗式目」を制定し、北条氏の歴代執権のなかでも高い評価を受けた人物である。しかし、「のえ」の実子ではない。
「のえ」が義時との間にもうけたのは、政村だった。のちに、政村は評定衆に就任し、引付頭人、連署という要職を歴任した。遅くはなったが、政村は7代目の執権に就任したので、別に冷遇されたわけではない。とはいえ、「のえ」が我が子の出世を望むのは理解できなくもない。
貞応3年(1224)6月から閏7月にかけて、伊賀氏の変が勃発した。変については、改めて詳しく述べる機会をもうけたいと思うが、義時の死後、「のえ」は政村を後継の執権に据え、娘婿の一条実雅を実朝の後継の征夷大将軍に就けようとしたという。
むろん、変は「のえ」の単独ではなく、伊賀一族が絡む政変だった。しかし、「のえ」ら伊賀一族の陰謀は未然に察知され、当初の予定どおり泰時が義時の跡を継いで、執権の座に就いた。変後、「のえ」は伊豆北条に流罪となり、伊賀一族の面々も流罪となった。
とはいえ、実際に変があったのかは断言できず、でっち上げともいわれている。義時死後、幕府は「のえ」が後妻として権勢を振るうのを恐れ、陰謀の濡れ衣を着せて処分したという。はたして、真相はいかに。