パラアスリート木村潤平の「Beyond the Border」〜新たな挑戦、パラリンピック2024〜
来年のパリ・パラリンピックへ向けた、熱き戦いの始まり
「Beyond the Border」
壁を超え、境界を超え、限界を超える。
トップアスリートは常なる挑戦者として安住の地を求めず、自らのチカラで新たな世界を切り拓いていく。彼らの飽くなき挑戦は、私たちの心を突き動かし、社会を大きく変えていく。
今、バスケットボールに、サッカーに、そしてパラ競技に次世代への胎動が起きている。5回ものパラリンピック出場経験を持つトップアスリートでありながら、自ら一般社団法人Challenge Active Foundation(CAF) を立ち上げ、社会にも影響を与えるパラアスリート木村潤平選手(38)、挑戦をつづける競技はトライアスロン。
木村氏のくったくのない笑顔とポジティブな性格は、彼と接した多くの者を魅了しファンにしてしまう。また、彼が率いるCAFはスポーツを一層身近なものとし、障がいの有無にとらわれず、多くの人々にスポーツや社会的な生活の隔たりをなくすことを目指している。スポーツが生む共感と共有の力を通じて、社会をより包括的に変えていく試みは、人々に感銘を与え支援の輪を広げている。
2024年、パリで開催されるパラリンピックに向けたポイントレースの最中である木村氏は今月(9月)に行われるスペイン世界選手権に向けてトレーニングを重ねる日々だ。新たなアプローチをもとに壁や限界を超えようとする彼は、一体どんな未来を描いているのか。その素顔に迫ってみる。
*パラトライアスロンとは何か?
JTU解説 → JTUパラトライアスロンマニュアル
*写真・画像で特に撮影者や提供者がないものはすべて木村選手からご提供いただきました。
競泳からトライアスロンへ。転身のきっかけ、その魅力
ーそもそも、トライアスロンに挑戦されたのは、どのようなきっかけがあったのでしょうか。
木村 もともと競泳をしていたんです。アテネ、北京、ロンドンと3大会のパラリンピックに出場できたことで、自分の中ではある程度の達成感を感じていました。でも、メダルを獲ったことは一度もなくて…
メダルを獲るためには何か新しいアプローチが必要だなと思っていた時でした。リオデジャネイロ・パラリンピック(以下、リオパラ五輪)で初めてパラトライアスロンが競技に加わることになったんです。
自分の水泳のスキルも活かせるし、新しい挑戦としてリオに向けてトライアスロンを始めてみようと、最初は軽い気持ちで取り組みました。それが気づいたら、本気で取り組むようになり、結局は現在もメインの競技になっています。自身のスポーツの幅を広げたいという気持ちが、トライアスロンへの転向のきっかけでしたね。
ー実際にトライアスロンに挑戦して、競泳との違いや面白さについてはどう感じました?
木村 すべてのスポーツにおいて言えることですが、競泳は特に繊細で、自分との闘いが色濃く出る競技です。
普段と少しズレるだけでもダメだという選手が多いですし、トップになるにはその微妙な違いを感じ取る感覚が絶対に必要です。一方、トライアスロンでは多少のズレは当たり前。天候や他の選手との接触、戦術などに影響を受けることは普通なので、それらを気にしないようなマインドが必要なんです。最初は、そのマインドの切り替えが大変でした。
また、競泳では水泳という1種目だけを突き詰めるのですが、トライアスロンでは水泳、陸上、自転車という3つの競技を追求しないといけない。そのなかで3つの競技を深く極めている人と出会えることは、トライアスロンをしていてたまらなく楽しい瞬間なんです。
トライアスロンを始めて3つの競技それぞれの突き詰め方が全く異なるということにも気づかされました。スポーツには共通する側面が多いと思っていましたが、実際に種目が切り換わると、考え方がまったく違うんです。そこがこの3競技を一つにしたスポーツの魅力でもあります。
ー具体的に、どのように異なるのでしょうか?
木村 例えば、水泳に比べて陸上や自転車はパワーの重要度が高いように思います。もちろん水泳でも短距離種目などではパワーは大切ですが、ジムでのトレーニングよりも、水中での体の使い方の精度を上げるトレーニングや体幹強化が多いんですよね。
でも、自転車や陸上競技では、パワーが重要になるためにジムトレーニングも大きなウエイトを占めるんです。練習においても水泳の場合はサークルトレーニングで、タイムを確認しながら自分のタイム感覚を研ぎ澄ましていく練習が多いです。
水中だとパワー値の計測が難しい部分もあるので、タイムや泳ぎ終わった後の体の状態、脈拍、酸素濃度などで評価します。それに対して自転車では、パワー値を指標とした、パワーや脈拍によるアプローチで練習の管理・計測をしています。
新しい競技に挑戦したことで、これまで知らなかった世界と出会えたような気がしています。例えば、バスケットボールや柔道なども、それぞれに特有のトレーニング方法やアプローチがきっとあると思います。一見、種目ごとにトレーニング方法は確立されているように思われがちです。でも、他の競技のトレーニング方法と組み合わせることで新しいシナジーが生まれて、新しいアプローチが試せるのではないかと考えられるようになったのは、大きな発見だったんです。自分としても成長することができた理由のひとつではと思ってます。
スポーツは平和の基盤の上にこそ、成り立つ
ー2021年には、東京パラ五輪にも出場されました。コロナの影響で1年延期されての開催でしたが、ご自身のパフォーマンスや環境について、今振り返ってみてどう感じますか?
木村 これまで4つのパラリンピックに参加させていただきましたが、東京五輪は特別な状況でしたね。コロナで厳しい状況の中、出場選手を応援していのか分からない方々も多かったでしょうし、自分もスポーツをすることで本当に日本が盛り上がるのか不安でした。スポーツって何だろう、と考えることもありましたね…
以前から感じていましたが、スポーツって平和の基盤の上にこそ成り立っているものだと思います。平和で皆が余裕を持っている時に必要な要素なんだと。ただ、東京パラ五輪が開催されるかもしれないなか、トレーニングを中断するわけにもいかず、複雑な思いでトレーニングを続けていたのは、正直なところです。これは多くのアスリートが同じだったと感じています。
スポーツには、人々が盛り上がったり勇気をもらったりする瞬間があると思うんです。スポーツを続けていくことで、いつか自分たちの出番がきて、そうした盛り上がれる瞬間を作り出すことで、何かできることがあるのではないかと思い東京パラ五輪に臨みました。自分達だけでなく、世界中どの選手も苦労は多かったと思いますが、そのなかで東京パラ五輪を開催していただいたことは本当にありがたかったです。これまでとは違う新しい形の大会を体験できたと思います。なので、開催実現や運営に携わったすべての関係者やスタッフ、ボランティアの方々に、今も感謝の気持ちを持ち続けています。
ポイントレースの舞台裏。新戦略でスペイン世界選手権に挑む
ー来年はいよいよパリ五輪です。そもそもパラリンピックの代表選手は、どのような仕組みで選ばれるのでしょうか。
木村 1年間のポイントレースで競われます。今回のパリ五輪の対象期間である、2023年7月から2024年6月までの間に開催された試合に出場して、上位に入るとポイントが加算されます。試合出場回数は問われませんが、その中から上位3試合のポイントを合計し、その合計ポイントの上位9人がパリパラ五輪の出場権を得られます。最大で10人の出場枠があるのですが、残り1枠はワイルドカードのようなもので決まります。
試合ごとに獲得できるポイント数が違い、ポイントが最も高いのは世界選手権です。ちょうど9月にスペインで世界選手権が行われる予定です。それに続いてシリーズ大会があり、今年は横浜やカナダで開催されました。また、アジア大会などの大陸別大会、ワールドカップと呼ばれる各大会ごとのカテゴリーがあり、これらの試合でポイントを獲得していくことになります。
ースペインでの世界選手権について詳しく教えていただけますか?
木村 9月22日から24日にスペインのポンテべドラという街で開催されます。
パラリンピックだけでなく、オリンピックやアンダー23、さらには一般エイジの世界選手権も一緒に行われるので、トライアスロンファミリーが大集結するんです。約1週間、開催都市では祭典のような雰囲気で試合が開催されます。自分の試合自体は1日で終わるのですが、試合に集まった他の選手を応援し合えるのは、トライアスロンのいいところです。是非こういった雰囲気を一度は味わってもらえたらと思います。
ー現在は、そのスペイン大会に向けてトレーニングに励まれているのですね。
木村 実は今回、新しいアプローチを試しているんです。今までは合宿やトレーニングキャンプに参加することが多かったのですが、今回は自分の拠点でじっくり取り組んでいます。同じことを続けていると成長が感じられないような気がするので、新しいことに挑戦するのが好きなんです。
ただ、今直面しているのはメンタル面の課題ですね。普段と同じ環境で、普段以上に追い込まなければならないので、メンタルコントロールが難しく感じています。
ーそういったメンタル面の課題は、どのように克服されていますか?
木村 スポーツに集中することは重要ですが、他の人との会話を通じて新しい視点を得たり自分をリフレッシュさせたりする時間を持つようにしています。東京にいるからこそ、会える人やできることもあります。
合宿は集中して取り組めるいい環境ですが、それはもうこれまでも十分に経験していること。だからこそ、今回はこれまでやったことがない方法に挑戦してみることで新たな発見があるのではないかと考えています。
ー木村選手にとって、選手としての競技はどのような意味を持つのでしょうか?また、その競技を通じて伝えたいメッセージや価値観はありますか?
木村 スポーツ観はその時々で変わるので一概に言い切れないのですが、今の自分の考えでは、スポーツを楽しむことが大事だと思っています。もっとみんなが気軽に楽しんで、感動を共有できるような環境があればいいなと。
トップスポーツだけにフォーカスしすぎると、スポーツが特別なものになりすぎてしまいがちです。最近ではパラリンピックも神格化されて、敷居が高くなっているのではないかと感じます。規律や責任感は大切ですが、もっとトップスポーツ選手でも気楽にスポーツを楽しめたらいいんじゃないかって。
ただ、その気楽さというのはやっぱり楽しくないといけなくて、楽しいためには勝たないといけない。勝つために真剣にならないと、本当の意味で気楽に楽しめないんですよね。だからこそ、スポーツは本当に難しいものなんです。
例えばトップスポーツでの楽しみは、実は勝つことと深くつながっていると思います。勝つことや皆さんからの応援を受けること、そして競技を楽しむことが、トップスポーツの真髄なんです。そしてそのためには、他の誰よりも努力し、真剣に向き合わなければならない。世界と戦うためには、その覚悟が必要です。その現実を理解し、それに対する行動を起こせる人が、トップスポーツの世界で活躍できる人なんだと考えています。
「スポーツをもっと当たり前に」ー 木村氏率いる団体の本質
ーアスリートとして活躍される一方で、2019年には一般社団法人を立ち上げられました。なぜ、この団体立ち上げようと思ったのでしょうか。
木村 自分はこれまで5回パラリンピックに出場することができましたが、それはたくさんの人々との出会いやサポートがあったからこそです。自分は本当に恵まれていると感じる一方で、障がいだけでなく、生活環境や他の課題を抱えている人々がたくさんいます。スポーツができることは当たり前ではないんだと感じる場面もたくさんありました。
例えば「走る」ことは、一般の人にとっては当たり前のことかもしれません。でも、走ることが簡単にできない人もいます。車椅子レーサーを必要としたり、義足を購入しなければならなかったり…。そのためにはお金が必要で、特に子供の場合は親に頼まなければなりません。走るためだけにお金が必要というのは不思議なことですよね。周りの友だちのように一緒に走りたいだけなのに、それにお金が必要だというのは違和感があります。それが10万円、20万円という高額なものだとすれば、なおさらです。
さらにお金をかけるからには「そのための覚悟はあるのか」「パラリンピックを目指せ」という雰囲気になってしまうことも多々あります。でも、そうじゃないと思うんです。
走ってみて楽しかったから、もっと走りたい!と競技者としての道を進む、野球をやってみて楽しかったから、もっと上手くなりたい!と思ってチームに入る、そうあるべきだと思います。障がいを持つ人々にとっては、その前提として結構な費用がかかったり、そのすぐ後に覚悟を求められたりすることがあるのが現実です。これを解決するために、スポーツを当たり前に楽しむ機会をもっと多くの人に提供できたらいいなと思ったのが団体を立ち上げたきっかけでした。
ーそしてCAF(キャフ)を設立されたんですね。
木村 そうですね。2020年に開催予定だった東京五輪が日本のスポーツ文化を変えるターニングポイントになり得ると感じていたので、その前の2019年にCAFを設立しました。
ただ、順調なスタートと言うわけにはいきませんでしたね。2020年はコロナの影響でイベントが中止になったり、予定していた計画が実現できなかったり…。でも、その期間に事業を見つめ直し本質的な課題と向き合うことができました。今、振り返ってみると事業的には良かったのかもしれません。設立からは4年が経ちますが、実質的には今年から本格的に事業が動き始めました。
ー具体的に、どのような取り組みをされてきましたか?
木村 当初は夢を持つ人々を支援するための助成金を提供したいと考えていました。アメリカに「Challenged Athlete Foundation」という障がいを持つ人々がスポーツをするための支援を行っている団体があります。世界各地の障がいを持つ方々から叶えたい夢を募り、それに対して支援金を提供することで、彼らが夢にチャレンジできるように支援しています。
その取り組みに感銘を受け、日本でも同様の取り組みを実現したいと考えていました。ところが、いざ夢を募集しようとなったら、これがなかなかないんです。スポーツに親しむ習慣がない人も多く、スポーツで何かを達成するという夢が生まれにくいのかもしれません。
そこで、今取り組んでいるのは運動習慣のプロジェクトです。運動を必要なものだと考えている人が少ないことに気づき、まず運動習慣を身につけ、運動の良さを知ってもらうための取り組みを進めています。
例えば、就労支援施設やデイサービスなどで、障がいを持つ方々が余暇活動として運動を取り入れる機会を提供しています。就労支援施設にいてもなかなか就労に結びつかない理由の一つに、体力の不足が挙げられます。そのため、運動を通じて体力をつけ、毎日少しの時間を運動に充てることで体力や自信を育むサポートをしています。
今後は高齢者施設や養護施設にも運動プログラムを広げて、障がいを持つ方も高齢者も、一般の子どもたちも、全ての人が健康的で楽しい日々を過ごせるような場所を作りたいと考えています。
前橋トライアスロンフェスタで見せた新しいステージ
ー素晴らしいです、本当に。運動習慣をつけた先に、目指したいと考えているものはあるのでしょうか?
木村 誰にとっても目標を作ることは大切です。そのために現在「日本一やさしいトライアスロン」を掲げている前橋トライアスロンフェスタと提携して「誰でも参加できる」部門を設けています。
これは私たちが部門の監修・コンサルティングでご協力させていただいている取組みで、日本国内では初の試みです。どれほど重度の障害を持っている方でも、寝たきりの方でも、基礎疾患がある方でもどなたでも参加したい意思がある方については歓迎するスポーツ大会なんです。さらに、一般の方々と一緒に参加できるという点が特徴です。通常、障がいを持つ方のためのイベントは、その重さゆえに専用のものが多いのですが、この大会は誰でも大歓迎です。
ただ、トライアスロンは未経験の人が一般の方でも大会に参加するのは難しいですよね。そのため、その前段階として「トライチャレンジプロジェクト」も前橋トライアスロンフェスタ事務局と共同で運営しています。このプロジェクトでは、大会に挑戦する前に、トライアスロンの種目を体験する機会を提供しています。障がいの有無に関わらず、誰もが気軽に参加できるこの取り組みによって、スポーツの楽しさや挑戦の喜びを実感していただけると嬉しいですね。
ー昨年、前橋でトライアスロンフェスタを開催されましたね。
木村 はい、アンジェルマン症候群を持つ中学生の女の子も実際に参加してくれました。日本では、大会に参加する際には1人でやり切るという考え方が一般的ですが、この大会では違います。
パラ部門やビギナーチャレンジ部門などでは、誰かに助けを借りながら参加することもできます。例えば、親御さんと一緒に走ってゴールすることでも、その子のゴールとして認められるんです。大会に参加するための障壁が取り払って、みんなが参加しやすい環境を整えているので、もっともっと多くの方に取り組みを知っていただいて、参加してくださる方が増えたらいいなと思っています。
「行動するからこそ、応援してもらえる」- 平田竹男先生の教えが転機に
ー早稲田大学院ではこの国のスポーツビジネスの第一人者である平田竹男先生のゼミで学ばれました。その後のキャリアにおいて、どのような影響を受けたかお聞かせいただけますか。
木村 大学院でそれまで様々な分野で活躍されてきた方々と同じ環境で学べたことは本当に大きな刺激となりました。待っているだけでなく、自分から能動的に行動しなければと思えるようになったのも、大学院での学びと出会った仲間のおかげだと思っています。
私自身、大学院には31、32歳頃の時に入学したので、一般的には遅い部類に入るかと思っていたのですが、私よりずっと年上の、各分野の著名人が向上心を持ち続け恐れずに前進し続けているんです。そういった姿を見ると、まだまだ自分は努力しないといけないと思わせられましたし、人生は絶え間ない学びの過程なんだと再認識させられました。
ー特に印象に残っている教えはありますか?
木村 平田先生からの言葉で「君が動いてくれないと応援できない」という一言です。よく、日本をもっと良くするためにはこれが必要だ、あれが必要だと意見を言う人々が多いじゃないですか。実際、私もその一人でした。でも、平田先生に「それはわかった、いいから動いてくれ」と言われたんです。「そうしないと、私たちは応援することができない。とにかく行動してみろ」と。
確かに、自分が何も行動しないで評論家のようになっていても、誰も共感してついてくるわけではありません。CAFも同じですが、能動的に行動しているからこそ応援してくださる皆さんとも出会えました。もし、私が以前のように評論家のままだったら、ただ飲みながら文句を言っているだけのつまらない人間になっていたかもしれません。
ー行動される中で、苦労や壁にぶつかることも多いと思います。以前「迷惑をかけてでも、やりたいことや目標に挑戦すべき」だと仰っていましたが、そう思えるのはなぜでしょうか?
木村 これまでのスポーツにおいても現在の団体の立ち上げにおいても、自分一人だけで成し遂げたわけではありません。多くの人々に助けられ、支えられ、応援され、そして貴重なお金や時間を提供していただき、こうして長くスポーツを続けることができていると感じています。
迷惑という言葉が適切か分かりませんが、もし自分が十分な結果を出せなかったら、申し訳なく思うことはあるかもしれません。でも、助けを求めることは恥ずべきことではないと思うんです。
自立という言葉は、日本では何でも1人で成し遂げることだと捉えられがちですが、欧米では助けを求めることこそが自立であるとも言われています。私は、この考え方は素敵だなと思います。もちろん、人それぞれの考え方があるとは思いますが、助けを求め、受け入れられることは強さを示す一つの方法だと感じています。迷惑をかけるからと躊躇してしまうと、何もできなくなってしまいます。少しぐらい誰かの助けを借りても、それに対して自分なりの価値を生み出せたらそれでいいと思うんです。
バリアフリーの場所から、バリアフリーのマインドへ
ー最後に、国際的な環境と比較して、日本での障がい者に対する態度や環境について、木村選手のご意見はいかがでしょうか?今後、どのような変革が必要だと感じていますか?
木村 日本と海外における大きな違いは、個人単位での見方がどれだけ浸透しているかだと思います。日本では区別やカテゴリ分けが好まれることが多く、障がい者は障がい者、女性は女性、といったセグメントに分けられがちです。
最近では、女性に可愛いと言ったらセクハラになる、などとメディアで報道されているのも見かけます。でも、可愛いと言われて嬉しく思う人もいれば、それを嫌がる人もいると思います。人それぞれなんです。障がい者も同じで、助けが欲しい人もいる一方で、そうではない人もいるため、一括りにして障がい者と決めつけることは違うのではないかと思っています。
バリアフリーの施設や場所が増えることはもちろん大切な要素ですが、私は、それ以上にバリアフリーのマインドが重要だと思います。実際、バリアフリーの面において、日本は遅れているわけではないんです。道路は舗装され、地方の駅にもエレベーターが設置されていることも増えてきました。海外を見てみると、私たちが当たり前に感じるようなものが、まだ整っていない場所も多いですが、互いに協力し合いながら生活できているんです。たとえ階段が多くても、みんなで運んであげれば移動できます。気軽に声をかけて助け合う姿勢が、自然な光景として存在しているんですよね。
できないことにとらわれるのではなく、どうすればできるかを考えていきたいですね。これまでの競技面や現在の団体の立ち上げでも、できないことではなく、常にできることを探してきました。以前は否定的に考えていたことでも、実際にやってみると意外と良かったということはたくさんあります。過去の成功や現在の状況に固執せず、常に新しい可能性を見つけることで自分自身も成長していきたいですね。
インタビューを終えて
記事中で登場する早稲田大学院の平田竹男ゼミは、読売ジャイアンツファーム総監督である桑田真澄氏や青山学院大陸上部監督の原晋氏など日本のスポーツ界に錚々たる人材を輩出し続けていることでも有名だ。木村選手とは筆者も一年間ともに学ばせていただいたが、だからこそ人柄をよく知る一方で、東京パラ五輪の際のトレーニングや調整の難しさを当時から何度も聞いていた。
それらを乗り越えて、自ら考えて行動し、多くの仲間や賛同者を得て来年のパリパラ五輪へ挑戦しようとしている。Beyond the Border ー 果たして限界を超えた世界は、どのような風景が見えるのだろうか? 今後も木村選手に注目していく。
木村 潤平氏_プロフィール
先天性の下肢不全により、5歳頃から松葉杖を使用。
小学1年生から水泳を始め、高校3年生にIPCパラ競泳世界選手権大会出場。
パラ競泳とパラトライアスロンを合わせて、5大会連続パラリンピック出場。
2020東京パラリンピック日本代表、現在も現役強化指定選手として、国内外のレースに出場。
また、パラリンピアンとして競技活動を継続している傍らで、
一般社団法人 Challenge Active Foundationを設立し、全国各地へ向けて
誰もがチャレンジできる社会を目指し、スポーツ振興にも尽力している。
インタビュー/執筆
上野 直彦
取材・構成協力
小栗 ほの花
(了)