ノルウェーで歓迎されない野生オオカミ 殺処分で国民や政治家が喧嘩中
ノルウェーでは、昨年9月、68頭しかいない野生オオカミの7割、47頭を射殺することが国会で許可された。
前回の記事でも触れたが、ノルウェーでは、野生オオカミは、保護よりも殺処分する方向で、世論や国会(右翼・左翼問わず)が広く同意している。
環境保全団体WWFノルウェーのベンテ・バッケン氏によると、欧州29か国には現在約1万2千頭のオオカミがおり、そのうち23か国では約200頭が生存。
しかし、他国からどう批判されても、ヒツジ農家や、野生オオカミの生息地近隣に住むノルウェーの地方の人々にとっては、68頭という数は、多すぎて危険とされる。
環境団体などの批判は届かずに、殺処分はその後開始される(射殺されたオオカミの様子はVGの記事などで掲載中)。
しかし、その後、ヘルゲセン気候・環境大臣がクリスマス直前に下した決断が、ノルウェー国民に大きなショックを与えることに。
環境大臣が突然「射殺数を減らす」と発言、国民が仰天
一部のゾーンに生息する32頭の野生オオカミの殺処分決定を、環境大臣が却下したのだ。
理由は、野生オオカミがほかの動物の生態系への脅威であるという十分な証拠データが揃わず、法律に違反するため。結果、殺処分の対象は47頭から15頭に。
これは、大きな爆弾となって国会に落とされた。
そもそも、国会の大多数の政党が殺処分に賛成だったため、国会の大多数(=国民の鏡であり、国民の代表)の意見が無視されたことになる。
この日からの、ノルウェー国内からの環境大臣と首相に対するブーイングの嵐はすさまじいものだった。
現地の新聞などでは、連日報道され、環境大臣に幻滅したという全国の市長や農家たちからの声が伝えられる。各政党からも批判の嵐で、国内に大きな亀裂を走らせたことで、首相や環境大臣のリーダーとしての手腕も問われることとなった。
ここで、ひとつ強調しておきたいことは、環境大臣や首相が所属する保守党も、オオカミ殺処分派だということだ。しかし、政府という立場上、どうしても守らなければいけない法律があり、「残念なことに」必要なデータが揃わないので、許可できないのだ。
結果、野生オオカミの脅威を示すデータを揃えようと、現在はオオカミに電波発信機を付けて追跡するなど、試行錯誤中。
68頭中18頭を処分へ
1月17日は、野生オオカミ殺処分賛成派の政党の大多数の提案により、規則の一部を変更、さらに3頭のオオカミの殺処分許可がおり、狩猟期間が3月末まで延長されることが検討されている(つまり、68頭中18頭が殺処分対象)。3月末までという期間延長は、妊娠中のオオカミが狙われることになる。
驚くほど、歓迎されていないオオカミ
外国人として、この様子を傍観していた筆者からすると、「ここまでノルウェーでは野生オオカミは歓迎されていないのか」、と驚かざるをえない。「法律を別の見方で解釈してほしい」と環境大臣に訴える農家や政治家たち。動物との共存という理想や、これまでの法律を守ることへの意義はそこにはなく、どうしても野生オオカミの数を減らしたいのだ。そのエネルギーには、異様なものを感じてしまう。
それでも7割の殺処分を妨げる環境大臣への反発は強い。保守党内からも批判が起こり、このままでは今年の国政選挙のキャンペーンに協力しないという地域まで現れた。現地報道や世論でも、「本来避けられるべきはずだった国民同士の軋轢を悪化させた」と環境大臣への統率力に疑問の声があがる。
国会前のデモでは、オオカミ反対派の代表が2500人、全国から集結
1月30日、国会前では、首相と環境大臣に野生オオカミ殺処分を訴える大規模なデモが開催された。このデモの規模がすごかった。
ノルウェーでは、デモというのは国民の一般的な政治参加の方法で、毎週、国会前ではなんらかのデモが行われている。とはいえ、左派勢力や環境団体などが好む活動であり、オオカミ反対派は、これまでは報道陣の前では沈黙していることが多かった。
その反対派が、とうとう腰をあげ、バスを貸し切り、全国から2500人が集合したのだ。今まで何度もデモは取材したが、これは通常のものとは明らかに違っており、国民の怒りレベルが最高点に達していることが明白だった。
年配の男性が圧倒的に多く、多くが地方出身者。移民や外国人の姿はあまりなく、杖をつきながら、デモ行進に参加する年配の男女も多くいた。
「もう十分!我慢の限界!環境大臣は辞任せよ」
農家の見方とされる中央党の党首(国会議員)、各政党の国会・地方議員、農家の人々や地方に住む住民が集まり、国会に向かって非難の声をあげた。
都会のやつらが、地方の生活を決めるな
そこで目立っていた主張は、「地方の暮らしの質を、これ以上下げないでほしい」、「野生オオカミにイエス、大都市でなら」というもの。首都、大都市に住んで、野生オオカミと接触する機会のないエリートたちが、田舎の住民の暮らしを好き勝手に決めるなという、苛立ちの現れだった。
前回の記事にも書いたように、野生オオカミの議論は、「大都市と地方」という対立構造を生んでいる象徴のひとつだ。
イスラム教徒の顔や体を覆う衣服の禁止などと同様に、オオカミ議論は、人々をあまりにも感情的にさせ、冷静な議論を難しくさせる。よって、国民に丸投げするよりも、国会が義務的なルールを作ったほうが、国民同士の対立を避けられるとされる傾向がある。だからこそ、方針を180度急展開させ、新たな議論の火種を作ってしまった環境大臣への批判が強いのだ。
これまで、オオカミ議論における、テレビでの討論やデモを見てきたが、確かに、驚くほど誰もが感情的になっている。議論を超えて、口論になりやすいテーマなのだ。同時に、首都で、国会の議席に座っている政治家が、遠く離れた地方の人々の主張を軽んじた時、どれだけ大きな問題に発展するかがにじみでている。
現在も、オオカミ議論はノルウェーで続いている。しかし、この様子では、何らかの形で法律の解釈を変え、残りのオオカミの射殺に踏み切るのではないだろうか、という予感がしてしまう。それほど、この国での野生オオカミに対する葛藤は大きいのだ。
Text: Asaki Abumi