その校則、ちゃんと説明できますか? ― なぜ、理不尽な校則は変わらないのか
理不尽な校則に6万人のNO!
スカート丈から下着の色の指定、髪の毛を染めさせることまで、なぜ、学校にはわけの分からない校則があるのか、なぜ直そうとしないのか。
子どもたちに苦痛を与える理不尽な校則をなくしてほしい、そんな願いから6万人もの署名が集まり、8月23日に文科省に提出された。
報道記事によると、署名とともに文科大臣に提出された要望書では、次のことを述べている。
当事者や署名に賛同した方の気持ちは大事にしたいが、本来は、校則は、国が出しゃばる話ではない。
各学校の判断(校長の裁量、権限)で修正していくことも、やめることもできるものだ。置き勉などもそうだが、なんでも文科省の判断や通知に頼らないといけないのでは、「なんのために校長がいるのだ?」という話にもなるのではないか?
「○○ということは校則で定めなければならない」なんて言う法律はどこにもないし、学習指導要領にもない。校則には法的拘束力はないし、本来はその程度のものなのだ。
参考記事として、先日、憲法学者の木村草太先生に聞いたことをまとめた
毛染め強要あるいは禁止から考える、校則はなんのため?【もっと学校をゆるやかにしよう】
校則をなくした中学校が報道などで注目を集めたりするが、それも、オカシナ話だ。小学校の多くには変な校則はないし(制服・標準服もないところが多い)、中学校だからといって、校則があることを前提にしているほうがヘンだ。
また、下着チェックなどのセクハラは言うまでもないが、外国にゆかりのある子の増加や発達障がい、LGBTをはじめとして、児童生徒の状況は多様化しているのに、画一的なルールを強要しようとするのは、弊害も大きい。人権を大事にしよう、とか生徒には言っておきながら、教育が必要なのは教員側のほうではないか、と思ってしまう。
だが、現実には、理不尽な校則が幅をきかせている学校が少なくない。「ここに自浄作用はないのだろうか」と思える学校もある。だから、これほど署名活動にまでなるのだろうし、文科省にお願いせざるを得ない状況になっているのだろう。
変な校則は、なぜ生き残っているのか。学校がなかなか変わらない理由をいくつか考えてみた。
理由1:「校則をゆるめると、生徒指導上、面倒になる」と考えているから。教員にとっては「これは校則だ、ルールだ」として押しつけていたほうが、ラクだから。
「なんで茶髪だとアカンのですか?」、「どうしてピアスはいけないんですか?」、「お化粧はダメですか?」などなど、言っていくとキリがないことは多い。学校、教員としては、「ルールで決まっている。ルールを守れないヤツは社会人としてもやっていけないぞ」などと言っておいたほうが、話が早いのだ。
だが、この理屈はかなり苦しい、と思う。ルールと言うなら、守らないといけないのは、校則よりも法律だ。日本は法治国家なのだし。法律で未成年は黒髪でなけれならない、とか規定されていないのだし、法律で決まっていること以外は、学校も、もう少し自由でいいのではないか。私立学校のように、入学を選択するときに、その校則があることを理解、承知のうえで入る場合ならまだしも、公立中などでは学校を選べない場合も多い。なのに、「これは学校で決まっていることだから」という理由で押しつけるのは、かなり乱暴だと思う。
それに、生徒指導上大変になるとはよく言われるけれど、本当にそうなら、全国各地の小学校はもっと荒れているはずだ。
だいたい、中学校や高校で生徒指導が大変になるのは、別の背景がある。もちろんケースバイケースだけれど、ひとつは授業が難しくなって、分からなくなることの影響も大きい。日中の大部分を占める授業がつまらないので、反抗したくなる子も出てくる。もちろん、これに家庭環境や友達関係でのストレス、あるいは何かのことがきっかけで膨らんだ教員への不信感などが加わってくることもある。
校則を厳しくすることや、校則に(or 校則で)従わせようとすることは、こういう生徒指導上のしんどい子の背景、要因とはミートしない対策だし、前述のとおり、むしろ生徒の多様化を踏まえると、マイナス影響(校則による指導がイヤで不登校になるなど)のほうが大きいかもしれない。
「頭髪指導とか、スカート丈のチェックをやるヒマがあるなら、授業改善か生徒の本音を聞き出そうとすることに時間とエネルギーを使え!」そう、ぼくは申し上げたい。
理由2:茶髪等では就職活動や入試の面接のときに不利になるなど、校則を正当化する理由を疑っていないから。
これもよく聞く話なのだが、少なくとも2点ツッコミどころがある。
第1に、仮にそうだとしても、それで不利になる(可能性がある)ことは生徒に知らせたうえで、決めるのは本人でもよいはずで、一律に全員に対して規制する理由にはならない。
第2に、「髪の毛の色などで判断されるくらいの就職先なら、わたしは行きたくありません」という子がいてもいい。IT業界をはじめとして、企業側もそうとうゆるやかになっているところも多い。こういう意見に、教員側はきちんと向き合えるだろうか?
また、校則を維持する別の理由としては、「学校は勉強するところであり、ファッションを見せる場ではない」というのがある。それはそうだろうし、たとえば香水がキツくて周りに迷惑がかかるような場合などでは規制してもよいと思うが、特段、学習環境に支障をきたすものでないかぎり、規制する合理的な理由はない。髪の毛の色がなんであっても、勉強も運動もできる。
仮に「学校は勉強する場であり、ファッションはするな」という理由が通るなら、教員側も化粧なし、毛染めなしにするのだろうか?
理由3:変えると、保護者等の一部から反対があり、面倒だから。
髪の毛の色、化粧などを自由にすると、保護者や地域からクレームが来る。この対応は、正直毎日が忙しい学校にとっては、大きな負担になるだろう。一番目の理由とも重なるが、校則で規制しておいたほうがラクなのだ。
だが、この理由もオカシイ。校則を見直す理由をきちんと説明すれば、それほど大きなクレームにはならない可能性もあるのだが、そういう説明や対話をはっしょっている。
また、面倒だ、負担になるからといって、理不尽な校則や必要性の低い校則を維持、強要する理由にはならない。当たり前の話だ。
上記3点の理由以外もあるだろうが、その校則はなんのためにあるのか、十分に合理的な理由はあるだろうか、理由はあっても別の規制方法もあるのではないか、なども考えてほしい。子どもたちに主体性や思考力が大事だなどと言っておきながら、学校があまりにも前例踏襲で、先生たちに主体性も思考力もないようでは、困る。