もし久保建英がバルサに戻っていたら…。ラ・マシア組の特殊さ
目くるめくバルサの攻撃
リーガエスパニョーラ第34節、ビジャレアル対FCバルセロナで、バルサは“らしさ”を見せる攻撃を見せた。真骨頂と言えるのは、幻の4点目だろう。VAR判定によって、オフサイドで取り消されたが、コンビネーションを使って防御線を突破し、見事にゴールネットを揺らした。
中盤のセルヒオ・ブスケッツのパスを受けた20歳のリキ・プッチがドリブルでゴール前に持ち込み、ファーサイドからボックス内に入ったリオネル・メッシに通す。その攻撃は一度、途切れた。しかし取り返すと、セルジ・ロベルト、ブスケッツとボールを回し、ブスケッツは左サイドのジョルディ・アルバに送ると見せかけ、プッチに縦パス。プッチはこれをフリックパスでメッシへ。ゴールに背を向けていたメッシは一度、アルトゥーロ・ビダルに戻し、ビダルは右サイドを駆けるセルジ・ロベルトにスルーパス。完全にラインを破り、中央で待つメッシが折り返しを左足で決めた。
その攻撃は電光石火で、守りを無力化していた。人に預け、受ける。その繰り返しの質が、際立って高く、オートマチックだった。ビダル以外は、全員が下部組織ラ・マシア出身。同じスタイル、テンポを体の隅まで仕込んできた選手たちだ。
オートマチズムこそが、バルサの強さと言える。
つまり、ラ・マシアに土台はあるのだ。
バルサ=ラ・マシア
ラ・マシアは独自のコンセプトで選手が育まれる。徹底的なボールゲーム。速く動かし、スペースを支配し、ゴールに迫る。宿敵、レアル・マドリードの下部組織は、どんな戦いでも順応できる逞しさ、雄々しさが叩き込まれるが、ラ・マシアはバルサの選手になるため、技術とコンビネーションを高める。専門的で特殊。そのため、他のチームでは苦労する場合が多い。
一方で、有力な選手もバルサでは苦労する。プレースタイルに適応するのは簡単ではない。ここ数年、獲得しては手放して、という失敗を繰り返している。例えば、220億円もの大金を叩いて獲得したフェリペ・コウチーニョは、まるでチームにフィットしなかった。今や、売ることも戻すこともできず、“負債”も同然だ。
「バルサは、ラ・マシアだ」
”始祖“ヨハン・クライフが言ったように、原点に立ち返るべきだ。
久保を取り戻せなかった失策
現在のバルサは所属選手を売り払い、有力選手を買い求め、ひたすら力を消耗させている。カルレス・ペレス、アレハンドロ・マルケスというラ・マシア組を売却し、凡庸の域を出ないマーティン・ブライトワイトに23億円を投じるなど本末転倒。先日も、23歳MFのアルトゥールと30歳MFミラレム・ピャニッチの交換トレードで数億円を稼いだが、場当たり的と言える。その戦略プランは明らかに迷走している。
「バルサはメッシ時代が終わりつつあり、未来の展望は見えない」
それは噂ではなく、現実の恐怖だろう。
たら・れば、はプロの世界では禁句である。しかし、バルサがラ・マシアの力を信じることができていたら――。次の時代の息吹を感じられていたはずだ。
ラ・マシアで幼少期を過ごした久保建英を取り戻せなかったのは、重大な失策と言える。
久保バルサの幻
久保はバルサのオートマチズムを知り尽くしている。バルサの権化に近い。おそらく、即戦力になっていただろう。
久保が右サイドで、メッシが0トップ、アンス・ファティが左サイド。3人は“共通語”を操り、阿吽の呼吸がある。目くるめく攻撃を繰り出すことができたはずだが…。
今や、久保はどのチームでも戦えるまでプレーをアップデートさせている。マジョルカでは、リーダーの存在感。ラ・マシア組が他のチームで苦労することを考えれば、突然変異のような無双ぶりだ。
その点、久保は特別な選手と言えるだろう。さらに経験を重ねることで、所有権を持つマドリードでポジションを取れる可能性も十分にある。彼はバルサの選手でありながら、マドリードの選手特有の雄々しさ、逞しさも感じさせる。
しかし、惜しまれるのだ。
久保だけでなく、ダニ・オルモ(ライプツィヒ)、マルク・ククレジャ(ヘタフェ)…ラ・マシアの有望な選手たちが、メッシ、ブスケッツ、ジェラール・ピケとプレーを重ねて成長していたら――。バルサは新たな時代を迎えていた。それは幻だが、幻であるがゆえに、浪漫を感じさせるのだ。