「軽井沢バス事故の原因」についての再考察(上)~「加速⇒フットブレーキ」は当然の行動ではないのか
2016年1月、長野県軽井沢町で、スキー客の大学生らを乗せた大型バスが下り坂でカーブを曲がりきれず崖下に転落。乗員2人を含む15人が死亡、26人が重軽傷を負う事故が発生した。
長野地検は、事故から5年後の2021年1月に、バスの運行会社「イーエスピー」の社長と、運行管理者だった元社員の2人を業務上過失致死傷罪で在宅起訴し、長野地裁で公判審理が続いている。
検察側は、「大型バスの運転に不慣れで山道の走行経験も十分でない運転手が、速度超過でカーブを曲がりきれなかった」と事故原因をとらえ、それを前提に、運行管理者について、「死亡したバス運転手が大型バスの運転を4年半以上していないことを知りつつ雇用し、その後も適切な訓練を怠った過失」、社長については、「運転手の技量を把握しなかった過失」が事故につながったと主張している。それに対して、被告・弁護側は、「死亡した運転手が技量不足だとは認識しておらず、事故を起こすような運転を予想できなかった」と無罪を主張している。
6月2日の公判では、死亡した運転手のT氏を運行会社に紹介した同僚のO氏が出廷し、証人尋問が行われた。
事故原因とされた「運転手の技量の未熟さ」について直接知り得る立場にあるO氏は、事故直後から、事故に関する発信を続けてきた。検察庁でも、多数回、取調べを受け供述調書もとられたようだが、検察官は、供述調書の証拠請求も、証人尋問請求も行っていない。今回、証人尋問を請求したのは弁護側だった。事件について重要人物が、ネットで供述を公開し、その後に証人尋問が行われるというのは、異例のことだ。その「異例の証人尋問」を直接見極めるため、長野地裁に赴き公判を傍聴した。
O氏は、弁護側からの質問に答えて、事故直前に、T氏が運転する大型バスに同乗した際の経験に基づいて「T運転手の運転技術が未熟ではなかったこと」を証言した。
検察官は、事故直後のブログの記載との矛盾などを指摘し、供述の信用性を争おうとしていたが、あまり効果を上げたようには思えなかった。むしろ、O氏のブログのことを公判廷に持ち出したことが今後の公判の展開に影響するように思えた。
公判は、次回以降、被告人質問、論告・弁論が行われ、最終盤を迎える。
警察は事故後1年半で在宅送致、事故から5年後にようやく起訴に至った。警察の事故原因では、「運転手はなぜフットブレーキを踏まなかったのか」という疑問があり、それについて「予見可能性」の立証が難しいことが検察の捜査長期化、処分遅延の理由だろう。
判決では、事故原因自体についての検察の主張を前提に、「予見可能性」の有無の判断だけで結論が決まる可能性が高い。有罪無罪いずれであっても、事故原因自体について裁判所が警察・検察の認定と異なった判断を示す可能性は低い。
事故発生以来の事故原因究明の経過を、報道で振り返り、問題点を指摘してみることとしたい。
事故発生以降の報道に見る事故原因の特定の経過
この事故による死者は15人、そのうち、乗客が13名、乗員が2名である。
警察の過失運転致死傷の送致事実のとおり、運転手の過失によって事故が発生し、乗客が死亡したのであれば、運転手が加害者、乗客が被害者ということになる。
しかし、もし、車両の故障や整備不良による事故で、運転手には事故が回避できなかったのだとすれば、運転手も含め、事故車両に乗車していた人間は、全員「被害者」となる。
2016年1月15日未明の事故発生直後の報道からすると、事故発生直後の警察捜査は、運転手が加害者か被害者か、いずれの可能性もあり得るとの想定で行われていたと思われる。
地元紙信濃毎日新聞の1.16夕刊では、
同紙1.18朝刊では、
同紙1.19朝刊では、
とされている。
少なくとも、この時点までは、事故原因として、体調不良などの運転手の側の問題と、車両の故障、整備不良などの車体の不具合の問題の両方が想定されていたことが窺われる。
ところが、事故車両のバスは、17日、軽井沢署から上田市にある自動車メーカーの工場に移送され、19日午前から検証が開始された。この「自動車メーカーの工場」というのが、「三菱ふそうトラック・バス 甲信ふそう上田支店」であり、本件事故車両のメーカーである三菱ふそうトラック・バス(以下、「三菱ふそう」)の整備工場である。
この検証開始の翌日の1.20朝刊では、
と、「運転技術の問題」が、にわかにクローズアップされる。
同日の記事では、
とも書かれており、この時点での「運転技術の問題」は、フットブレーキを多用したことによって「フェード現象」が起き、ブレーキが利かなくなったことが想定されていたものと思われる。
ところが、21日には、「軽井沢署の捜査本部による事故車両の検証の結果、バスのギアがニュートラルになっていた可能性がある」、同22日には、「一方でフットブレーキには目立つ異常がなかった。捜査本部は、バスは何らかの異常により下り坂で速度を制御できなくなり、事故現場の左カーブを曲がりきれずに転落した可能性があるとみて調べている。」と報じられ、この頃から、「運転手のミスで、ギアがニュートラルのまま速度が制御できない状況となり、事故に至った」というストーリーが、徐々に固まっていく。
28日の同紙朝刊では、
としている。
「捜査本部は車両の不具合の可能性も視野に入れ、慎重に調べている。」とも書かれているが、実際に、この時点で、「車両の不具合」について、何か具体的に調べていたという話は全くない。この頃以降の報道では、「運転手の操作ミスによってニュートラルで走行した」ということが強調されていく。
そして、それ以前から報じられていた、「死亡したT運転手が『大型バスは慣れておらず、苦手だ』と言っていた」という話と関連づけられ、「運転未熟のために操作を誤り、ニュートラルで走行したために、速度が制御できない状況となり、事故に至った」というストーリーを前提に、刑事事件についての警察の捜査と、事業用自動車事故調査委員会(以下、「事故調査委員会」)の調査が行われていった。
警察の書類送検、検察の捜査・処分、事故調査委員会報告書公表
そして、長野県警は、翌2017年6月27日、死亡したT運転手を自動車運転処罰法違反(過失致死傷)容疑で、運行会社「イーエスピー」の社長と運行管理者だった元社員を業務上過失致死傷容疑で、長野地検に書類送検した。送致事実は、T運転手(被疑者死亡)については、
「運転技術に習熟していなかったため操作を誤り、時速96キロで道路右のガードレールに右前部から衝突し、ガードレールをなぎ倒して約5メートル下の崖下にバスを転落させた過失」
社長と運行管理者については、
「大型バスの運転に不慣れなT運転手に運行管理上実施すべき教育などの指導監督を怠った過失」
だった。
その2日後の6月29日に公表された事故調査委員会の報告書も、警察の送致事実と平仄を合わせたものだった。事故原因については、以下のように記載されている。
同運転者は、事故の 16 日前に採用されたばかりであったが、事業者は、同運転者に健康診断及び適性診断を受診させていなかった。また、大型バスの運転について、同運転者は少なくとも5年程度のブランクがあり、大型バスでの山岳路走行等について運転経験及び運転技能が十分でなかった可能性が考えられる。このような同運転者に事業者が十分な指導・教育や運転技能の確認をすることなく運行を任せたことが事故につながった原因であると考えられる。
そして、警察の書類送検の後、長野地検の捜査は長期化し、刑事処分が行われたのは、送致から3年半後の2021年1月だった。結局、T運転手を「被疑者死亡」で不起訴にしたほか、社長と運行管理者については、送致事実とほぼ同様の過失で、業務上過失致死傷罪に当たるとして起訴されたものだった。
「運転手のミス」と「車両の不具合」の関係
事故に関して、客観的事実として間違いなく言えることは、以下の2点である。
第1に、T運転手は、体調面の問題はなく、意識喪失、自殺、いずれの可能性もない。事故車両が道路から転落する直前まで、事故回避のための措置をとり続けていた。
第2に、事故車両が事故直前の下り坂を走行する際に、ギアはニュートラルであり、エンジンブレーキが利かない状況だった。しかし、エンジンブレーキが利かなくても、フットブレーキが正常に機能すれば、安全に停止できた。
ということは、直接の事故原因は、次の二つに集約できる。
(1)T運転手が、フットブレーキを踏めば安全に停止できるのに、何らかの事情で、フットブレーキを踏まずに下り坂を走行した。
(2)T運転手は、フットブレーキを踏んで減速しようとしたが、何らかの原因によるブレーキの不具合により、ブレーキが利かず、減速できなかった。
(1)であれば、運転手は、自らも死亡しているが、「加害者」の立場、(2)であれば、乗客やもう一人の乗員とともに「被害者」の立場となる。
そのいずれであったのかで、警察の捜査の方向性は全く異なってくる。
事故原因究明のための警察捜査は、(1)(2)のそれぞれについて、原因となるあらゆる要素を想定し客観的な立場で、その可能性、蓋然性の有無を検討していくことが必要となるはずだ。
長野県警の捜査は、事故直後は、(1)(2)のそれぞれを想定して行われていたと思われるが、1月17日に、事故車両のメーカーである三菱ふそうの整備工場に事故車両が持ち込まれて検証が開始されて以降は、(1)の方向に集中していく。そして、「運転未熟のために操作を誤り、ニュートラルで走行したために、速度が制御できない状況となり、事故に至った」というストーリーに収れんしていく。
一方で、(2)については、具体的にどのような捜査が行われたのかも明らかにされていない。
そもそも、(2)の方向の事故原因の可能性について検討するのであれば、事故原因如何では重大な責任を負う可能性のある事故車両のメーカーの整備工場に事故車両を持ち込むこと自体に重大な問題がある。本来、事故車両と無関係な整備工場に運び込んで、第三者的な立場の専門家による検証を行うべきであった。三菱ふそうの整備工場で事故車両を検証することにした時点で、(2)の方向での事故原因は、事実上棚上げしたように思える。
事故原因から(2)を排除することになると、 (1)しか残らないことになるが、この警察ストーリーに対しては、当初から疑問視する見方があった。
「鑑定士のブログ」での指摘
事故直後から、「鑑定士のブログ」と題する個人ブログで、事故に関する発信を続けてきたO氏は、事故当時、運行会社のイーエスピーに勤務していた大型バス運転手であり、事故で死亡したT運転手を同社に紹介した人物であり、T運転手の運転技術のレベルを最もよく知る人物だ。
1月24日のブログでは、以下のように述べて、T運転手の運転ミスが事故原因だとする警察の見方に疑問を呈している。O氏が、事故原因が運転技量の問題とされたことについて、亡くなったT運転手に代わって、反論を述べているように思える。
まず、T運転手の運転技量について、
と述べている。
この点に関連して、事故現場に至るまでのルートについて、以下のように指摘している。
つまり、O氏は、事故に至るまでにT運転手が運転したと考えられる同様の下り坂の個所を、具体的に挙げ、T運転手の運転技術が未熟であったために下り坂の運転操作を誤ったとすると、事故に至るまで、同様の下り坂を問題なく安定走行していたことの説明がつかないと指摘しているのである。
そして、O氏のみならず、誰しも思う当然の指摘をしている。
「全ての運転者は危険を感じてブレーキ(制動)を踏むはずだ。」というのは、あまりにも当然であり、「運転未熟のために、ギアをニュートラルにしたまま、加速しているのにフットブレーキを踏むこともなく、漫然と下り坂を下っていった」という警察のストーリーは、運転者の行動としてあり得ないという指摘だ。
O氏は、T運転手の運転技能に関する極めて重要な関係者である。それに加え、大型バス運転手としても、本件事故現場を含む道路での豊富な運転経験がある。
T運転手の運転技量の程度については、T運転手がイーエスピーに採用された後に、大型バスの運転技量を確かめるために試乗したのは、O氏とM氏の2人である。O氏が、「乗客を乗せて大型バスを運転するに十分な技量を備えていた」と証言するのに対して、M氏は「運転が未熟だった」と証言している。いずれの証言が信用できるかが問題になるが、O氏は、事故直後から、ブログで、事故の被害者・遺族に対して、謝罪の言葉を繰り返しつつ、一貫して、T運転手の運転技量には問題なかったと述べており、しかも、O氏は、事故の5カ月後の6月に、遺族と直接会って、同様の説明をしている。その理由について「ご遺族の悲しみが少しでも癒えるなら……それがお会いする俺の唯一の理由です。」とブログで述べている。
O氏にとって、T運転手の運転技量が乗客を乗せて大型バスを運転させるのが危険なほど未熟であったのに、敢えて紹介したとすれば、事故について責任の一端があるということになる。検察官は、その責任を回避しようとする動機があると主張するのかもしれない。しかし、O氏は、事故後、イーエスピーを退社しており、責任と言っても、法的責任ではない、むしろ、発言を動機づけているのは、遺族に対する謝罪の気持ちと、亡くなったT運転手の無念を晴らしたいという思いであろう。O氏が、認識に反することをブログで述べたり、法廷で証言したりするとは思えない。
そういう意味では、T運転手の運転技量については、O氏のブログの内容も、公判証言も、信用性が十分に認められると言えよう。
O氏の供述は、警察が事故原因を(1)の方向でとらえて業務上過失致死傷罪を立件する上で、大きな障害になるものだった。
「ブレーキの不具合」の可能性
一方、(2)の「事故発生時のブレーキの不具合」が原因だとすると、事故車両は、事故現場の碓氷峠の下り坂に差し掛かるまでに、同様の下り坂を問題なく走行していたのであるから、少なくとも、その時点まではブレーキに異常がなく、事故現場に差し掛かる下り坂で、突然、ブレーキに異常が生じたことになる。そのようなブレーキの故障が発生する可能性があるのかが問題になる。
この点について、自動車評論家の国沢光宏氏は、事故後早くから、以下のような指摘を行っていた。(当初は、ヤフーニュースに投稿されていたようだが、現在は削除されている。同氏の見解を支持する【群馬合同労組のサイト】に転載されている)。
なお、国沢氏は、【最近のブログ記事】でも、刑事公判の動きに関連して、事故原因について同様の見解を述べている
このような「エアタンク内に水が溜まり、エアブレーキ系の配管が凍結した」というのは、本件事故に至るまでの走行状況とも整合する。碓氷峠の頂上まで長い上り坂の間は、ブレーキは使わず、アクセル操作だけであり、その間に氷点下の気温で配管内の凍結が生じ、下り坂になって急にブレーキが利かなくなった可能性もある。