大河・光る君へで紫式部が旅した大宰府 ブラタモリも平安時代の道や政庁跡を訪ねていた
宿泊経験500泊。関東圏の穴場ずらし旅の愛好家、とらべるじゃーな!です。
大河ドラマ「光る君へ」では、まひろ(紫式部)が大宰府へ旅に出た様子が扱われました。
大宰府政庁は、九州の政治・外交・軍事を担う行政機関。
ドラマのなかでは、赤い柱の建築が印象的で、大陸の人も多く国際色を感じる活気があり、軍事訓練も日常的に行われていました。「西の都」とも呼ばれた大宰府を描いた映像は、貴重なものでした。
ブラタモリも訪ねた太宰府
2019年のブラタモリ新春スペシャルでは、太宰府天満宮を訪ねています。京から左遷された菅原道真の墓所に、919年に創建されたものです。
紫式部が生まれたのが、970~978年頃と推定されていますので、すでに太宰府天満宮の原型は誕生していたことになります。
平安時代にもあった道
その後ブラタモリは、西鉄二日市駅から西へ徒歩5分の場所(筑紫野市二日市中央4丁目3付近)から北へ歩きます。
この道は古代(平安時代中期まで)からあった道で、神社・榎社(えのきしゃ)に至ります。
当時南館と呼ばれ、菅原道真が住んだ場所でしたが、大宰府政庁で政務を執ることも禁じられ、侘(わび)しい謹慎生活を送りました。
榎社を北へ進むと、広大な大宰府政庁跡に至ります。
7世紀後半から12世紀後半にかけて、九州の政治・外交・軍事を担う行政機関として機能。周辺では、広大な8区画×12区画の碁盤の目からなる、計画的なまちづくりが行われていました。
大宰府政庁の北側には四王寺山(しおうじやま)があり、防衛拠点として城が建てられました。
全長1.2キロもの巨大な土塁は、博多湾からの侵攻を防ぐためのもの。タモリさんも見学しています。
外国勢力の襲来を武力で押さえた「刀伊の入寇」は、のちの武士の時代(鎌倉時代)の芽生えともいえ、時代の節目となりました。
詳細なロケ地は、以下に掲載しています。
【ブラタモリ太宰府天満宮編 全ロケ地】もとは原生林? 大宰府政庁跡とその守りも探る#新春sp(とらべるじゃーな!)
5歳で和歌を詠み、学者を経て右大臣(現在なら副総理相当)まで上り詰めた菅原道真は、政争の余波ではるか大宰府に左遷され、京に戻ることはありませんでした。
刀伊の入寇に抗戦した指揮官の1人が藤原隆家でしたが、その兄・藤原伊周(ふじわらのこれちか)も大宰府左遷に遭い、運よく天皇の恩赦で京へ復帰したものの、元の官職には戻れない時期を長く過ごしました。
一方、源氏物語で描写されたように「須磨」は復活の芽が大いにありました。