37歳女性、史上最年少首相になるかも。ノルウェーで求められる「フォルケリ」なリーダーシップとは
筆者は2008年からノルウェーに住んでいるが、その間ずーっと、「労働党の危機」という言葉がニュースの見出しを飾るのを見聞きしてきた。そして、労働党はまた危機にいる。危機じゃなかった頃があるのだろうか。
国政選挙が2025年に迫る中、ヨーナス・ガール・ストーレ首相は「退陣したほうがいい」という声が、自身の労働党党内でまた大きくなっている。
次のリーダー候補として注目されるのは、同党の副党首であるトニエ・ブレンナ労働・ソーシャルインクルージョン大臣だ。実現すれば、1987年生まれの彼女は、37歳にして、史上最年少の首相、3人目の女性首相となる。
この国では「女性首相」はもはや珍しくないので、より注目されているのはその若さだ。10代ではマクドナルドで働き、市民運動と政治に熱心に取り組んできた。
ストーレ首相の前に労働党を率いていたストルテンベルグ元NATO事務総長が首相だった当時は、2012年に24歳にして、史上最年少の首相の政治顧問として働いた経歴もある。
なにより、大学は卒業しないままだったので、高等教育を終えていない首相という、学歴の点でも異例の経歴を持つ。
2011年7月22日の極右思想のノルウェー人男性によるテロ事件では、多くの命が奪われた。ウトヤ島では労働党青年部の夏合宿を狙い、銃乱射事件によって、69名が死亡し、ブレンナ氏はその現場にいて生き延びたひとりだ。ノルウェーは、今テロを経験した「ウトヤ世代」が政界のトップになる時代となった。
また、もし彼女が首相になれば、80年以上ぶりに「国会議員に一度もならずに政府首脳になった人」になる。
なぜ、首相は退陣を迫られているのか
ストーレ首相は政治家としては優秀だ。ただ、気の毒ともいえるが、「エリート過ぎて労働者らしくない」とずっと言われてきた。
「フォルケリらしさ」が欠けている
ストルテンベルグ元首相のカリスマ性や人気に匹敵するものがないと。「労働党らしい」とは、庶民的な労働者であり、庶民の生活のリアルを分かっている人のことだ。ノルウェーでは「フォルケリ」(folkelig)という。
フォルケリらしさがどう欠けているかというと、例えばストーレ首相はオスロの高級住宅街に住み、資産を持ち、高学歴の白人男性という、複数の特権性を持つ。そもそも彼は労働党よりも保守党らしさがあるともいえる。
ストーレ首相が「エリートだ」と言われる最大のポイントは「何を言っているかよくわからない」だ。
政治にあまり詳しくない人などには、彼のスピーチは難解で分かりにくい。ザ・高学歴の人の話し方は、ノルウェーの政治家の頭としては好ましいとはいえない。そういう意味では、常に労働党と首相の座を競う、保守党の現当主でもあるアーナ・ソールバルグ元首相のほうが「お母さんらしい」と親しみやすさをアピールすることに成功してきた。
とはいえ、日本の議員に比べたら、ストーレ首相はフォルケリだと筆者は思う。首相になるまでは、市民と同じようにメトロに乗って、ひとりでぼけーっとしている姿を筆者はよく見かけたものだ。首相候補が人ごみの中にいることは日本ではないだろう。
労働党の環境が激変
ストーレ氏に匹敵する人材がいなかったから党首と首相であり続けてきたわけだが、党内の状況は昨年とは風景が異なる。
ストーレ党首を支持してきた党の幹部たちが力を弱めたり、政界からほぼ足を引いたりしており、防御壁が崩れてきたのだ。以前は「こそこそ話」されていた「ストーレはそろそろ引退したほうがいい」は、もはや大きな声で指摘されるようになった。
党内の問題児が勢力を蓄え中
そして、党は早く新たな優秀なリーダーが欲しい。トロン・ギスケ元副党首は、党内の女性たちにセクハラしてきたことが発覚して、一度は政界を追われたが、先日カムバックを果たし、来年の選挙後に国会議員に返り咲くことがほぼ確実だ。権力の座を狙うギスケ氏に対して党内はギスケ派とアンチで分裂が起きている。
ストーレ氏と反対に、ギスケ氏は「労働者らしさ」を兼ね備えているので、放置すれば一気にまた上に駆け上がるだろう。ギスケ氏が力をつける前に、党を分裂させるのではなく、まとめられる人がいいと考える人もいる。
これはガラスの崖か?
ちなみに男性が危機的状況になると、女性が次のリーダーとして抜擢されやすいことがよく指摘されるが、ノルウェーの状況はそういうことではない。
北欧では、社会民主主義の政党が全体的に危機的状況にここ数十年陥っている。中道右派や極右(右翼ポピュリスト)や他政党に支持が逃げているからだ。だから、「労働党の危機」はストーレ氏個人だけによるものではない。
ブレンナ氏においては、党内選挙で信任されて選ばれているので、リーダーシップがあり、タフで優秀な政治家だからだ(フィンランドのサンナ・マリン元首相と同じことだ)。
労働党の次のリーダーを社会全体で議論するタイミングに入った
昔から労働党の内部は権力争いと足の引っ張り合いが目立つ組織だ。この国では世論調査が毎月発表されているのだが、労働党の支持率の急落が続いている。来年9月の選挙に向けて、党内には「頭を変えるなら、今変えたい」と思う人もいる。その声をメディアが拾ったため、今ブレンナ氏に注目が集まっている。
しかし、首相は続投を表明しており、ブレンナ氏も彼を支持している。だが、首相の足元がかつてないほど揺らいでいるのは間違いがない。来年は政権交代の可能性も大きいので、選挙で負けたら交代という可能性もある。
もしかしたら、来年か、その数年後か、ブレンナ氏が労働党の党首となり、首相候補になるのは時間の問題、というような雰囲気をメディアは出している。どうなるかは、党内の声、メディアの圧力、そして世論調査の結果次第だろう。
冒頭写真:Simen Gald / Arbeids- og inkluderingsdepartementet