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織田信長は京料理の良さがわからない、バカ舌だった納得の理由

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
懐石料理。(写真:イメージマート)

 東映創立70周年を記念し、織田信長と濃姫を主人公にした映画『レジェンド&バタフライ』が上映中である。今回は、織田信長が味音痴だった理由について考えてみよう。

 かつて畿内で威勢を誇っていた三好氏が滅亡した際、織田家は坪内某なる料理人を生け捕りにした。坪内某は鶴や鯉の料理がうまく、饗宴の膳も作るほど優れた腕を持っていた。カリスマ料理人である。

 あるとき、織田家の料理番として、坪内某を起用してはどうかという話になった。その話を聞いた織田信長は許可し、坪内某に明朝の食事を作らせることを命じたのである。

 翌朝、信長が試しに坪内某の作った料理を口にすると、「水臭い(味が薄い)」と激昂し、「坪内某を殺してしまえ」と命じた。坪内某の料理は、信長の口に合わなかったのである。

 坪内某はかしこまって、「もう一度作らせてください。それでまずかったら、腹を切っても構いません」と信長に謝罪した。とにもかくにも、もう一度チャンスが欲しいと懇願したのである。信長は坪内某の謝罪に免じて、とりあえず許してもう1回チャンスを与えた。

 翌日、信長が坪内某が作った料理を食べると、その味の美味さに大変驚いた。前日とは、まったく違っていたのだ。信長はうれしさのあまり、坪内某に知行を与えようとしたという。同じ料理人が作ったのに、いったい何が違っていたのか?

 坪内某の料理がおいしくなったのには、もっともな理由があった。三好家は将軍に仕えていたので、京風の薄味を好んでいた。それゆえ、坪内某の料理も必然的に味が薄かったのだ。

 ところが、信長は尾張の田舎者だったこともあり、味が濃いものを好んで食べていた。それゆえ信長は、坪内某の作った料理を「水臭い(味が薄い)」と感じて激怒したのである。

 そのことに気付いた坪内某は、塩加減を濃いめにして料理を作ったところ、信長は大変喜んだのである。しかし、坪内某は、濃い味の料理を「田舎風」と揶揄していた。信長に謝罪して許しを乞うたが、心の中ではバカにしていたのである。

 以上の話は、幕末に成立した武将の逸話集『常山紀談』に書かれたものなので、史実とは言えないだろう。とはいえ、当時は現代のように塩分の取り過ぎに対する意識は低く、それは信長も同じだった可能性は高い。

 一説によると、当時の人々は肉体労働が主だったので、一日に5合もの飯を食べていたという。食卓に並ぶおかずの種類も少なく、味付けの濃いおかずで飯を掻き込んでいたのだ。信長も5合もの大盛飯を平らげていたのだろうか。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『播磨・但馬・丹波・摂津・淡路の戦国史』法律文化社、『戦国大名の家中抗争』星海社新書、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書など多数。

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